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  • アスリート・スポーツ選手は現役時から『稼ぐ力』を身に付けるべき理由

    アスリート・スポーツ選手は現役時から『稼ぐ力』を身に付けるべき理由

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    photo by The Happy Rower

    こんな記事を読んだ。

    人生のうちプロアスリートでいられる時間は良くて3割 – かくいう私も青二才でね

    スポーツだけで生活できる人は殆ど居ない。プロ野球やJリーガーは特殊な例で、他のスポーツで競技だけで生活できる人なんて皆無に等しい。それがマイナースポーツだとトップ選手であっても現実は相当厳しい。

    だがお金がなければ生活できない。
    食事や身体にお金を掛けられないようではパフォーマンスを維持できない。

    また、人生は競技引退後も続いていく。
    競技一本でやってきた人がそのままコーチや監督として生き残れるのはごく僅か。

    だからこそアスリート・スポーツ選手は稼ぐ力を身につけておく必要がある

    実績・経歴・称号があれば稼げると思ってない?

    知り合いにも世界チャンピオンとかオリンピック選手はいる。ギネス記録を持っている人もたくさん知ってるし、メディアに取り上げられてるのもしばしば目にする。

    ただ、これらの実績・経歴・称号だけでは稼げると思ったら大間違いだ。

    「こんにちは、○○の競技の世界チャンピオンです。」
    「お金ください!」
    「・・・。」

    いくら実績があってもワードを発しているだけじゃダメ。価値を生み出し発信する必要があるのだ。

    一番わかり易い例だと「世界チャンピオンの演技」かな。世界を制した演技は観たい人が多いしだろうし観客も集まる。するとそこに価値が生まれる。また一流選手の教える教室は「体験・経験」という価値を生む。

    価値が生まれるところにはお金が発生する。

    世間の目よりも現実の生活

    こう書くとお金を稼ぐことばかり考えるな!と思われるだろう。世間は朝も晩も競技のことだけを考えて、寝ても覚めても練習してるからこそ世界と戦える、みたいな幻想を未だに持っている。

    でも、まず生活しなきゃ競技は出来ない。
    お腹が空いてたら良いパフォーマンスが発揮できない!!

    行政の補助金やスポンサーの補助という選択肢もあるけど、大多数の人はもらったこと無い。しかもその金額だけで生活できるかといえば決してそんなことはなく、生活を営むだけの金額を貰える人は極々一握りである。

    日の丸背負って頑張ってるんだからもっと補助金を出してくれという思いはあるのだけど、悲しいかな行政にこれ以上期待しすぎるのは得策ではない。何より他人様に頼って生活していること自体がリスクという認識を持ったほうが良い。

    こんなご時世だ。ある日突然スポンサーが契約解除を突きつけてくる可能性がある。スポンサーに頼りっきりだった場合、明日住む場所、食べるものにすら困ってしまう。東京オリンピックで行政もスポーツにお金を出す風向きではあるけど、それがすなわちスポーツだけで生活できることには繋がらない。それに補助金だっていつ打ち切りになるか分からない。

    競技を安定して続けるためにも、アスリート個人の稼ぐ力は強い武器になるのだ。

    引退時に裸一貫はキツい

    アスリートはいつか引退する。競技にもよるが30歳から35歳ぐらいには引退の二文字を意識するようになる。

    ではこの年齢でスポーツしかやってこなかったらどうなるか…。世間を何も知らずに社会に放り出されたらどうなるか…。想像するだけでも恐ろしい。

    昔、北京五輪で活躍した体操選手が中国国内でホームレスになったという噂を聞いたことがある。スポーツだけしか見てこなかった、この場合は見せてもらえなかった社会の恐ろしさを表している。

    スポーツだけで生きてきた人が引退したら、それは裸一貫で社会出るようなものだ。これまで価値を生み出してきた「競技」がなくなることで、生活の糧をガラリと変える必要がある。それはアルバイトかもしれないし学校へ通うことかもしれないが、引退したアスリートが急に社会に順応するのは大変だと思う。

    だからこそ、現役の時から稼ぐ力をつけておきたい。

    いきなり生活できるレベルの収入が得られないとしても、自力で価値を生み出す実地訓練を今からでも始めた方がいい。

    まとめ

    全国レベル、国際レベルの選手となれば、やり方次第で十分に価値を生み出すことができるはずだ。せっかくの素晴らしい経験、貴重な体験を引退と共に全て葬り、選手個人の中だけに留めてしまうのは、社会としての損失であると思う。

    五輪の話を聞かせてほしい。世界選手権の話を聞かせてほしい。
    そこであなたは何を考え、いま何を感じているのか。
    次世代に与える夢は、アスリートが生み出せる掛け替えのない価値である。

    またスポーツとは全然関係ない知識や技術を学ぶのも良い。トップに上り詰めるアスリートには集中力という才能がある。引退してすぐに別の事を始めるのは大変だけど、競技と並行して趣味程度に勉強を進めて行けば、スムーズに移行できる。

    アスリート・スポーツ選手がコーチや監督の言いなりになっているだけ、はもう古い。いち早く広い世界を見て、競技を含めた長い人生を見渡す習慣をつけよう。

    [kanren postid=”5894″]

  • シルクドソレイユと『村田芳子ダンス教育方法論』の共通点

    シルクドソレイユと『村田芳子ダンス教育方法論』の共通点

    http://www.flickr.com/photos/20661330@N00/470148230
    photo by david-o.net

    サーカスのステージ上では言葉を使ったコミュニケーションをしない。だが一切コミュニケーションをしないというわけじゃなくて、身体を使ったやり取りが頻繁に行われている。

    「バンッ!」ってやったら「うわぁーーー」リアクションしてくれる、みたいな。

    それはアーティスト同士だけじゃなくて、自分たちは客席とも頻繁にコミュニケーションをしている。お客さんの反応を待つのもその1つで、お笑いで言えば笑い待ちみたいなもの。演技の流れはや振付は決まっているけど、観客とのコミュニケーションキャッチボールは自分たちのさじ加減1つ。コミュニケーションがいい感じだと客席と一心同体になれる。反対にうまく繋がらないとステージで孤独に縄跳びをしているかのような錯覚に陥る。あぁ今日はスベったなぁと。

