投稿者: shoichikasuo

  • 初めて人前でパフォーマンスする時にあなたを助ける「技力」という概念

    初めて人前でパフォーマンスする時にあなたを助ける「技力」という概念

    人前で演技をして拍手をもらうのは快感だ。

    何百回何千回とステージを繰り返しても、この喜びは変わらない。
    こうして毎日ステージに立っていても、拍手の有り無しでテンションが大きく変わる。

    clapping kid

    もちろん拍手をもらえれば演技だとはは限らない。
    しっとりと染み入る演技もあるだろう。

    だが基準として観客の拍手・反応は誰しもが気にするはず。

    ではどうすれば拍手をもらえる演技になるか。
    今回は「技力」という考え方から、
    パフォーマンス入門者でも拍手が起こる演技の作り方について紹介したいと思う。

    技力とは?

    まず最初に言葉の定義をしておこう。

    技力(わざりょく)

    技ないしは、ひとまとまりの動きが潜在的に持っている拍手を生む力

    これまた造語なので、他とは意味とは違うかもしれない。

    例を上げるなら間違いなく「おしりとび」だ。
    いかなる縄跳び技よりもダントツに技力が高い。

    あまり大きな声では言えないが、おしりとびはスゲー簡単。
    早く跳ぶとか2重にするとかは難しいが、普通に跳ぶだけなら小学生でもできる。

    それでもおしりとびは驚くほど盛り上がる。

    さて、このような技力の高い技には大きく2つの特徴がある。

    1.人を選ばない
    → 誰がやってもけっこう盛り上がる

    2.成功さえすれば、熟練度を問わない
    → 習得して数日も10年も同じ

    他にも具体には以下の技は技力が高い。

    リリース
    トラベラー
    ダブルダッチのスピード

    パフォーマンス入門には必須

    上記で具体的に挙げた技は、ちゃんと練習すれば数ヶ月で習得できる。
    それこそ小学生だって出来る技。

    だからこそパフォーマンス入門の人はぜひ、
    これらの技力の高い技をパフォーマンスに取り入れてほしい。

    成功さえすれば、しっかり拍手がももらえる。
    しかも積み重ねっていうほどに練習量も要らない。
    ちゃんと取り組めば出来る「規定演技」みたいなもんだ。

    技力の高い技をしっかり成功させれば、
    入門段階でもちゃんと盛り上がる演技になる。

    技力の高い技の見つけ方

    さて、ではどうやって技力の高い技や動きを見つけるか。

    それにはもちろん、先輩たちの動画が参考になる。
    彼らも同じく先人の演技を見てエッセンスを頂きながら演技を作っている。
    この系譜を受け継ぐのが一番手っ取り早い。

    この時、1つのチームや1人の選手だけを見ていてはダメだ。
    見つけうる限りの動画を探そう。
    よく大会で上位入賞しているチームを見がちだが、トップのチームは入門編の参考としてはあまり適さない。
    なぜならトップの演技は完成されすぎているから。
    むしろ各予選大会や、ストリートの演技のほうが良い。
    学園祭の演技はとくに一般向けになっていて参考になる。

    そして、集めた演技の共通点を探す。

    どの選手もやっている技はなんだろうか、
    どのチームにも共通する動きはどんなものか、
    どのタイミングで観客の反応・拍手が返ってきているか。

    美味しそうな箇所をツマミ食いさせてもらおう。

    まとめ

    パフォーマンス入門の段階でゼロから演技を創るのはハードルが高い。
    適当に技をつなげただけでは、せっかくの演技が盛り上がらない。

    もちろん好みの技やこだわりたい動きがあるなら是非入れよう。
    技力の高い技はあくまで、盛り上がりやすい要素としてオイシイという話だ。

    しかし、いつまでも入門に留まっているのも考えもの。
    技力が高い技は誰がやっても同じく盛り上がる、というのを忘れてはいけない。

    技力だけに頼らない演技については、また次回。

  • 当事者意識の暴走が、ときに周囲を傷つけ迷惑を被る。

    ダブルダッチが縄跳びアクトに入ってから、早いもので2週間。

    おかげさまで演技も安定してきたし、メンバーのモチベーションもいい感じ。
    そろそろ次の段階に進もうって話も上がってて、全体の気持ちが揃ってるのが嬉しいなぁ。

    とはいえ、ダブルダッチが入ったことで他の場面も多くの変更を余儀なくされた。
    さらに新人が多い状況も重なり、色んな場面で初めてを経験するアーティストが多い。
    とくになわとびアクトはHouse Tromp(他のアクトのアーティスト)の動きが複雑で、
    ちょっとした動きの遅れや間違いでも縄跳びに接触したり、人同士が交通事故を起こしたりする。

    この状況に、コーチは大変だ。

    あれもこれも変更になって、新人には教えなきゃならんくて、
    しかもなわとびだけじゃなくて他のアクトも管理しなきゃで…。
    ここに日々の業務も加わり、もう大忙し。

    んでふと考えた。
    この「縄跳びアクト」の仕事を自分が引き受けようって。

    性質上、細かいところまでは難しい

    コーチは多忙だ。
    毎日のショーについて何か報告書を書いてるし、縄跳び以外のアクトも振付や動きを管理してる。
    しかもラヌーバはメイン以外の人たちの動きが多いことで有名。
    こんだけ新人が入ってきたらもう目が回る状態だと思う。

    とはいえ、なわとびアクトだって改変されたばかりで調節が必要な段階。
    新しい役割を任された人に丸投げ!ってのは乱暴すぎる。
    カウント、立ち位置、出来るならば周囲の状況も伝えてあげられれば理想的。
    ここまで伝えられたら、まず問題なく動ける。
    そこはさすがの身体能力と肝の据わり方。

    でも、現実はそうはいかなくてね。
    ざっくりリハーサルをして、さぁ本番!ってこともしばしば・・・。

    まぁコーチの激務を考えれば強くは言えないが、あまりいい形ではない。

    ★★

    過去にも全体が崩壊する危険性があったり、
    ミスに繋がる場面に関してはコーチを介して指摘をしてもらった。

    けど、少し引いて考えた時、
    ただでさえ激務の中、あ~だこ~だ細かいことを言われるって…ウザいと思う。

    指摘をされるアーティストも、誰かを介して改善点を言われるっていい気分じゃないと思う。
    加えてコーチも人間、指摘をするのを忘れていたってこともある。
    言ったのに1週間改善されないとかザラにあった。

