今ココに、「できるだけ練習をしないこと」を誓いたいと思います。
自分の練習とは縄跳びを跳ぶこと。これまで技術を維持・向上させるために練習をしてきました。プロとして練習を減らすのは怠けであるとすら思っていました。
しかし今回怪我をして気づきました。
盲目的に練習をするのはプロとして失格なのかも知れません。
成長は上達するほどに緩やかになる
もちろん全ての練習が大切じゃないわけじゃありません。特に初心者のうちは四の五の言わずにやり込むのが大切な時期です。やればやっただけ上達し、量をこなすことで得られる技術があるのも事実。
技術・時間は以下の図のような関係にあります。
(※)タテが技術、ヨコが時間
最初のうちはやっただけグイグイ伸びていきますが、一定まで成長すると曲線が緩やかになる。次第に成長があまり分からないレベルなのに膨大な時間が必要な状態に落ち着きます。
練習自体が楽しい!は赤信号
上記の図にあるように、初心者は量をこなす事が必要でしょう。やっただけ成長が見込めます。しかしプロが盲目的に練習に取り組むのは「時間と身体の浪費」に繋がる恐れがあります。
練習をするというのは体を動かすこと。これは多少なり身体にダメージを与えます。もちろんマッサージやストレッチでダメージを軽減することはできるでしょう。しかし僅かであってもダメージは確実に蓄積します。つまり練習は身体へのダメージと時間を引き換えに行う活動とも言えます。
こう考えていくと、無意味な練習は得策でないことがわかってきます。
ところが運動そのものが好きというのが、また厄介。なぜなら練習自体を目的にしてしまう恐れがあるからです。練習をする目的は練習をするため。こうなると練習成果や本来の目的を失い、ただ楽しさを得るために練習をしていることになります。
何かを達成するために行う活動を「手段」と言います。一方で、行為それ自体を行うのが目的になることを「遊び」と言います。遊びは楽しいものです。しかし「楽しい」だけで貴重な身体と時間と浪費するのはプロとして好ましくありません。
「●◯しているだけで楽しい。」は大切なようで最も気をつけるべき落とし穴です。
まとめ
練習は今でも楽しいです。なぜなら縄跳び自体が目的になっていたから。
仮に自分が縄跳びを「遊び」としてやるのであれば問題無いでしょう。しかしプロは結果が求められます。しかも求められるのは技術的な上手さだけではありません。どう技術を活かすかなのです。
アーティストはステージに立ち観客に良い演技を届けることが求められます。怪我をすれば責任は果たせず、監督に求められた演技ができなければ仕事を失うことになります。
練習を続ければ青天井に上達するように感じます。これもまた1つの取り組み方でしょう。しかしプロである以上はステージに立つのが仕事の本質。本質を忘れてまで練習に打ち込み過ぎるのは本末転倒です。
と、改めて反省しています。