    技術や演技も大切だけど、このコミュニケーションが取れないアーティストは一流になれない。いくら一流の演技をしても客席にエナジーが届かないからだ。*1

    この能力を伸ばすのに村田芳子先生の提唱するダンス教育の手法が有効だと思う。

    筑波大学体育専門学群教員紹介:村田 芳子
    ダンス学習における即興表現とコミュニケーシヨンの可能性

    「体ほぐしの運動」活動アイデア集

    「体ほぐしの運動」活動アイデア集

    • 作者: 村田芳子,山本俊彦,川口啓,五十嵐淳子
    • 出版社/メーカー: 教育出版
    • 発売日: 2001/01
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    コミュニケーションの糸

    演技は決まった流れに沿って進行していく。だがたとえ決まった流れであってもリアリティを失うと一気に興ざめする。

    普段からしゃべっている言葉もセリフに書き起こして何度もしゃべっているうちに、どうやったら自然な流れでしゃべれるかがわからなくなる。これは言葉以外でも同じでステージで反応しあって動くのも妙な不自然さが生まれやすい。すると瞬間的に観客の意識はステージから離れて行き、コミュニケーションの糸が途絶えてしまう。

    コミュニケーションの糸は本当に細く脆い。油断すればすぐに切れてしまう。大胆に動いているように見えても、実際には繊細な意識を入れながら動いているのである。

    同じトレーニングをしてる

    村田芳子先生が授業でやる「割り箸」という教材がある。向かい合った二人が人差し指だけで割り箸を挟み、落とさないようにバランスを取りながら動く、という内容の教材である。

    指だけで挟んだ割り箸はちょっとした事で落ちてしまう。相手が力を入れれば少し抜き、反対に力が弱くなってきたら押す。続けるうちに自然とリーダーとフォロワーが生まれ、面白いことに旗から見てもどちらがリードしているか分かるようになる。

    この割り箸は目に見るようにしたコミュニケーションの糸。
    実はシルクドソレイユも全く同じ内容のトレーニングを採用している。
    さすがに割り箸じゃないけどww

    他にも相手の体の一部触れながら動いていく「コンタクト・インプロヴィゼーション」や「新聞紙の動きを真似する」といった教材がトレーニングに採用されており、村田先生が取り入れているダンス教育の手法と面白いぐらいに一致する。

    まとめ

    新しい学習指導要領で中高生のダンスが必修になった。実はこの立役者こそ村田芳子先生だ。そして大学時代、自分の研究室の担当教官だったりもする。当時から村田先生のダンス教育についての話を聞いていて、まさかこの職場に来て同じトレーニングをするとは夢にも思わなかった。

    白い扉の向こう側 ようこそシルク・ドゥ・ソレイユへ

    白い扉の向こう側 ようこそシルク・ドゥ・ソレイユへ

    • 作者: リン・ヒュワード,ジョン・U・ベーコン,有賀裕子
    • 出版社/メーカー: ランダムハウス講談社
    • 発売日: 2007/02/06
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    一流のアスリートが一流のアーティストになれるとは限らないが、
    一流のダンサーは間違いなく一流のアーティストになれる。

    アーティストとしてステージを目指す人は是非、村田先生のダンス教育方法論を参考にしてみてほしい。

    「技」だけではない、ステージに必要な「表現力」が身に着くと思う。

    *1:エナジーとはステージから客席に伝わる力のこと。また別の機会で詳しく紹介しようと思う。

  • 海外では『空気が読める』と『コミュ障』はほぼ同じ扱いである

    海外では『空気が読める』と『コミュ障』はほぼ同じ扱いである

    http://www.flickr.com/photos/46944516@N00/8241346527
    photo by pedrosimoes7

    ある時、ドレッシングルームのゴミ箱が溢れていたことがあった。

    ドレッシングルームとは自分たちの控室、メイクや衣装の着替えをする場所である。ここでは飲食が禁止で、普段はトレーニングルームやグリーンルーム(休憩室)にいるアーティストが多い。なので日常的にゴミが出るような場所ではない。満帆になるのに一週間か、10日は掛かると思う。

    つまりそれだけの期間、清掃スタッフがゴミ回収に来ていなかったことになる。

    あなたはだったらこの時どう反応するだろうか?
    自分は最初、見かねてゴミを大きなゴミ集積場に持って行こうかと考えた。スタッフとは直接面識もないし、ゴミをちゃんと捨ててくれなんて…ちょっと言いづらい。

    でもこの方法はここでは少し違うようだ。

    責任を果たしていないことは良くない

    別のアーティストともゴミ箱について話をしていた。「あー、今日も捨ててないね」「お、ついに溢れてきたね」なんて具合の笑い話。でもある日を堺に彼らの雰囲気が激変した。

    ゴミが溢れて座席の近くにまで達するようになった頃、1人のアーティストが「もう笑ってられないね」と至極真剣な眼差して話をし始めた。もう面倒くさいけど自分で捨てに行こうかな?と思い始めた頃である。続けざまに「このことはちゃんと報告しないとダメだ。プロフェッショナルじゃない。昨日までは笑ってたけど、もう笑い話じゃない」と本気で怒りはじめた。

    いやいや、そんな怒らないで自分で捨てに行けばよくね?と思ったのだけど、そうじゃないらしい。一度やってしまったら今後もその仕事を請け負うことになると諭された。そして建物管理の担当者に報告に行って、すぐにゴミ箱を清掃するように!と強い感じで意見を主張した。

    たった1日の違いでここまで明確に態度が変わったのを見て、ちょっと面食らってしまった。

    和よりも「善」や「意見」が大切

    これはゴミ箱の場合にかぎらず、だ。自分の意見を本当にハッキリ主張する。喧嘩?と思うような真剣な表情で淡々と意見を述べる。オブラートに包むこともあるけど、結構ストレートな表現が多い。ここまでストレートに言って大丈夫なの?とこちらが心配になる。

    さらにスゴイのは「同僚」や「友達」に対しても同じ感じで意見することだ。
    仮に自分だったら「相手がなんて思うかな?」と少しひるんで、回りくどい表現で伝えると思う。ストレートだと「この後が気まずくなるのでは?」と不安だし、波風立たないように無意識に気を遣ってしまう。

    だが向こうはゴミ箱の件に近い勢いでやってくる。ある時、

    「なんで私達が縄跳びしなきゃいけないの?」
    「ソリストなんだから、アクト中ずっと跳んでたら?」
    「そうすれば私達がもっと休憩できるし仕事が減るんだけど?」