    自分はアクトをより良くしたい。
    けど言われるアーティストは気分良くないし、
    コーチも忙しさで板挟み・・・。

    これはもう仕事を分担するほうが効率がいい。

    なわとびアクト、再発見

    おかげさまでダブルダッチについては、暗黙のうちに理解を得ることができてる。

    ディレクターもコーチも、ダブルダッチについては自分の意見を採用してくれたり、
    練習のスケジュールや演技についての要求も直に言ってくれる。

    メンバーの5人もストレートに意見を言ってくれるしね。

    この感じをなわとびアクト全体の広げてみようと考えてる。
    新たな役割を任された人に、どうやって動くのか、立ち位置はどこかを指示したり、
    全体の動きで問題点があれば縄跳びに直接関係なくても首を突っ込んでみたり。

    アーティストとも直接コミュニケーションを取る。

    以前は縄跳びに直接関係する場所以外、関心が低かった。
    それなのに動きの乱れとか細かいズレについては人一倍うるさくて、
    細かいカウントやら立ち位置に、イチイチ苛ついていた。

    間違いなく鬱陶しいやつだったと思う。

    ソリストゆえアクトに人一倍意識が向いてるけど、
    コーチを通すという大義名分の元、アーティストには直接口に出せない、
    というか面倒臭がって出さなかったことが、
    これまで抱えてきたイライラの根源。

    少し前に考えさせられたこの記事。

    本気になれない人には「当事者意識」が足りない – Ust’s Diary

    本気になっていたつもりだったけど、
    きっと自分のやりたいことだけ、に本気だったのだろう。

    細かい振付や小さい動作の一つ一つが集まって、
    一つのアクトを構成する、ショーを創りあげる。

    当事者意識をもう一度見直して、
    再び縄跳びアクトに本気で向きあおうと思う。

  • 価値観の主張と押し付けは何が違うか。

    ご無沙汰しております。
    本業と準本業が想像以上に激務になってしまい、結果的にブログにしわ寄せが。。。
    どうしてもパソコンに向かってる時間に限界があるなぁ。

    さて、日本の縄界では大きなイベントがありましたね。

    DOUBLE DUTCH CONTEST 2016

    ダブルダッチ最古、かつおそらく世界最大級のダブルダッチの祭典。
    知ってる顔も出場したりジャッジをしたり…。
    なんか知り合いがジャッジに増えてくると年齢を感じる(涙)

    あーだこーだ言うのは…若い世代に呪いを掛けたくはないので避けようと思う。

    「老害の本質」は正しいフィードバックを受けられないまま固定観念を強めて他者に「呪い」をかけること – 太陽がまぶしかったから

    言いたいことはいくつかある。
    でも、なんでこんな感想を持ったのか。
    その根源になる考え方は何なのか。

    すると、思考回路に根付いている「お花畑」の存在、
    そして「アイディア=ずるい」みたいな短絡的思考に気づいた。

    これまでの経験の話。

    勉強にしてもスポーツにしても、地道な努力を重ねることの美徳を刷り込まれてきた。
    毎日の小さな積み重ねが大きな力になる、チリも積もれば山となる。

    だから少しずつでもいいから毎日勉強して、
    スポーツなら練習を重ねて、

    こんな志向を幼少の頃から刷り込まれてきた。
    いわゆる成長期の志向ってやつなのかな。頑張ればその分だけ報われるっていう。

    こんなの自分から言っちゃう事自体、まだまだなのは重々承知。
    でも縄跳びは自分なりに地道に積み重ねてきたと思ってる。

    練習は楽しいばかりじゃない。
    地味な練習もするし、しんどいのもやった。
    スピード練習はとくに頑張った。

    もちろん競技である程度の成績が残せたのは、
    時代が良かった、草創期だからだったという大きなラッキーは重なったのはわかる。
    けど結果として、積み重ねで得られた成功体験(少なくとも自分はそう思ってる)が構築された。

    ★★

    こんな実体験に基づいて、
    外から見て地道に努力してると感じる選手やチームに対し好意をもつようになった。
    わかりやすいものでは技術に現れるし、
    抽象的なものだと演技中の自信だったり、訴えかける迫力だったり。

    一方で、アイディア勝負って言うと、なんかズルいって感じを受けてしまう。
    もしかすると、自身がアイディア勝負できなかったことへの悔しさかもしれない。

    アイディアは演技を創る上で重要なのは百も承知だ。
    既存のものではない新しい価値観、概念を創るってのは大変な作業なのだろう。
    この意味でアイディアを出すことに対して地道に努力してるって考え方もあるだろうけど、
    周りと違うことやアイディアさえ良ければ勝てちゃうってのは…。

    なんか横道から割り込まれたような感覚になる。

    だか、
    これはもはや、お花畑なのだろう

    地道に練習するのが大切、
    苦労はいつか報われる、
    辛い練習を乗り越えてこそ、

    こんな精神論は、いまや受け入れられないのだと思う。

    いかに人と違うことをするか、
    どうやって既存の価値観を壊すか、
    いかに新しいことをするか、、、

    そういう時代かな。

    最後に「個人的に」好きだったチーム演技を一つ。

    来年もまた出場してほしいなぁ。
    そん時までに頑張って名前覚えよう(笑)

  • 俺の考える技術論。 基礎はあなたをいち早く勇者にするための「伝説の剣」である

    ほぼ全てのスポーツに「基礎」と呼ばれる動きが存在する。

    ときにフォームと呼ばれたり
    ときに型と呼ばれたり

    バットの「スイング」やラケットの「素振り」が典型例だ。
    なにも道具を使うスポーツだけじゃない。

    走るフォームや高く跳ぶためのフォーム、
    ボールを受けるときの姿勢、水をかく腕の動かし方、
    板の立て方、縄跳びの回す形…。

    挙げればキリがない。
    ではこれらのフォーム・型と呼ばれるものとはなんだろうか?

    端的にいうなら、これらはあなたが勇者になるべく託された伝説の剣である。

    基礎とはモノマネしやすく最適化されたエキス

    少し前の記事にこんなのを書いた。

    センスとは「モノマネ力」である – なわとび1本で何でもできるのだ

    ここで取り上げている意味のモノマネを、
    より分かりやすく・伝えやすく洗練されたモノがフォームや型だ。

    これらは過去の長い年月、多くの人によって経験・習得されて、
    さらに習得した人々によって再構築され、より洗練されたものとして現代に受け継がれる。
    つまり幾人もの経験と知恵・知識が凝縮されたエキス、まさに伝説の剣だ。

    この武器を使えば、これまで何年何十年と掛かってきた動きを効率よく習得できる。
    イチから動きを考えて一人の力だけで創りあげよう!なんて考えたら、どんだけ時間があっても足りない。
    しかも結果として同じようなフォーム、型に落ち着いたりして…。
    時に原点回帰も必要なのかもしれないけど、初心者には非効率的だ。

    だからこそ、基礎と呼ばれる「フォーム」や「型」を最初に学ぶのが効率的。

    ★★

    面白いことに、初めて特定の動きを経験する人には似た癖が現れる。

    歩き始めの赤ちゃんがヨチヨチ歩くのもそうだし、
    前とびに初めて挑戦する子どももそうだし、
    逆立ちをすると身体が反ってしまうのもそうだ。

    人は未知の動きをするとき、何とかしようと身体を動かす。
    すると過去の運動経験から使えそうな動きを引っ張り出してきて、未知の動きに対処しようとする。
    多くの場合、特定のスポーツでもしていない限りは運動経験にそう大きな差はない。
    それが幼い子どもの場合はなおさらだ。

    だから使おうとする動きのバリエーションがほぼ同じになり、似た動きの癖となって出てくる。

    基礎が固まった状態とは何か?

