なわとびコラム

手軽に人目を引くだけを考えるチームは、いつまでもトップになれない。

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photo by to.wi

歓声や拍手は演技をする人にとって非常に大切だ。
パフォーマンスでは欠かせない要素であり、盛り上がればパフォーマーも一緒にテンションが上がってより良い演技ができる。反対に冷めた反応だとパフォーマーにも少なからぬ影響がある。

ゆえに、盛り上がるかどうかは結構重要なことなんだけど。。。
そんな簡単に盛り上がるようなら誰も苦労しない。観客はそう簡単に拍手をしてはくれないし、歓声が沸くなんてそうそう経験できるものじゃない。

さて、どうやったら盛り上がるだろう?

盛り上がって欲しい、何とかして盛り上げたい、こんな想いに駆られるのは誰にでもあることだ。ではどうやったら盛り上がるのだろうか?自分の演技をいかにして盛り上げるかと思案を巡らす。

この動きは珍しいはず!これまだ誰もやってない技だ!

こんな具合に人がやってないことを探し当て、自分たちのオリジナルを付け加えるゲームが開幕する。

外から借りてくるか、中から見つけるか

盛り上げるために工夫をすること自体は悪いと思わない。しかし安易に済まそうとするのはマズイ。

アクロバットは盛り上がる => バク宙しよう!
ダンス踊ってるのかっこいい => かっこいい振りを真似しよう!
面白い衣装を着れば印象に残る => ドン・キホーテで衣装探そう!

たしかに盛り上がるとは思う。でもそれは借り物にすぎない。自分の演技を研究し内側から見つけ出した個性ではなく、単に他の人がやっている動きに憧れてモノマネしているに過ぎない。

個性はそう簡単には見つからない。安易な道に流れたくなる気持ちもわかる。ただ安易に見つけた個性は結果として誰かのモノマネでしかない。そればかりか、自分を欺き必死に維持する仮の個性の影に隠れ、本当の個性を見つける道を放棄することになるのだ。

動くことでしか見つけられない

動きの個性は、動かなければ見えてこない。考えている時間があれば動こう。何十回も何百回も繰り返し最適化された動きの中に薄っすら残る「違和感」や「ズレ」として個性は発見される。

動くことを怠け、頭の中だけで生み出された個性は、見た事ある誰かの寄せ集めに過ぎない。

人口が増えて似た演技が増えるのは仕方ないこと。
でも似た演技ばかりを目にすると不安になる。