    びっくりした。というか固まった。過去にこれほどダイレクトなクレームを聞いたことはない。

    やりたくない仕事でも黙って粛々と…そんな価値観は彼らに存在しない。やりたくない、なぜやる必要があるんだ?その説明を求めてくる。この場合はアクトのコンセプトとディレクター、振付の意図があるからダメだという説明をして、ディレクターの意見には原則従うことという契約(!)があるのを根拠に納得してもらった。

    なんなんだ、このやり取り。
    カルチャーショックというのか、文化の違いというのか、受け入れるのに時間が必要だった。

    意見を言わないと問題になることもある

    場合によっては意見を言わないことでトラブルになる。
    ある日、ディレクターと打ち合わせの予定を入れた。しかしディレクターは約束の時間になっても現れなかった。10分ほど待ってディレクター室に行くと別件のミーティングをしているようで、扉が閉まっている。

    まぁ仕方ないかなと諦め、また後でディレクターに話をしにいった。
    すると強い口調で、

    「もしかして今日、Shoichiとスケジュール入れてた?」
    「おい、そしたらなんでさっき呼び出さなかったんだ?携帯番号知らないのか?」

    逆ギレか?と内心ツッコミたかったのだけど、そうじゃない。約束に来ないならその時点で意見を述べなかった自分にも落ち度があるという考えなのだ。忙しくて忘れてしまうこともあるから、約束に来ていなければちゃんと連絡をするようにと。

    ここでは「忘れる」ということが想像以上に頻繁に起こる。
    仕事をお願いしておいても「忘れてた」の一言で済まされてしまうことがあって、ちょっとイラつくことも。もちろん忘れた方にも落ち度があるけど、忘れていることを認識しながら何も発信せず意見を出さないこちらにも問題があるのだ。

    雰囲気だけを優先するのは間違い

    とかく自分は空気を大切にしてしまう。この発言でこの後の雰囲気が悪くなったら嫌だなとか、ここで言ってしまったら相手を嫌な気持ちにさせないかな、とか余計な考えを回してしまう。

    だがこれは裏を返すと「気まずい思いをしたくない」という自己防衛でしかない。しかるべきところで意見を言わないということは、場所に居る責任を果たさないことになる。

    ディレクターであればショーのクオリティを管理する義務があり、多少の反発を受けたとしても意見と意図を明確に示す必要がある。曖昧な表現をされたら、こちらもどうやって動いていいか分からない。

    アーティストでも同じこと。ここはよくない、これは改善した方がいいなど、自らの仕事に責任を持つために厳しい意見が必要なこともある。空気を読んで周囲に合わせることも協調性という意味で必要だが、それ以上に大切なことなら発言をしない方が無責任。

    あとになって何かが起こった時、自分は実はこう思ってたんだ!なんて言おうものなら一気に信頼を失う。

    まとめ

    自分は人に直球の意見を言うのが苦手だ。その人が友達であったり毎日顔を合わせる同僚であればなおさらの事。できることなら何にも無く穏やかに過ぎて行ってほしいと願ってしまう。

    1つ良いことは、仮に強い意見を言ってもその場限りで終わらせてくれること。数日間ぐらいはシコリが残るけど、1か月もすれば普通に笑って会話ができるまでに戻る。

    合理的というか、こうした割り切った考え方が、強く意見を言っても簡単には信頼関係が揺るがない基盤になってるのだと思う。

    今日もドレッシングルームのゴミ箱はキレイだった。

    SONYとマッキンゼーとDeNAとシリコンバレーで学んだグローバル・リーダーの流儀

    SONYとマッキンゼーとDeNAとシリコンバレーで学んだグローバル・リーダーの流儀

  • 熟練者がコーチをするときは「教えたがり」に注意したい

    熟練者がコーチをするときは「教えたがり」に注意したい

    Teaching the youngster to feed

    できないことは誰だってツマラナイ

    縄跳びを教えるときに一番苦労するのが「新しい技」を教えることだ。
    新しい技には繰り返しの練習と失敗が必要で、少しずつ少しずつ出来るようになってく。センスが良くてモノマネのように技を修得する人もいるけど、大抵は繰り返しの練習が必要。

    けど、出来ないことを繰り返すのって大変。

    失敗したら気持ちは落ち込む。繰り返し失敗すれば嫌な気持ちが増幅していくだけ。大人であっても無意味に失敗を繰り返すのはシンドイのに、これが子どもとなれば不可能なのは火を見るより明らか。

    2-3回やっても出来なければ「つまんな~い」の一言で練習を放棄してしまう。

    教える側は出来ないことを教えたい

    できる事をするのは楽しい。失敗する可能性は低く成功する可能性は高いから。出来る技という領域の内側をグルグルと回っているイメージ。内側にいる間は楽しい。失敗してイヤな気持ちにならなくて済む。

    でも教える側は時にここに矛盾するような方法を取らざるをえない。できる事ばかりやらせても、新しい技を習得するには効率が悪いからだ。

    前とびをひたすらやっていれば、そのうち弾みで二重跳びができるかもしれない。回数をこなせば無意識に動きが洗練されて上手になるから、交差とびだってできるようになる可能性がある。

    だがこれは回り道。効率が悪く時間掛かる。考えられた方法ならグッと効率は良くなるし短時間で新しい技を習得できる。教える方の腕の見せどころ的な自負も加わり「効率よく・上手に教えること」を優先しやすい。

    ここに「教える側」と「教わる側」のズレが生じる。

    どうやって「ダマす」かである

    このズレこそが如何に教えるかのポイントになってくる。二重跳びの教え方前とびの跳び方を知識として持っておくのは重要だけど、ノウハウだけを当てはめても生身の人間には届かない。

    ここで必要になるのがノセる方法、別の表現をすればうまくダマす技術だ。
    伝えたい技や習得させたい動きをダイレクトに教えるのではなく、必要な動きの課題を分解して本人たちが気付かないうちに練習を繰り返すようなシステムを提案する。

    たとえば前とびの熟練度を上げたいとしよう。
    「前とびを100回しなさい。」よりも「友達とジャンケンとびで3人以上と勝負しなさい」の方が子どもは食いつく。とくに子どもの場合は集中力が続かないしツマラなければすぐに放棄してしまう。このようなゲーム形式でダマす作戦は有効である。

    大人だって同じ。
    子どもより忍耐力があるとはいえツマラナイことは続かない。如何に楽しく動いてもらい、如何に意図する課題の動きを取り入れられるかが腕の見せどころなのだ。