    では俗にいう基礎が固まった状態とはなんだろうか?
    これは前回の記事でも触れた自動化された状態である。

    俺の考える技術論 「タテ」と「ヨコ」の技術 – なわとび1本で何でもできるのだ

    細かい身体の動きや意識を、ほぼ無意識に近い状態でこなしてしまう。
    これを自動化された状態と呼ぶ。

    最初のうちは、あれこれと動きを意識しながらフォームや型を練習する。
    肘が上がってるだの顎が高いだの、注文を付けられながら回数を重ねる。
    すると、あれこれ言われてきた細かいことを無意識のうちにできるようになり、
    次第に動きそのものをほとんど無意識のうちに完遂できるようになっていく。

    これが基礎が固まった状態だ。

    ここで注目したいのが、自動化に出てきた無意識の存在。
    よく聞く悪い癖はこの無意識によって創りだされる。
    特定の動きを繰り返すと、人は自然と効率的な動きになっていく。
    さらに回数を重ねることで上記の自動化につながるのだが、この回数の重ねる動きがあまり良くない動きだったとしたら…お気付きの通り、良くない動きが無意識に行われ自動化されてしまう。

    この点で基礎を学ぶときは上級者や先輩に学ぶのが良い。
    早い段階で良い動きを自動化しておけば、後に苦労が少なくてすむ。

    まとめ

    フォームや型は長い歴史を経て受け継がれてきた伝統である。

    最初はなんでこんな動きなんだ?と疑問に思うかもしれない。
    拒絶反応を起こして我流を出したくなるかもしれない。
    だがそこはグッと堪えて、存分に旨味エキスを享受してほしい。
    結果としてそれが効率的なのだから。

    また基礎を学んだ人々は、たまに基礎へ立ち戻ってみるのをおすすめする。
    なぜこの動きが良いのか?を原点に立ち戻って問いなおす。

    ダブルダッチのターニングは肘支点なのはなぜか?
    2重とびで予備跳躍として「まえとび3回」をするのはなぜか?
    剣道で紙一枚入るぐらい踵を浮かすのはなぜか?

    問い直せば、それぞれにシッカリした理由があることに気づく。
    どうして効率的なのかを再確認できる。
    それは基礎の再構築への第一歩となり、あなたの意思が伝統に加わる。

    基礎の再構築についてはまた別の機会で。

  • 俺の考える技術論 「タテ」と「ヨコ」の技術

    俺の考える技術論 「タテ」と「ヨコ」の技術

    今回は技術のお話。

    少し前にアイディアvs技術っていう構図で波紋を呼んだ記事を書いた。

    技術とは「媚売り」の「クソくらえ」である – なわとび1本で何でもできるのだ

    少々過激なこの記事にもいくつか意見が寄せられて、
    自分も新しい発見があったり。

    そこでいい機会なので、技術について体系立ててまとめてみることにした。
    頭の中では明確にまとまってるけど、これがまた文字に表すと結構な分量…。
    ってことで小分けに記事にしようと思う。

    初の今回は「技術の伸ばす方向」について書いてみたいと思う。

    まずは技術の説明をwikiさんから引用。

    創作活動等において技・技術を屈指して用いるさまざまな手法を技法(ぎほう)という。技術を用いる能力は技能(ぎのう)と呼ぶこともある。希少価値のある高度な技能は一般に高く評価され、保護の対象となる。

    技と術

    技と術(すべ・じゅつ)は人の能力・機能・動きを表す概念である。技は特定の目的を持ち、その目的を果たすための手段・手法であるが、これを体系的にまとめたものを術という。

    技術 – Wikipedia

    まぁ小難しい…。
    ようは何かしら目的を持って行う動き、たとえば空中で2回縄を回すとか、に必要な手段ってとこかな。

    んで、いつも自分が技術練習するときに考えてるのがコレ。

    ①タテ方向の技術
    ②ヨコ方向の技術

    タテってのは上下方向。
    言い換えれば技そのもので、2重とびだのドンキーだのって名前がついてることが多い。

    ヨコってのは振れ幅。「技+α」の負荷を表す。
    たとえばダブルダッチでスピードを跳ぶとき、基本はターナーを見る。
    でもそれを敢えて客席の方を見るとなれば、技だけじゃない何かしらの技術が必要になる。
    言い換えれば熟練度だったり応用だったりするのかな。
    これがヨコ方向。

    タテ?ヨコ?

    タテ方向の技術は、何種類技ができるかが指標になる。
    2重とびだけができる人よりも、
    3重跳びやハヤブサができる人のほうがタテ方向の技術が高いことになる。
    単なわだとより回旋数が増えて、交差が複雑になって…。

    宙返りだと「ひねりなし」「半分捻り」「1回捻り」みたいな。

    これに対してヨコ方向の技術は、見た目には同じ技。
    例えばどちらも2重とびができるとして、
    片方の人はまえとび3回からリズムを付けて入ればできるのに対し、
    もう片方の人はいきなりできるし、跳びながら場所移動もできる、みたいな。

    この場合は後者がヨコ方向の技術が高いことになる。
    別の表現だと熟練度が高いとも言えるけど、ただ上手なだけじゃない。
    環境を変えてもできるっていう要素が加わるのだ。

    まぁ技によっては明確にタテとヨコを区別できないこともあるけどね。

    意識負荷という考え方

    この意識負荷というのは自分が勝手に作った造語。
    砕けた表現をすれば頑張ってる度数

    もしかしたら別の意味で学術論文に定義されてるかもしれないので、ここでは以下の意味として定義。

    技をするときに、どのぐらい意識が必要かの指標。

    たとえばバク転をするとする。

    バク転を習得したばかりの人が、恐る恐るマットに向かって行う。
    腕の振り方はこうで、膝を前に出さないように気をつけて、手首を内側に向けて…。
    失敗しないかなという恐怖も重なり、いろーーーんなことを頭を駆け巡る。

    一方でバク転歴数年の体操選手。
    彼らはバク転をするときに腕の振り方だの膝だのってイチイチ意識してるだろうか?
    もちろんそんなことなくて、彼らはすべてひとまとまりの動きとして、ヒョイとやれば出来てしまう。
    細かい身体の動きや意識を、ほぼ無意識に近い状態でこなしてしまう。
    これを自動化された状態と呼ぶ。

