ラヌーバのなわとびアクト改変計画も佳境に差し掛かってきた。
変革は続いていく。
そしてアクトは進化し続ける。
今回の変革は大きな柱の二つ目、トライアングルに関する変更だった。
暫定的に変更されたものをShowでやっていたが、
ディレクターの描いていた理想に向けて、最終調整が行われたのだ。
以前の記事でも書いたが、簡単に変革と言っても大人数が関わるため、簡単には事は進まない。
たったひとつの動きを変えるために、
付随する多くの人間を動かさなければいけない。
さらに「なわとびの課題」も加わり、
想像をはるかに超える時間が必要となる。
ディレクターは船頭、コーチは指示係
シルクドソレイユではディレクターが構想したことに対し、
アーティストがどう動くかをコーチが考え、実際の練習に移る。
もちろんアクロバットに関してもコーチが手助けをするのだが…
なわとびの場合、少し事情が違う。
残念ながらラヌーバにはなわとびのコーチはいないのだ。
自分たちソリストの二人以外、なわとびの知識も少ない。
コーチはサーカスアクト一般の事、ダンス、体操競技に関しては一通りの知識がある。
ところが、なわとびというのは特殊すぎるのだ。
残念ながら普通のコーチは「なわとび」に関して殆ど経験がない。
そこで自分たちがコーチがやりたいことを汲み取り、
なわとびの課題がどこにあるかを読み解く。
ソリストにはこんな仕事が求められるのだ。
「なんで引っかかるのか?」
「どうしてできないのか?」
見た目には簡単そう。
ゆえに、何が問題かを捉えるのが難しい。
マネージャーとしてのソリストの役割
問題が起きると、真っ先に犯人探しが始まる。
「縄の回しがよくない」
「跳ぶ人が遅い」
「誰々が邪魔で動きが遅れた」
挙げればキリがない。
当の本人たちも真剣だからこそ、より大変。
まず「問題は複雑」であることを理解させる必要がある。
時には苛立っているアーティストをなだめることも。
なぜなら、彼らを含めコーチやディレクター、リハーサル全体が、
「なぜ失敗しているかが分からない状態」
というのが一番のストレスだからだ。
たとえば、長縄に引っかかる問題があるとしよう。
見た目には「跳ぶ人」が遅れているように見える、
じゃ「跳ぶ人」に指摘をすればいいか?というと、
問題はそう単純じゃない。
もちろん跳ぶ人の問題も考えるが、それ以外にも、
「縄を回す人の合わせ方は良いか?」
「前後を跳ぶ人の動きはどうか?」
「全体のスピードが早すぎないか?」
など、複数の要因を加味していかなければいけない。
単純な指摘だけでは、結局同じミスを繰り返す。
ソリストはこんなことを瞬間的に考えて、
どこが問題の本質か、何を指摘をすれば解決するかを判断し、
最終的にコーチに伝える。
自分たちの一言でリハーサル全体の空気が変わってしまうこともある。
上手く問題が解決すればいいのだが、
仮によからぬ結果になれば、逃げだしたくなる程の空気が流れる。
見抜く力
専門家が少ない状況では、
原因不明というストレスにより、どうしても全体の空気が悪くなりがちだ。
指摘のせいで、むしろ状況を悪化させることもあるし、
自分自身のミスの場合、誰かにミスを擦り付けているように取れる事がある。
中には、自分たちの立ち位置を良く思わないアーティストがいるのも事実。
でもやっぱり、
なわとびアクトを良くしたいって思いが強いから、頑張れる。
おかげで「問題点を見抜く力」が付いたかな。
なわとびのソリストである自分たち以外、
他のアーティストはキュー呼ばれる「脇役」としてなわとびのアクトに参加する。
すると悲しいかな、個人によってはモチベーションの温度差が出てしまう。
どうしたら、彼らに心地よくリハーサルをしてもらうか、
どうしたら、なわとびの楽しさを感じてもらえるか、
日々のトレーニングへこんなことを考えながら臨む。
変化していくアクトでソロを演じることはもちろん、
別の角度からアクトに関わる。
これらの学びが、もう一つのやり甲斐になっている。