    自分のヤリカタに固執しない

    運動の中に楽しさを見つけるのは、専門にやってる人が一番上手だ。
    でも専門の人は「自分のヤリカタ」を教える人にもぶつけてしまうことがある。それで相手がうまく行けば良いのだけど、上手く出来ない相手に対して苛立ったり教えることを放棄してしまったりする。なんで出来ないんだ・・・・と。

    一歩下がり冷静になろう。自分のやってる運動の何が楽しくて何が醍醐味なのか。もし目の前の人がイヤイヤ顔で練習をしているなら、自らの胸に手を当てて考えてみよう。この人を笑顔にする練習方法があるんじゃないか?と。

    自分は、縄跳びが誰でも楽しめるスポーツだと信じている。

  • 手軽に人目を引くだけを考えるチームは、いつまでもトップになれない。

    手軽に人目を引くだけを考えるチームは、いつまでもトップになれない。

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    photo by to.wi

    歓声や拍手は演技をする人にとって非常に大切だ。
    パフォーマンスでは欠かせない要素であり、盛り上がればパフォーマーも一緒にテンションが上がってより良い演技ができる。反対に冷めた反応だとパフォーマーにも少なからぬ影響がある。

    ゆえに、盛り上がるかどうかは結構重要なことなんだけど。。。
    そんな簡単に盛り上がるようなら誰も苦労しない。観客はそう簡単に拍手をしてはくれないし、歓声が沸くなんてそうそう経験できるものじゃない。

    さて、どうやったら盛り上がるだろう?

    盛り上がって欲しい、何とかして盛り上げたい、こんな想いに駆られるのは誰にでもあることだ。ではどうやったら盛り上がるのだろうか?自分の演技をいかにして盛り上げるかと思案を巡らす。

    この動きは珍しいはず!これまだ誰もやってない技だ!

    こんな具合に人がやってないことを探し当て、自分たちのオリジナルを付け加えるゲームが開幕する。

    外から借りてくるか、中から見つけるか

    盛り上げるために工夫をすること自体は悪いと思わない。しかし安易に済まそうとするのはマズイ。

    アクロバットは盛り上がる => バク宙しよう!
    ダンス踊ってるのかっこいい => かっこいい振りを真似しよう!
    面白い衣装を着れば印象に残る => ドン・キホーテで衣装探そう!

    たしかに盛り上がるとは思う。でもそれは借り物にすぎない。自分の演技を研究し内側から見つけ出した個性ではなく、単に他の人がやっている動きに憧れてモノマネしているに過ぎない。

    個性はそう簡単には見つからない。安易な道に流れたくなる気持ちもわかる。ただ安易に見つけた個性は結果として誰かのモノマネでしかない。そればかりか、自分を欺き必死に維持する仮の個性の影に隠れ、本当の個性を見つける道を放棄することになるのだ。

    動くことでしか見つけられない

    動きの個性は、動かなければ見えてこない。考えている時間があれば動こう。何十回も何百回も繰り返し最適化された動きの中に薄っすら残る「違和感」や「ズレ」として個性は発見される。

    動くことを怠け、頭の中だけで生み出された個性は、見た事ある誰かの寄せ集めに過ぎない。

    人口が増えて似た演技が増えるのは仕方ないこと。
    でも似た演技ばかりを目にすると不安になる。

  • 『跳ぶ人』だけじゃなく『教える人』にもオススメしたい縄跳びの参考書

    『跳ぶ人』だけじゃなく『教える人』にもオススメしたい縄跳びの参考書

    INFなわとびハンドブック

    あなたはこの本を知っているだろうか??

    これは高校生の頃に初めて手に取ったなわとびの参考書である。
    ブログでも紹介た二重とび練習法に出てくる「太田式スモールステップアップ」の考案者、太田先生が書かれた本だ。

    数多くなわとび本が出ているけど、この本は跳ぶ人と教える人の両方に役立つ本である。

    競技・パフォーマンスの基礎になる

    ハンドブックで紹介されている競技は「INF」というスタイル。5つの技を4回ずつ連続で跳び、技点の合計を競う。これはフリースタイルや縄跳び競技をする人にとっては抜群の基礎練習だ。

    はじめは「二重跳び」「交差とび」のような簡単な技から、10級以上になれば「はやぶさ」「三重跳び」「三重跳びのはやぶさ」などフリースタイルでも多用される技が登場する。

    特にポイントが後回し系の組み合わせもできないと先に進めないこと。国内トップの選手でも、後ろの三重跳が連続できる選手は一握り。これが後ろ「三重のはやぶさ」になれば殆ど誰もできないだろう。
    (※)1級には後ろ三重のはやぶさが登場する

    競技やパフォーマンスを目指している人にはぜひ取り組んでもらいたい。過去、自分も師匠のSADAさんに促されてINFをガッツリ取り組んた。10級~1級までできるようになれば、ほとんど基礎が出来ていると言っても過言ではない。

    教える時の動きのポイントが紹介されている

    自分で縄を跳ぶ人だったら、50級〜40級ぐらいまではすっ飛ばしていることだろう。縄を片手に持って前に走ると言われて、素直にやってる人の方が不思議だ。

    ではなぜこんな動きが級として紹介されているか?それは子どもの運動の発達が考えられているからである。前とびが出来ない子どもに対して効果的に縄跳び運動を習得させる段階が序盤の級で紹介されているのだ。

    大人や上級者にしてみれば殆ど必要ない序盤の級も、見方を変えて子どもに教える時のポイントとして役に立つ。事実、自分の教え方や指導法はハンドブックの影響を大きく受けている。

    またどの順番で技を習得するのが効果的かが入念に研究されているので、上級者の子どもに取り組ませるのにもINFは適している。はやぶさに入る前に二重とびと交差とびをやるあたり、縄跳びをじっくり研究しているなぁとため息が出る。

    長縄・ダブルダッチ(二条縄)も紹介されている

    表紙が1人で跳ぶイラストだけど、実は長縄やダブルダッチも紹介している。広く行われている八の時とび、迎え縄・かぶり縄のような専門的な跳び方に至るまでわかりやすく図入りで解説されている。

    運動会でなわとびパフォーマンスを取り入れることを紹介した記事を少し前に書いたが、このハンドブックを参考にするとより具体的なイメージができるはずだ。まぁ研究目的で分類されていたりするので、見た目にどう映るかは一概に言えないのだけど…。

    余談だけど、ダブルダッチは一昔前まで二条縄と言われていた。INFなわとびハンドブックより以前、戦後すぐに発刊された書籍には既に二条縄としてダブルダッチが紹介されている。

    跳ぶ人も教える人も、一読の価値あり

    d-221 books

    高校の時、カラーマーカーで順番に技や級を塗りつぶしていったのが懐かしい。今思えば固いコンクリートの上でよくもまぁ跳んだものだ。

    ある程度で本棚の片隅に追いやられてしまったのだけど、子どもに教え始めた頃に再読して度肝を抜かれた。自分が跳んでいる時には見向きもしなかったページをめくると、子どもに教える基礎がふんだんに詰め込まれていたのである。

    なわとび教室を始めた当初は、それこそ毎日読み返した。

    後ろ系の技はしばらくやってないし、
    もう一度10級からやり直してみようかな?