    日常動作だと歩く動作は自動化されている。
    凸凹のある床も歩ける。階段も登れる。
    さらに歩行動作上級者の我々は、
    スマホでゲームをしながらエスカレーターを登ることだってできる。

    さて、バク転に話を戻そう。

    先の初心者と体操選手を比べた時に、前者の初心者は意識負荷が大きくて、後者は意識負荷が小さい。

    ★★

    自分は人が動いている間に意識できる総量が決まっていると考えている。
    先の例のバク転初心者は、バク転そのものをすることに意識の大半を使っている。
    ミスるかもしれないし、怪我するかもしれない。
    つまり技自体に必死なのだ。

    一方の体操選手は、バク転そのものには多くの意識を入れていない。
    最低限の意識でバク転自体は達成できてしまう。

    ここには意識の余裕がある。

    意識の余裕があると別の箇所に意識を使うことができる。
    バク転だったら膝を閉じることやラインに意識を回せる。
    もし次に宙返りへ繋げるのであればバク転中にも関わらず宙返りへ意識を入れることができるだろう。

    同じことが縄跳びにも言える。

    技そのものに大きな意識負荷がなければ、別の箇所に意識を回せる。
    客席に向かって顔を上げることもできるだろうし、
    身体の姿勢を変化させることもできる。
    スピードやリズムを変化させることもできるようになるだろう。

    まとめ

    Dance-0117 Orton

    今回は技術を伸ばす方向についてまとめてみた。
    自分が何気なく発言する技術にも「タテ」「ヨコ」がある。
    この2つをごちゃ混ぜに話を進めるから、誤解を招くってこともあるわけで。

    タテ方向の技術を伸ばすのは大切だ。
    単純に種類が増えればそれだけ演技の幅が広がる。
    技を修得する楽しみもある。

    しかし自分が大切にしたいのはヨコ方向の技術である。
    意識負荷を低く抑えることができれば余計なことを入れ込む隙間ができるから。

    ではでは、また次回。

  • センスとは「モノマネ力」である

    センスのある奴は存在する。

    センスのある奴ってのは飲み込みが早い。
    センスのある奴ってのは上達が早い。

    センスのある奴ってのは…ちょっとムカつく(笑)

    ではセンスのある奴ってのは一体なんだろうか?
    今回のダブルダッチのトレーニングで、恐ろしいセンスを発揮したアーティストが居た。
    彼の上達するスピードは他を圧倒し、同じ練習量で数倍以上と思えるほどの成長を見せだ。

    そんな彼の姿を見て、センスとは何かを考察してみた。

    先に書いておこう。
    今回考察したのは「運動」に関するセンスの話。
    ファッションとか仕事とか多方面でセンスって言葉が使われてるけど、今回は運動習得が平均よりも早いことをセンスとして扱っている。

    ちなみに、
    今回の考察を通じて自分はセンスが無いなぁ…と、打ちひしがれたのは内緒である。

    センスのある奴はモノマネが上手い

    つい先日、アメトーークでものまね芸人をやっていた。
    お笑い大好きな我が家では腹を抱えて笑った。

    実はセンスのある奴ってのは、このモノマネがとても上手い。
    もちろん出川哲朗の声真似ができるって意味じゃなく、
    他の人がやっている運動をモノマネする能力だ。

    運動をモノマネするのは難しい。

    とくにそれが技術を必要とする運動だと結構たいへん。

    たとえば「2重跳び」を思い浮かべていただきたい。
    このブログでも人気記事の一つになってる二重とびの練習だが、
    一見すると縄を空中で2回まわしてるだけ。
    見れば誰にでも理解できるし、おそらく大くの子どもたちはこのブログの練習方法で習得してくれたことだろう。

    だが3重とびはどうだろうか?

    2重とびにもう一回加えるだけ。
    見ればだれでも理解できる。
    でも、できない。
    これがモノマネが難しいということだ。

    同じことは別の運動にも当てはまる。
    ボールの投げ方然り、走り幅跳びの踏切然り、
    見るとできそうなのにできない運動って、いくつもある。

    ★★

    ではセンスのある奴はなぜモノマネが上手いのか?

    奴らは憎たらしいことに、数回見ただけで上手に真似をする。
    他の人が時間のかかるところも一気にすっ飛ばして習得してしまう。

    これは本人たちが意図しているかは別にして、
    動きを分析する能力、身体に反映させる能力に優れているからだと思う。

    モノマネをするにはまず、対象になるものを観察することから始まる。
    次にどのような特徴があるのかを見つけて、
    掴んだ特徴を自らの身体に反映させて実際に動いてみる。

    これが一般的なモノマネをする過程であろう。

    センスのある奴らはこの過程の速度が早い。
    もっと砕けた言い方をすれば「カン」が良いのだ。

    二重とびの記事で「カン」を体得するためのトレーニング方法をいくつも紹介している。
    センスのある奴らは運動を見ただけでこの「カン」を瞬間的に理解、把握して、自らの身体で再現することができる。
    しかも憎たらしいことに、センスがある奴らは自分の身体が今どのように動きているかを認識する力に長けていて、鏡や映像を見なくとも、どの動きに問題があるかをいち早く発見することができる。

    これはもはや、持って生まれた才能だ。

    凡人はどうやってセンスを磨くか

    生まれ持ってセンスのある奴らが居るのは、これは仕方ない。
    ではどうやれば奴らのような「センス」を身に付けることができるか。

    それには上記の能力を磨くことである。

    目の前の運動を見た時、

    どの部分を動かしているのか、
    どのぐらいのスピードなのか、
    速度は一定なのか、不規則なのか、
    リズムはあるのか、
    別の部位との関係性はどうなっているのか、
    呼吸はどうなってるか、

    ・・・
    ・・・
    etc…

    とまぁ、運動を可能な限り入念に「見る」のである。
    そして掴んだ特徴を自分の身体に置き換えて実践する。

    あとは映像を見たり、鏡を見たり、
    他者にアドバイスを貰ったりして、徐々に修正。

    自分の身体がどう動いているかを感じることも大切だ。

    映像では「今この瞬間」の動きを見ることはできない。
    鏡では左右が反対になるし動きを見ながら動く変な癖がつく。
    いまこの瞬間に、どうやれば掴んだ特徴に近づけるかを、動きながら感じるのだ。