    INFなわとびハンドブック

  • バカにする前に食べてみて?海外のSushiがドンドン美味しくなってる件

    バカにする前に食べてみて?海外のSushiがドンドン美味しくなってる件

    Sushi

    あなたは日本国外で寿司を食べたことがあるだろうか?
    もう説明するに及ばないほど、世界中のどこでもSushiといえば定番。

    「カリフォルニアロールでしょ?」
    「外巻きにご飯の付いてるあれ?」
    「どうせ美味しくないよ」

    こう思う気持ちも理解できる。自分もこっちに来た時はあまりSushiに好感は持てなかった。海外でSushiといえばロールで、アボカドとかマンゴーみたいな日本じゃ考えられない具材が巻かれている。そしてお馴染みのご飯は外巻きね。

    こんな寿司以外は邪道だ!!という小さな日本人プライドもあったと思う。

    Sushiだからって食わず嫌いしてない?

    では実際に食べてみるとどうか?これが意外にも美味しい。日本にいる頃は小馬鹿にしていたSushiだけど、いざ自分で食べるとこれはこれで美味しいのだ。しかも驚くことにネタも悪く無い。おそらく解凍のサーモンなのだけど、日本のと大差ない味を楽しめる。

    日本では馴染のない素材もいざ食べてみると言うほど違和感はない。中でもアボカドとかマンゴー、クリームチーズあたりは好きになる人も多いんじゃないかな?あとマヨネーズとカニカマ、辛味の入ったVolcanoロールとか個人的に好き。

    Volcano
    (※)こっちのSushiの店では殆どの場所においてあるVolcano Roll

    日本人経営の店はテッパン

    Sushiシェフという職業があるぐらいSushiの人気は高い。中でも日本人が経営する店はまず間違いなく美味しい。そこはやっぱり日本人の感性と味覚なのか、ネタがハズレることは無いしSushiとして食べる料理は美味しいものばかりだ。

    オーランドにある日本人経営のお店

    Shin Japanese Cuisine Sushi and Sake Bar

    たまーにハズレる

    日本食ブームもあってか街では5分おきにSushiの看板を目にする。
    全部の店を試したわけじゃないけど…やっぱり日本人経営じゃない店はハズレることもある。人が呼べるという理由だけでSushiって書いてる店もあったりして、本当にここはSushiの店か?と疑いたくなることもしばしば。

    以前、旅先で食べた解凍のホタテの衝撃は今でも忘れない。
    ありゃきっとデッカイ消しゴムだったに違いない…。

    まとめ

    自分もチャレンジ精神で「大丈夫かな・・・?」というSushiの店に入ることがある。
    大体は「美味しい!!」と思える程じゃないけど、かと言って「うわ・・・」ということも殆どない。リピートで行きたくなる店は限られるけど、大ハズレする可能性は低い。過去、さすがにこれはダメでしょ!?レベルの店に入ったのは1度だけだ。

    あなたも海外に出る機会があったら試しにSushiの店を訪れてみてはどうだろうか?

    たまーーにハズレるけど、それも良い旅の思い出。

  • 海外でもテレビが観たい!!民放連には『海外在住者』の思いを知ってほしい

    海外でもテレビが観たい!!民放連には『海外在住者』の思いを知ってほしい

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    photo by autowitch

    気になるニュースが飛び込んできた。

    YouTube

    海外生活をしていると日本のテレビは見れない。当然のことだけど寂しい。そんな時にインターネットを検索して出てくる「違法アップロード」された動画。人気番組であれば見たくなるのが人情というもの。

    自分もこうした動画を見たことがある。
    バラエティ、ドラマ、アニメ、探せば何でも出てくるご時世。でもやっぱり視聴するときには後ろめたい気持ちと罪悪感があるわけで・・・。

    海外在住だからこそ、テレビが恋しい

    国内にいるとあまりに普通に見れるから気に留めないかもしれないが、海外在住者にとって日本のテレビが見れるのは本当に嬉しい。異文化や異なる言語に取り囲まれた生活に、日本のテレビは潤いをくれる。

    テレビ局の事情もわかる。スポンサーの問題だったり著作権の問題だったりするのだろうけど、そこを何とかしてほしい。見たい気持ちはあるけど違法アップロードだし…と後ろめたい思いで見るのと、合法的に見れるのでは気持ちが違う。

    まぁこういう話も出ているようだけど。

    見逃したテレビを合法的にネットで視聴出来る?民放連が検討 – IRORIO(イロリオ)

    ネットでテレビが見れるようになったら、もしかして海外でも視聴できるのかな?なんて淡い期待を抱いてみる。でも予想では日本国内のみの配信なんだろうね。Yahoo JapanのGyaO!だって海外からは視聴できないもん。

    海外の視聴者のポテンシャル

    個人的な感覚だけど、国外にいる日本人の視聴率は高いと思う。
    無くなって知る有り難み?みたいな。日本にいる頃は殆ど見なかった人ですら、必死に動画サイトを探している。希少価値があるからなのか、多くの海外在住者に求められている。

    あと海外在住の人は日本の商品への憧れが募る。在住地にもよるが日本の商品は簡単には手に入らないし。だから不意にCMを見ると「次の帰国で絶対に買う!!!」みたいになりやすい。日本居ればすぐ手に入る商品ですら、海外在住者にとっては高嶺の花なのだ。

    広告入れて収入にすればいいじゃん

    素人の発想かもだけどYoutubeみたいな広告収入じゃ運営できないのかな?
    どこぞの有名な人だとYoutubeだけでも数億円稼ぐとか言うし、視聴する国や地域に合わせた広告を出せる。アメリカ在住ならPublixの広告出せるし、日本在住ならイトーヨーカドーの広告出せる。

    違法アップロードをしてた人もこの手法で収益を得ていた。本家のテレビ局が高画質でかつ合法的にアップしてくれてるなら、もはや低画質の違法アップロードなんて見る必要ない。いつ消されるかなぁ・・・とか、ほんとうに良いのかなぁ・・・なんて罪悪感を持って見るよりよっぽどマシな気がする。

    またネット配信されれば全世界で見れる。そうしたら日本人以外にだって人気が出る可能性がある。ちょっと前に話題になった風雲たけし城も今や世界中の人気番組。ラ・ヌーバでドレッシングルームのお隣さんから「この番組知ってるか?」と聞かれたほどの浸透具合だ。

    タイで復活の「風雲!たけし城」が、いつの間にか海外で大人気になってた! – NAVER まとめ

    月曜9時にテレビの前で!は古い

    余談だけど決まった時間、テレビの前に座ってOAを見る人はどんどん減っていくと思う。仕事も生活時間も多様化しているし、海外在住者には時差がある。フロリダの場合だと、朝起きて一発目に見るのが深夜番組というハードパンチ具合。リスト形式で順次アップロードしてくれたら、見たい番組を見たいときに見れる。

    好きな時間に番組を見れたのも違法アップロード番組が横行した原因の一つだと思う。

    もっと自由にテレビが観たいよ!!

    海外在住者の1人としての切なる願い。
    日本に住んでなくても日本のテレビが見たい。採算の課題とか法律とか問題を挙げればキリがないのだろうけど、早く全世界でテレビが見れるようなインフラ整備をお願いします。

    つまり、それだけ日本のテレビ番組は面白いんだよ!!

  • ここは「天国」か、それとも「監獄」か?知られざるシルクドソレイユの現実

    ここは「天国」か、それとも「監獄」か?知られざるシルクドソレイユの現実

    こんな記事を読んだ。

    挑戦する人の幸せを願っているからこそデメリットを提示していきたい | らふらく^^ ~ブログで飯を食う~

    デメリットを伝える事で相手にとって良いことがあります。それは「落とし穴の場所を知って対策できる事」です。挑戦している際に起こりうる問題を列挙して、「それでも挑戦するの?」と問いかけ、相手がどうしてもやりたいと言ったら「これらの対策をしておいてくださいね」と言うべき
    (※)一部抜粋

    「シルクドソレイユに入るのが夢です!!」
    「どうしたら良いですか??」

    An autumn sunset on Montreal
    シルクドソレイユ本部のあるモントリオール

    シルクドソレイユに入団したいと質問をしてくる人は多い。けどいざに入ると、この仕事はけっこうキツイ。上記の記事にもある通り、挑戦したい人が多いからこそ、挑戦する人の幸せを願っているからこそ、デメリットを提示するのが誠意だと思う。

    ということで、
    今回はシルクドソレイユのアーティストの苦労、大変さを紹介したい。

    将来挑戦する人の健闘を願って。

    海外生活、言葉の壁、文化の違い

    まず真っ先にぶつかるのが文化の違いと言葉の壁。
    ここではいろーーーんな国の人が働いていて、いわば文化のるつぼ。価値観の違いとか意見の相違なんてのは日常茶飯事のこと。

    んでもって公用語は英語。全ての仕事をいきなり英語でやることになる。留学経験ありで英語はペラペラです!って人は良いだろう。でもそうじゃない人には大変な壁だ。

    国際大会に出場するとか、そんなレベルじゃない。ここでは仕事をするのだ。意思表示し、相手の意思を理解し、何を求められているかを判断する。自分もそうだが、英語がネイティブじゃない同僚だって多くいる。コミュニケーションは手間と根気が必要だ。

    さらに言えば海外で一人暮らしをする勇気がいる。
    自分は運がいいことに相方が日本人だったので互いに助け合えた。けど多くの場合はポツンと1人、ショーの現場に放り込まれる。周りに日本人は居なくて日本語ももちろん通じない。ホームシックと言葉と文化の違い、いきなり三重の壁が立ちはだかる。

    週10回のショー

    ショーは週に10回が基本だ。ツアーショーやアリーナショーだと移動が含まれたりしてすこしイレギュラーになるけど、週ベースの回数は同じ。これが常設だと出勤時間もショーの時間も一定。移動がないので週10回のショーが永遠と繰り返される。

    殆どの人が経験無いこの回数は過酷を極める。

    必然的に起きるのが怪我だ。
    ラ・ヌーバの場合だと常時で10人前後のけが人(=アウト)のアーティストが居る。短期間で治る人もいれば、骨折や靭帯損傷などの長期間に渡る人まで様々。中には1年以上もショーを離れるアーティストも。単にハイレベルなアクロバットをするからだけじゃない、繰り返しによる負担の蓄積は想像を超える。

    競技選手時代、自分も結構追い込んで練習をしてきたほうだと思う。でも縄跳び起因の怪我はしなかった。どれだけ跳んでも、縄跳びで怪我をすることはなかった。いまちょうど膝を痛めているが、人生において縄跳びで怪我をしたのは初めてである。

    暇である

    不謹慎かもしれないが事実だ。この仕事は暇な時間が多い。
    常設の場合はショーが始まるのは18時か19時。ショーコールと呼ばれる出勤時間は1時間前と決まっている。すると17時まではまるっきり時間が空く。アクトによっては週に1-2度の合同練習があるが、自分たちのようなソリスト、キャラクターはトレーニングすら無い。

    暇で、好きな事ができて、何が文句あるんだ??と怒られそうだが…。

    時間がありすぎるのも問題なのだ。

    最初に上げたように文化の壁や言葉の壁があるので遊びに行くのも簡単じゃない。インターネットには繋がるが日本のテレビは見れない。現地のテレビをつけても英語で何を言ってるかわからない。何もすることがない暇な時間というのは想像以上にシンドイものだ。

    自分は暇で仕方ない時はドライブをして時間を潰していた。
    元からアウトドア派でもなければ、時間を忘れられるような趣味もない。スポーツ観戦とか、ビーチとか、どれもこれもピンと来ない。

    結果、目的地もなくドライブすることぐらいしか思い浮かばなかった。

    人によっては楽園にも監獄なる

    友達も居ない、言葉も通じない、そう簡単に家にも帰れない、、、ナイナイ尽くして監獄のようにすら聞こえる。

    でも個人の感じ方や性格によって大きく変わる。たとえば好きな事を24時間365日考えているのが好きなタイプだとすれば、周囲の雑踏を気にせずガッツリ打ち込める。また時間に余裕が有るため大学に通ったり語学を学んだり、融通が効きやすいのも事実だ。アーティストの中には芸術分野で修士課程修了までした人も居て、時間の使い方は千差万別。