    まとめ

    センスとは「動きを分析する力」「自らの身体で再現する力」「自身の身体がどう動いているかを認識する力」の3つで構成されている。

    この力を伸ばしていくことで、我々のような凡人にもセンスある奴らに太刀打ちできるようになるだろう。
    だが一つだけ凡人に救いがある。

    センスのある奴らはこれら3つの能力が長けていることも、自分がこれらの過程を通じて運動を習得していることにも気づいていないことが多い。

    無意識のうち、本人のカンだけで掴んだ「運動の分析」は、言語化がしにくい。
    つまり他の人に伝えることが難しいのだ。
    よくいう「名選手、名コーチにあらず」ってやつかな。

    センスのある奴が「俺はこうやってる!!」って言っても、
    具体的にどうやってやってるかを説明することができない。
    なぜなら本人も言語では理解してないからだ。

    反対に我々のような凡人は、丁寧にモノマネの過程を意識する。
    あーだこーだ考えながら時間をかける。
    この時間こそが「言語化」なのだ。

    こうして「言語化」しながら習得した運動は、
    その運動を他の人に伝えるときに大きな役割を果たす。

    そして今度はセンスのある奴らのほうが苦労する番なのだ。

    早かれ遅かれ、センスの有り無しにかかわらず、
    どこかしらでみんなが一度は苦労するように、うまく出来ているのかもしれない。

  • ラヌーバ「なわとびアクト変革計画」 最終章 ~ラヌーバにダブルダッチを迎える~

    ラヌーバ「なわとびアクト変革計画」 最終章 ~ラヌーバにダブルダッチを迎える~

    なわとびアクト変革計画もついに最終章。

    これまで「キャラクター」「トライアングル」と二つの柱を変革を行ってきた。
    そして13日(木)の1stショーでついに三本目の柱、
    ダブルダッチがラヌーバに迎え入れられた。

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    守秘義務の関係でずーーっと書けなかったけど、
    もうショーで実際に披露してるから晴れて堂々と書ける。

    まぁそれはそれは嬉しい瞬間だったわけで。

    コーチという貴重な経験

    最後の変革によって自分が得たものは、大きな経験だった。

    シルクドソレイユでは通常、「専門家」がショーで演技を行う。
    体操選手がタンブリングをやったり、鉄棒やったり、
    サーカス学校の出身者が空中ブランコをやったり。

    当然といえば当然だ。

    でもなわとびのアクトに限っては例外である。
    これは極めて稀なことで、
    他のアーティストを巻き込んで演技を構成するのだ。

    三本目の変革計画でダブルダッチをやろう!って話が持ち上がった時、
    新しい縄跳びアーティストを入れるのかな?なんて淡い期待を抱いた。
    でも残念ながらそんなことはなく、
    他に専門を持っているアーティストをイチから育て、ダブルダッチの演技を行うことになった。

    縄跳びアクトには他にも長縄やトライアングルと呼ばれる演技があるが、
    これらも全て専門外のアーティストが担当している。
    自分たちソリストが全く手を付けないで演技が完結するのだ。

    ダブルダッチに関しては跳ぶパートこそソリストが担当するが、
    縄を回すのは他のアーティスト。
    別のアクトだったら考えられないが、彼らはダブルダッチ経験ゼロからスタートする。

    ★★

    以前の記事で紹介したが、ダブルダッチは縄を回すのが難しい。
    縄の如何によっては演技の成功失敗を左右する。

    ディレクターの意向によりソリストは中で跳ぶ。
    よって他のアーティストが縄を回し、その中で自分たちが跳ぶ。
    こりゃしっかり縄回しを練習しないとヤバイ。

    いろいろ考えた。
    なわとび教室の時の学習指導案とかも引っ張りだした。
    映像もけっこうな数を見た。
    プレイブックなんか、何年ぶりに開いただろうか。

    前の記事で書いたように、15分トレーニングのメニューを考えるのも必死だ。
    何しろディレクターに丸投げされてるからね。
    まぁ信頼してくれてるんだよね?ってポジティブに捉えつつ(笑)

    だけど結果として、「丸投げ」をしてもらったことにより、
    トレーニングの舵取り、アーティストとのコミュニケーションなど、
    本番のステージに向けて演技を創りあげる過程をガッツリ経験することができた。

    しかも実際にシルクドソレイユのステージで披露されるなんて、
    そうそう出来る経験じゃない。

    同時に感じる危機感

    晴れて本番で披露の日。
    偶然にも創設者のギー・ラリベルテが客席にいるっていう緊張要素も加わったが、
    無事にノーミスの演技を披露することができた。
    さすがは本番に強い仲間たちだ。

    さらに嬉しい事に演技中に観客からの反応もあり、
    ディレクターも満足した様子で変革の最後の柱は無事に完了した。

    だがこれは同時に、
    なわとびアーティストの一人としては危機感を覚える。

    ★★

    考えてみると、ダブルダッチをアクトに取り入れるにあたり、
    創る方にも演じる方にもダブルダッチの専門家が関わっていない。
    たしかに最初の1周間はAdriennが居たが、彼女もダブルダッチは自分たちと同レベル。

    それでもいま、こうしてショーでダブルダッチを披露している事実。

    これはダブルダッチ専門家の仕事を奪っていることを意味する。

    いまラヌーバでやっている演技は、
    同じくシルクドソレイユに出演したカプリオールの演技と比べたら、
    もちろん天と地ほどの差がある。

    だが、
    ちゃんと教えれば、専門外のアーティストでもダブルダッチできるんじゃね?
    というこの会社の認識こそが、多大な意味を持っている。

    ここは体操選手をサーカスアーティストに育て上げるシステムを確立した会社だ。
    専門外の人であっても教えられると認識されてしまえば、
    まったくダブルダッチの経験が無い人にも、出演のチャンスを奪われる可能性がある。

    なわとびアーティストの「専門性」とは何なのか。
    そう簡単には素人に習得できない絶対的なモノとは何なのか。

    いま一度、しっかり考える必要があるのではないだろうか。

  • 学生は、目立たなければ勝てないジレンマに押し潰されている

    ふとした些細なツイート、リツイートがなぜか波紋を呼んでしまった。

    波紋を広げている話題は「アイディア」vs「技術」。
    自分はこれまでにも基礎力やら技術力の大切さをこのブログを通じて主張してきたけど、
    まっこうから反対する意見が散見される。

    ひょっとしてこれが、新しい風というヤツだろうか。

    他人の取る手段に明らかな問題があると感じるときは目指す目的が異なる事を疑った方がよい – 太陽がまぶしかったから

    思うことはいくつもあったけど、この記事を読んで納得。
    そもそも目的とする方向が違っていたのだ。

    学生で使える時間

    ダブルダッチをしている現役の人と言えば、その多くが大学生であろう。
    彼らは入学すると同時にダブルダッチの魅力にハマり、練習を開始する。
    そして世界大会の「NDDL」だったり「Double Dutch Contest World」を目指す。
    地方予選、全国大会、そして世界選手権。
    殆どの大学生ダブルダッチャーが夢見るサクセスストーリー。