    縄跳びだけに向き合う時間が取れたことに、自分は大変感謝している。
    ステージの経験値も膨らみ、多視点から縄跳びを見ることができるようにもなった。

    ここが監獄になるか、天国になるか、それはアーティスト次第。
    将来挑戦される方への健闘を祈って。

  • ルーティンやゲン担ぎで見過ごされる「脆さ」の正体

    ルーティンやゲン担ぎで見過ごされる「脆さ」の正体

    誰しも一度はゲンを担いだ経験があると思う。
    試合の前、試験の前、プレゼンテーションの前、、、意外と大切な場面って多い。

    食べ鯛焼き

    自分もゲンを担ぐタイプだ。
    競技現役時代は必ず3ヶ月前から禁酒をして本番の大会に向けて気持ちを高めていった。陸上競技をしていた友人の話では、試合当日の動き方までも分単位で決めてる選手もいるんだとか。。。

    ゲン担ぎは科学的にも効果が認められているらしい。


    やる気を高めるマル秘テク “アンカリング”の秘訣とは? | R25


    30代、V字回復への道:たった3秒で“最高の自分”に――イチローもやっている「アンカリング」テクニック (1/2) – ITmedia エンタープライズ

    イチローのようなビックネームを出されると、思わず真似したくなるよね。

    事実、自分も仕事中のルーティンをかなり細かく決めている。
    シアターに入るのがこの時間で、このタイミングでメイクをして、練習はこれをやって、次はこれで・・・挙げていけばきりがない。そして毎日同じ時間、同じタイミングでスタンバイしショーに向かっていく。

    このやり方をかれこれ4年も続けてきた。
    日々同じことを繰り返していく様は宗教的な匂いすらする。日々の積み重ねが信仰の儀式になるまでには時間はかからない。「これさえやっておけば怪我はしない。この流れでやれば失敗はしない。大丈夫だ。イケる!」のような図式を4年も続けて来た。

    この方式は確かに効果があった。特に新人の頃はペースを掴みきれなず藁をもすがる思いだったので、それが何であっても信じたい。自分だけの儀式であってもすがりたいと思い必死でルーティンをこなしてショーに望んでいた。

    しかしこのゲン担ぎやルーティン化には1つの落とし穴があることに気付いた。
    突発的なアクシデントに弱いのだ。

    ★★

    たとえば緊急のミーティングが入ったとしよう。そこで時間が30分持っていかれたら、自分の作っている1日のスケジュールは大きくずれこむ。何とか遅れを取り戻そうとして各ルーティン作業を手早くやっていくものの、なにか落ち着かない。それだけでなくルーティンを乱した外部要因に苛立ち、不要なイライラと焦りに追われることになる。

    しかも実際のショーだって何があるかはわからない。

    一応は振付もカウントも決まっている演技だけど、生身の人間が動く以上、不測の事態はいつだって起こりうる。ショー中に縄跳びが壊れてしまう、音楽が全て止まってしまうなどアクシデントも含め、日々細かいズレを調節しながらステージになっているのが現実だ。

    全く同じショーなど2度とない。

    でもルーティンばかりにこだわっていると、こうした些細なズレやアクシデントにまで苛立ってしまう。打ち合わせと違うじゃないか、練習と違うじゃないか、重箱の隅を楊枝でほじくるように不満が蓄積する。

    あえてルーティンを壊すリハビリ

    こうした事態に気付くまで4年もの時間が必要だった。周囲の人々には本当に申し訳ない。

    そこで自分なりにこのゲン担ぎ病・ルーティン病を克服する作戦を練った。それはあえてルーティンを破壊するリハビリである。積み上げてきたルーティンを、ある日唐突にスッポカスのである。予定は作らない。思い立った日、いきなり実行する。

    思いつきでルーティンを崩すのは勇気がいる。これを崩したらショーで失敗するかも。。何か良からぬことが起こるかも。。。そんな不安と焦燥感との戦いが始まる。

    実際に、準備運動の大改革を先日決行した。
    これまでスタンバイの10分前に縄跳びをセットしてから一切触らずにステージに立つまで待っていた。縄跳びがあると無駄に跳んでしまったり、本番前に疲れが溜まってしまうかと不安だったからだ。だがそんな思いは全て吹き飛ばし、いきなりスタンバイ場所に縄跳びを持参し、直前まで跳ぶ練習をするようにした。

    結果は成功。別に本番で疲れない。
    むしろ直前まで触っていられるためか、感覚が過去最高に研ぎ澄まされた。

    他にも17時に前日のショー映像を確認する、練習前にストレッチをする、本番30分前にトイレに入るなども、ある日突然辞めてしまったルーティン達である。

    心に余裕が生まれる

    ここではルーティンの内容そのものには大きな意味は無い。突然やーめた!という状態にあえて自らを追い込み不安や焦燥感に耐性を付けることが重要なのだ。それが「試合の日は右足から階段を登る」でも「勝負の時は赤のパンツ」でも意味は同じ。

    そう、別の表現をすれば小学校の避難訓練みたいなもの。
    実際に起こるかなんて誰にもわからないし、できれば起きて欲しくない。

    だがステージはいつも本番一発勝負。常に何が起こるかわからない。いざって時、その場で立ち尽くして周囲を不安げに見回すだけのなるのか、それともとっさに別の動きを入れ込んで自信満々で演技をやりきるか。

    心の余裕はいざって勝負時にこそ、大きな力を発揮する。

    ★★

    余談だけどこのリハビリのおかげで暇な時間が増えた。
    ルーティンのために割いていた時間が、そっくり空いてしまったのだ。なので空いた時間にはまた別の作業を決めて入れ込んでいる。そう、また別のルーティンへと様変わりさせるのである。

    日が経てば再びこのルーティンも壊す日が来るだろう。
    近頃は、あえて不安や焦燥感に追い込むことが快感にすらなっている。

    ひょっとすると、
    世間ではこれを「新鮮な気持ち」と呼ぶのかもしれない。

  • 「翼」どっかいった…そろそろ三重跳び、四重跳びが限界

    「翼」どっかいった…そろそろ三重跳び、四重跳びが限界

    Look mummy, my wings are huge!!

    もう何回目になるだろうか。また怪我してる。
    これは昨日今日で始まった怪我じゃない。かれこれ5月からずーーっとのやつ。


    緊張の糸を切ったら終わるという不安は、出口が見えない危険がある – なわとび1本で何でもできるのだ

    この時が4月の末、んでもって実は8月、9月にも同じ理由でアウトした。
    もうかれこれ5ヶ月も同じ怪我で悩まされていることになる。

    もちろん今まで何もしなかったわけじゃない。フィジオ*1と一緒にリハビリやらエクササイズやら、ずーっと続けてきた。こんなに長期間、毎日フィジオにいる人も珍しい。

    何度かいい所まで来た。ほとんど痛みもなくショーに出れることもあった。
    でもふとした事がキッカケてすぐに元の痛みに逆戻り。またいい感じかと思えば逆戻り。こんなことを5ヶ月も繰り返している。面白いことに痛みが出るのも全く同じ場所なので、同じ怪我がぶり返しているのが一目瞭然だ。

    ★★

    実は原因は自分でもわかっている。

    間違いなく「多回旋*2」のやりすぎ。ショーの中でやる演技は殆どが三重跳び以上の技で構成されていて、前に個数を数えたら60個を超えている。つまり毎日120回以上の三重跳び、四重跳びをやっている計算になる。

    いくら得意とはいえ、さすがにこの回数は致命的。

    よりによって得意なのは高い跳躍。軽々とたかーーいジャンプで跳ぶのが好きだった。この跳躍力があったからこそ多回旋が得意になったし6重とびなんてアホな技ができたのだと思う。

    nawatobi-macchan.hatenablog.com

    縄跳びを始めたのが2002年。今から12年も前のこと。当時から多回旋をウリに競技に挑戦してパフォーマンスもやって。結果的にそのお陰でこのステージにも立ててると思う。

    けど、、、高く跳ぶ翼に頼るの、そろそろ限界かな。

    ★★

    いい機会だ。

    ついこの前レコンの夢を諦めて、縄跳びアーティストとしての成長を誓ったばかり。得意技に頼ってばかりでは成長は見込めないんだぞ!!って教えられてるんだと思う。

    多回旋、高いジャンプがが出来なくなるのは悲しいし寂しい。
    でも今は得意技の翼をたたみ、
    別の自分を見つける試練なんだと腹を括ろうと思う。

    *1:シルクドソレイユ専属のアスレティックトレーナー。応急処置やリハビリテーションなど怪我全般のケアをしてくれる

    *2:1回のジャンプで2回以上縄を通過させる技のこと。二重跳びとか三重跳びとか。

  • 個性は叫ぶモノじゃなく、探し当てるモノである。

    個性は叫ぶモノじゃなく、探し当てるモノである。

    Rice rabbit

    個性的になりたいものである。

    この仕事では個性的であることが重要だ。個性的であることはすなわちステージでの存在感である。あなたの個性は何ですか?あなたのキャラクターは何ですか?と何万回聞かれたことだろうか。

    ステージ上の役割に関係なくすべてのアーティストに「個性的」であることが求められる。

    自分は悲しいことに個性的ではない。
    ジュースならオレンジ、アイスならバニラ、モナカならモナ王といった具合で、本当に平々凡々な人間である。本音を言えば人と同じことが好きで個性を求められると少々困ってしまう。

    この職場には自分と真逆に「俺様の個性とは!!」みたいに個性を全面に出せる人が大勢いる。彼らは自らの個性を認識しているだけでなく、どうすれば活かせるかまで知っているかのようだ。そんな人達を間近に見ていると「自分って個性がない…」と凹む。

    一方、上記の質問と同様この職場でよく聞くフレーズが「Find Your Characters」である。直訳すればあなたのキャラクターを見つけなさい。つまり個性は「出す」のではなく「探す」という認識なのだ。

    個性が無いのではない。気付いていないだけ。

    個性を探すというのはこちらに来るまで聞いたことがなかった。生れつきの特性で自然とそれが外に出ているモノ?みたいな認識。だから能動的に引っ張りだすものじゃなくで、自然と滲み出てくると勝手に解釈していた。ゆえに何も滲み出てこない自分は個性がないんだなぁ…と凹んでいたのである。

    でも「Find your Character」となると印象が変わる。
    探すということはまだ気付いていないということ。自分の個性なのに見えていない、だから探す。

    意識的な行動に出ないと見つけられない。
    そう、個性が無いのじゃなくて見つける努力していないだけ!!

    この理屈だと個性は誰にでもあると言える。広く捉えればアーティストに限らない全ての人も個性に気付いていないだけで、探せば見つかる、ということ。

    付け加えるのではなく、削ぎ落として残ったもの

    自分の印象だと個性を見つけるには「削ぎ落とす」行程が必要。

    それはステージの上でも同じことで、たとえばA地点からB地点まで歩く状況を想定しよう。
    歩くなんて動作を意識している人は殆どいないと思うけど、年令や性別、更に出身地や人種でも随分と異なる。さらに個人の違いも顕著で、ある人はカカトを擦るように歩くし、ある人はつま先に力を入れて歩く。じっくり観察すると同じ歩き方をする人はなど居ない
    (※)歩行を文化として研究している人もいる

    これは「歩く」動作から共通点を削ぎ落として残ったほんの僅かな違和感や癖。しかし普段は誰も気にしないし、相当意識してじっくり観察しないと見えてこない。
    ところが一度発見されると、妙に癖や違和感が目に留まる。この歩き方の癖は○○さんのやつだ!!すぐに認識する。

    これが個性を見つける、探す行程なのだ。

    目には見えにくいが、ハッキリと存在する

    繰り返しだけどステージで大切なのは存在感。
    いかに存在感を出して客席にエナジーを届けるかが重要である。もちろんサーカスなので洗練された技や卓越したアクロバットも必要だけど、これだけじゃ客席に届かない。

    個性、癖、普通とは違う違和感。これらを総称してキャラクターと呼ぶ。

    キャラクターを探し、膨らませ、客席に引っ掛かりのような感情を持たせる。
    「ほら、こんな動きをしてた人!!」と観客に言わせられたらキャラクターの勝利。いつ見てもそのアーティストの個性、違和感、癖に目が留まり心の中に存在し続ける。

    ★★

    ワザとらしく人と違うことをして目立つのが個性ではない。
    天邪鬼のように人と違うことをやるのも個性ではない。

    むしろベクトルは正反対。
    みんなと全く同じことをしてるのに出てくる違和感。
    同じ服、同じ動作をしているのに妙に引っかかる感触。

    個性を探すのは大変だ。けど、
    頑張って探し当てれば誰にも真似できないお宝になること間違いなし。

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