    だがここには大きな条件が加わる。

    時間が有限であることだ。

    世界選手権は毎年12月に開催され、その国内予選は9月~10月にかけて開催される。
    んでもって大学の4年生が最後の試合って感じになるのかな?
    就活が忙しい場合は3年生の大会に照準を合わせるかもしれない。

    こう考えると、かなり時間は限られている。

    たとえば新入生で5月にダブルダッチを始めたとしよう、
    4年生の国内予選に照準を合わせるとすれば、3年と4ヵ月しかない。
    3年生だとしたら2年と4ヵ月

    限られた時間の中で世界を目指す競争は熾烈を極める。
    そうなれば、いかにして大会で勝つかを考えるのも自然な流れである。

    技術とか言ってる時間はない

    時間を最大限有効に活用するため、
    アイディアや突飛な発想が無いと上位に食い込めない。
    これが「技術は媚売りクソくらえ」論の肝ではないだろうか。

    世界を狙う全てのチームが全身全霊でぶつかってくる。
    加えて限られた学生という時間に、いくら他を犠牲にしたとしても、
    練習時間によって圧倒的な優位に立つことは難しい。

    ここで、アイディアの登場だ。

    技術に時間を割くより、
    他チームと違うことをして目立ち、いかにして記憶に残れるかを考える。
    特に1年生とかは練習量で上級生に勝てないならアイディアで攻めよう。

    これが彼らの言う「パフォーマンスの大会」に対する考え方だと思う。

    さらに補足。技術が媚売りというのは、
    「技術」=「一般に支持されるもの」という考えから来ている。
    これさえやっとけばウケるっしょ?みたいな傲慢な態度が背後にあるとも言えるだろう。

    ここで言う技術とは「一般にウケるため」に為され、習得されるもので、
    ウケるために身につける「媚売り」の行為だという。
    つまり「技術」とは陳腐で創造性のないもの、
    もしくは「客に拍手をもらうための記号」として捉えられているのだろう。

    まとめ

    賛否両論あるだろうが、今回「時間の制約」や「目指している方向」の2点を考えに入れた時、
    素直にこれも一つのやり方なんだと納得することができた。
    同時に日本のダブルダッチ事情を少しだけ理解できたような気もする。

    できるだけバイアスがないように理解したつもりだが、
    真逆の意見ゆえに少なからず誤った認識が含まれるかもしれない。
    この点はお許しいただきたい。

    ただ今後も、老害にならない程度に意見を発信していきます。
    目的とする方向が違うかもしれないけど、
    どっかの誰かには役に立つかもしれないとの希望を込めて…。

    ではではー。

  • ゴマすりは万国共通スキルなので、毛嫌いしてる場合じゃない。

    先日、モントリオールの本社から上層部の定期訪問があった。
    毎年一度はギーさんとかお偉い系の人の訪問があるけど、
    今回のはちょっと内部事情によりイレギュラー。

    今回来た人は副社長?って感じの役職の人と、
    複数の常設ショーを管轄してるディレクター。
    このディレクターは、出世する前はアレグリアの日本公演にも同行してたっけ。

    まぁともかく、シルクドソレイユ的に上層部の偉い人。

    やっぱり偉い人が来るってなると、シアターの中の雰囲気が変わる。
    とくに上層部と直接的に関係を持つ人は何とも言えない空気を醸し出す。

    こんな人たちを見てると、この場所もやっぱり企業なんだなって再確認する。
    表向き観客からは見えないけど、裏側では色んな人がいるわけで。

    具体的な役職名は挙げられないけど、
    上層部と直接的に関係する部署は限られる。
    それはショー運営に関わる部署だ。
    当然っていえばそうだけど、シルクドソレイユの中でもショーの優先順位は高い。
    したがって上層部が視察する対象もショー関係がほとんど。

    もちろん自分たちアーティストとも会話はする。
    でもね、やっぱり一番気を使ってるのはアーティストじゃない。
    なにしろアーティストは全力でショーをする以外ないから(笑)

    ★★

    お偉いさん達に直接関与する人たちは大変なんだろうなぁって思う。
    たとえば最近やらせてもらってる「ラヌーバ改変計画」のトレーニング。
    普段は自分が仕切ってるし縄跳びのことだからって任せてもらえてるんだけど、
    なぜか数日だけトレーニングを見学する人が多かったり…(笑)

    こっちとしては観客を想定した練習ができるから大歓迎なんだけど、
    なんで彼らが普段任せっきりの仕事にまで顔を出すのかなって考えると(汗)

    やっぱり大変だなぁ。

    しかも普段見てないからトレーニングの内容を把握してなかったりして、
    自分と会話が上手く咬み合わないパプニングもしばしば。
    別にこっちとしては噛み合わなくても来週からはまた来ないんだし良いけど、
    上層部の前で見学に来る人達からしたら…冷や汗モノなんだろうなぁとか邪推して。

    ★★

    といっても、
    ちゃんと日頃からトレーニングの見学しとけ!とは言わない。
    彼らには自分の知らない忙しさがあるだろうし、事務作業もあると思う。
    縄跳びのことなら自分たちが一番わかるし。
    けど上層部が来るからって突然見学に来ちゃマズイっしょ。

    何なら事前に少し耳打ちしてくれれば、口裏ぐらい合わせたのに。。。

    きっと彼らの業務は日頃のショーの仕事だけじゃない。
    こうした定期・不定期の上層部訪問に際して、
    いい感じに自分の仕事ぶりをアピールすることも大切な仕事なのだろう。

    たぶんこれは万国共通の話なんじゃないかな。
    日本の企業については詳しくないけど、
    脱社畜ブログさんを始め色んな人のブログを通じて雰囲気だけ感じられる。
    きっと上手に世渡する力って必須なんだろうなって。

    ★★

    ゴマすりと書くと語弊があるかもしれないが、
    少なくともこの会社では必要なスキルだ。

    けど飲み会でお世辞を言うとか、ましてや賄賂を渡すとかそういうのじゃなく、
    上手に上層部とコミュニケーションを取るって意味で。
    幸いにも英語が共通語のため敬語だのなんだのに気を使う必要もないし、
    上層部とはいえ気兼ねなくフレンドリーに会話をすることができる。

    でも上手に話題を広げたり会話を盛り上げるって難しい。
    ネイティブor非ネイティブもあまり関係ない。
    盛り上がる人は盛り上がる。コミュ力ってやつ?

    幸か不幸かアーティストという立場ゆえに、
    上層部に対して上記の意味でのゴマすりをする必要はない。

    単純にショーの感想とかダメ出しを貰えれば満足だし、
    違った視点のアイディアとかを貰えたりなんかした日には大満足。
    いくら上層部とはいえ、この会社で働いてる以上ショーが好きな人ばっかりだからね。

    まぁ少しぐらいゴマすりをしといた方が、将来に繋がるのかもしれないけど。
    なんかそれは違う気がするし。

    ★★

    現在の上層部とのやりとりを見て、
    いま頑張ってゴマすりをしてる人が出世してくれたら嬉しい。
    身近な人が出世していけば、別の形で一緒に仕事ができるチャンスが巡ってくるかもしれないし。

    仮に何年後か先に自分がラヌーバを離れたとして、
    その時に今ごますりをしてる人たちがずーっとラヌーバにいたら、
    ラヌーバに残ってない限りはもう二度と一緒に仕事ができない。

    でも彼らが出世してたら、それこそ別のショーとかで一緒になるチャンスもある。
    もしかしたらシルクドソレイユ以外の場所でかもしれない。

    こんなことがあったら素敵だなぁって。

    ってことで、
    ゴマすりには協力するので見学に来るのは突然じゃなく、
    口裏合わせをしてからにしてください(笑)

  • 強さは波及力。日本のダブルダッチが世界に与える衝撃がスゴイ。

    今年もオーランドで開催されるんだ!!
    World Jump Rope、アメリカが主体になって開催する世界選手権。
    去年も遊びに行ったけど、今年も行きたいなぁ。

    縄跳びの大会っていくつかある。

    自分が出場してきたFISACも世界選手権の1つだけど、
    個人的にこのWorld Jump Ropeは今後大きくなっていく大会だと思ってる。

    ★★

    アメリカの縄跳びスタイルは「アクロバット」だ。
    もはや宙返りとかが出来ないトップ選手はいないんじゃないかな。
    なかには固い床で捻りを入れ始めてる人もいるし、その進歩は止まらない。

    最近ではアフリカ勢もアメリカ代表としてどんどん勢力を伸ばしてきて、
    バネバネの実を食べたとしか思えない人達ばっかり。
    4重とびなんて当然で、5重とびの連続を繰り出すような選手だっているのだ。

    だがそんなアメリカにも自分は弱点があると思う。
    それは、世界的なダブルダッチの波に乗り遅れていることだ。

    スタンダード化するJapanese Style

    日本発信のダブルダッチは、いま世界でも大きな動きになっている。
    なかでもフランス・ベルギー・香港は「Japanese Style」をいち早く取り入れた国だ。
    これらの国ではダブルダッチのみの大会も開催されていて、
    Double Dutch Contestの国大会なんてのもあったりする。

    ちなみにその世界選手権は3月に日本で開催されるんだけど。

    Double Dutch Contest World 2014
    DOUBLE DUTCH CONTEST 2016

    ダンスと融合したJapanese Styleのダブルダッチ。
    こう見ると縄跳びって括りから飛び出しながら発展してる様にすら感じる。

    こうしたJapanese Styleのダブルダッチの波がある一方で、
    アメリカは一歩後れを取ってしまった。

    彼らの演技は主にアクロバット。それはダブルダッチでも同じこと。
    ところがアクロバットに偏るあまりに、
    カウントや観客を意識した演技という概念を蔑ろにしてしまった。
    各国のダブルダッチャーがこぞって音に合わせたパフォーマンス性の高い演技を作る中、アメリカだけはこのお家芸を捨てられず、昨今まで来てしまったのである。

    もちろんアメリカの一部トップ選手たちは気付いていたはずだ。
    Japanese Styleが世界に広まるキッカケは2004年のFISAC大会までさかのぼる。
    当時も世界トップだった「日本ダブルダッチ」の面々がオーストラリアで披露した演技は、
    世界中の縄跳び関係者に大きな衝撃を与えた。
    会場からの割れんばかりの拍手、スタンディングオベーション。
    一緒に会場から見ていたが、バックで流れている音楽がかき消されるほどの喝采だった。

    この大会に参加していたベルギー、香港はいち早くこのJapanese Styleを取り入れ、
    この流れに続くように、続々と各国の選手達が取り入れるようになっていく。

    そしてアメリカも同じ会場で演技を見ていたはずなのだが…。
    彼らがお家芸から脱却するのには、少々時間がかかってしまった。

    ★★

    今年のWorld Jump Ropeに向けて、初めて日本で国内予選が開催される。

    World Jump Rope Japan Selection
    http://jdda.jp/wjr.html:title:bookamrk

    世界トップクラスのパフォーマンス性を持つ、本家Japanese Styleの日本チーム。
    オーランドで彼らがガッツリ会場を盛り上げてくれたら、
    アメリカの縄跳び界に新たな衝撃が走ること間違いなし。

    もしかしたら次回のコンテスト辺りで、Japanese Styleを取り入れたアメリカチームが大勢で乗り込んでくるかもしれない。

    アクロバットが上手なアメリカ人。
    しかも世界最大の選手層を誇るこの国が本気を出したらどうなるだろうか。

    縄跳び世界最強の呼び声が高いアメリカ。
    ここから新しい風が生まれるのが待ち遠しい。

  • 自作自演だけじゃ、今後ダブルダッチの大会は勝てなくなる。

    以前、Twitterでこんなことをつぶやいた。

    ダブルダッチは人に向けて行う演技だ。
    ダッチだけじゃなくて広い意味で「縄跳び全般」は人に向けて行うパフォーマンスにすることができる。

    最近、「縄の演技」の振り付けをしてみたいなぁって衝動に駆られている。

    縄跳びの演技と言ってもあまりピンと来ない人のために。

    この演技は大好き。
    日本ダブルダッチの底力を感じる。

    音楽に合わせて踊って、跳んで、そして回って。
    客席に居た世界中の選手がスタンディングオベーションだったのは今でも覚えてる。

    ★★

    縄跳びの演技って色んな人が作ってる。
    けどもっとも多いのは「本人」が演技を創ってるチームだ。
    自作自演って言うと変な響だけど、跳ぶ人が自分自身の演技を創る。
    まぁ至って普通のことだ。

    なかにはジュニアだったりで、講師が演技を作ってるチームもあるだろう。
    でも大学生以上の大人の場合、ほぼ100%のチームの自分たちで演技を作ってると思う。

    ダッチをする人だから、当然ダッチを知ってて、盛り上がる演技構成を知ってて、研究もしてる。
    競技に向けた演技だったらなおさら、どうやったら勝てるかを必死に考えてるだろう。

    これは一つのやり方だし、勝負に勝つためには理にかなってる。

    だからこそ、全く関係ない人の振付を経験したら面白いんじゃないかな?

    たとえばストリートダンスの人に振付てもらうとか。
    ダンス影響を大きく受けてる日本のダブルダッチなら、親和性もあるはずだ。

    チャレンジャーなとこで言えば「コンテンポラリー」の人に振付てもらう。
    HIPHOPとは違う畑だけど、同じダンス。ダッチにとっても発見はあるだろう。

    あとは大道芸の人ってのも面白いと思う。
    ストリートで演技をしてる人とか、舞台でパフォーマーやってる人とか、
    それぞれに違いがあるだろうし別世界の感覚があるはず。

    そしてサーカスの人。
    アクロバットが日進月歩のダブルダッチにとって新しい風が入ると思う。
    何しろサーカスはアクロバットが主体だからね。
    伝統的なポージングとか動き方とか、古臭く見えるかもだけど意外な発見があるかもしれない。

    単なわの人が振付けるのなんていかが?

    自分自身もダッチチームの振り付けをやってみたい。

    残念ながら自分はダブルダッチの経験は殆ど無いし、イロハのさわり程度しか知らない。
    まぁコンテストのVol3とか出たけど…(古っ!)

    あるのか分からないけど、ダッチ的に非常識なことも知らない。
    タブーとか無理難題ってのも知らない。

    メチャクチャなこと言うと思うけど、それもまた面白そうじゃない?(笑)

    ★★

    まぁただ、他ジャンルの人の振付で大会に勝てる演技ってのは無理だと思う。
    学生にとっては大会で勝つことのウエイトは大きいだろうし、
    それこそ競技に向かってる以上はダブルダッチそのものを研究したほうが良い。

    あくまで別ジャンルと交流すると新しい発見とかがあるよ!って話。
    もしかすると競技を退いてる社会人とか、それこそプロチームが取り組んでも面白いかもね。
    この点でカプリオールはすでにサーカスの人による振り付けを経験してるからこそ、
    コンテストの時の演技ができたんだと思う。

    将来に形にできたら面白そうだなぁ。

    誰か、振り付けやらせてーー。

  • ニュートラルマスクのワークショップで「表現力」のイロハを叩きこまれてきた

    ニュートラルマスクのワークショップで「表現力」のイロハを叩きこまれてきた

    The Play is the Thing

    伝わるのはたった7%
    これはコミュニケーションにおける「言語情報」で伝わる割合だという。

    アルバート・メラビアン – Wikipedia
    矛盾した内容を送っている場合、

    言葉がメッセージ伝達に占める割合は7 %、声のトーンや口調は38 %、ボディー・ランゲージは55 %と言う事です。

    「ボディーランゲージ」は言葉と同じか、それ以上に相手へと伝わる。

    これはステージ上でも同じ。
    声を発するお芝居はセリフも重要かもしれない。
    しかし自分たちはセリフを使わずに客席とコミュニケーションをする。

    じゃ、どう動けばより伝わるのか?

    今回、そんなステージで有効なボディランゲージを学ぶため、
    ラヌーバで主役のキャラクターを演じている「Cheryl Ann」による、
    Neutral Mask(ニュートラルマスク)のワークショップが開催された。

    Neutral Mask(ニュートラルマスク)とは?

    自分はこの言葉を知らなかった。
    演劇界では一般的なトレーニング法みたい。

    BBS[詳細] | 演劇・ミュージカル等のクチコミ&チケット予約★CoRich舞台芸術!
    フィジカルシアターフォーラムへようこそ

    ザックリいえば、能面みたいなマスクを付けて動き回る。

    DSC_0238

    まさにこんな感じ。
    一見怪しい集団だけど、本当にこんな風にみんなで動く。

    このトレーニングの趣旨はまず、顔の表情に頼らないことだ。
    もちろん表情も大切なんだけど、顔の表情を作っていくと表情だけで誤魔化してしまう。
    小さなステージなら良いかもしれないけど、大きなステージじゃ顔の表情は観客席まで届かない。

    身体全体で表現する必要がある。

    これはダンスの世界でも「顔サー(ガンサー)」って揶揄されるらしい。
    いちスタイルって話もあるけど、顔芸だけの踊りじゃダメって戒めなんだろうね。

    自分もこれは耳が痛い。
    なぜなら高校生の頃からずーーっと、顔芸で縄跳びをしてるって言われてきたからだ。
    至近距離で跳ぶことが多かったので顔芸もある程度通じるけど、
    いまの広いステージでは正直微妙。

    むしろ顔芸によって身体の表現が疎かになってる。

    ★★

    Neutral Maskでは表情のないマスクをつけることで、強制的に顔芸を封印する。
    同時に顔を見られないという謎の安心感があり、動く恥ずかしさを克服しやすい。
    この羞恥心こそがステージでの最大の敵だったりする。

    そもそも人前で緊張しないってのは不自然。
    さらに動いたり歌ったり演じたりすれば、羞恥心が出て緊張するのは自然だ。
    でも無駄な緊張や羞恥心を克服できないと、演じるステップには進めない。

    んで、このマスクは羞恥心を乗り越えるためのイイ盾になるのだ。

    考えない、作らない

    ワークショップ中にいくつかのキーワードが頻繁に出てきた。

    1.呼吸
    2.考えない
    3.自然に出てくる動きに任せる

    呼吸は感情を作るという。呼吸のリズムによって「喜怒哀楽」が生まれる。
    そしてそれは、身体の動きへと伝わっていく。
    別に何も考えてない。
    なのに不思議と呼吸を意識すると気持ちが変化していく。

    すると、動きが生まれていく。

    繰り返しだけど、ホントに何にも考えてない。
    ここはこういうシーンでとか、この動きが正解かな?とか、まったく皆無。
    本能のままに動いてるってのが近いかもしれない。
    さらに面白いのが、この無意識に出てきた動きに合わせてまた気持ちが変化していく。

    こんなスパイラルを繰り返しながらワークショップは進んでいった。

    お前は動きすぎ

    ワークショップの最後に講師のCheryl Annからのコメント。
    まぁ通常だと参加者の良かった所を指摘していく。

    けど自分はガッツリとダメだし(汗)

    その場では「なんで?」って少しカチンと来たけど、
    考えれば確かに的を得ててぐぅの音も出なかった。

    「お前は動きすぎ。」

    この一文に全てが集約されている。

    ワークショップ中、顔芸の封印された自分はどうしていいか分からなかった。
    しかも一人で立たされた瞬間、激しい不安に陥る。
    人間、不安になると無駄に動くようになるんだね。
    Cheryl Annはこれを見抜いて、お前は動きすぎって指摘したのだと思う。

    ★★

    あまり参加者は多くなかったけど、正直にすごいなぁって人が多かった。
    この場所に来るべくして来たんだって思う。
    無表情のはずのマスクなんだけど、時々表情があるような錯覚に陥るほど。

    ワークショップを通じて、改めて自分の無力さと無知さを痛感。
    何が足りないのかも少しだけわかった。

    演じるのは好きだけど、道のりは長いなぁ。。。