こんにちは!
なわとびパフォーマーのまっちゃんです。
縄跳びが上手になる方法を日夜研究していまして、毎日のように子どもに指導をしています。他人の子供に教えることが多いんですが、我が子も2019年で6歳になり、なわとびに興味を持つようになりました。
親心もあって、本気で縄跳びを教えれば上手にさせることもできます。でも、あえて子供には無理に上達する方法を教えないようにしているんです。
[toc]効率のいい練習の弊害
当然ながら練習には効率のいい練習と悪い練習があります。上達のための近道は効率よく、合理的に行われる練習のはずです。
でもよく考えてみると、効率のいい練習って周りの大人が導き出した答えをなぞらせてるだけなんですよ。多くの実証や研究のもと、この練習が最も効率が良い!!と結論を出して、その方法を実践する。
ここに、子供はおろか指導者の意思も存在してないんです。
自主性を奪ってしまう合理化
効率化・合理化した練習は上達を早めることでしょう。しかし同時に「自主性」を奪うリスクがあります。
過去の実証や研究の結果で成り立つ方法なので、常に後追いの状態で練習を進めざるを得ません。すると、自ら問題を発見する必要はありませんよね。なんなら、問題を解決する必要すらないんです。
子供が問題を解決するぐらいなら、過去の実証と研究で解決したほうが効率的です。
こうして効率化の行く先は自主性を奪う結果になるのです。
絶対量をこなす必要性
縄跳びに限らず、技術を磨くには絶対量をこなす必要があります。回数をこなし身体に染み込ませる過程は、どれだけ効率化しても逃れることはできません。
しかし、効率化や合理化を大きい声で叫ぶ人ほど、愚直な反復練習を否定してしまうんです。
無意味な練習ならやる必要ありません。でも、反復練習は無意味じゃありません。
当たり前ですが、運動を覚えるには言葉で説明されただけじゃできるようにならないんですよ。失敗して、成功して、また失敗して・・・こんなふうに試行錯誤を繰り返しながら、徐々に正しい身体の動かし方を身に着けていきます。
考えれば当たり前のことなのに、なぜか反復練習をすっ飛ばして上達したがる人が多いんですよ。
目標や目的はあとから付いてくる
目的や目標を持つのは大切だと言われてますが、これって反対じゃね?と思っています。
我が子は今、音楽に合わせてひたすらに縄跳びを跳ぶのにハマっています。5分や10分じゃ飽き足らず、好きな音楽に合わせて1時間でも2時間でも跳び続けてるんです。
上達の目的なんてありません。だって、跳ぶこと自体が楽しくて目的になってるんですから。目的を持って練習をするのは後から考えればいい。目標だってやりながら見つければいいんです。
音楽に合わせて跳ぶのが楽しい!を続けているうちに、新しい技がどんどんできるようになりました。つい先日も3重跳びを跳びまして、本人も親がビックリしています。
まじか…!?😱😱😱
#年長 #6歳 #三重跳び #できちゃった pic.twitter.com/DeFz8tKxVs— 粕尾将一/縄跳び✖︎ブロガー@元シルクドゥソレイユ (@macchan8130) October 9, 2019
練習の効率化や合理化を急いでいたら、我が子の上達は早まっていたかも知れません。でも、いまのように自発的に縄跳びをするモチベーションがあったかは分かりません。
運動が楽しい!!=運動そのものが目的になる。
非効率的なやり方に思えますが、一周まわって合理的で効率がいいのかも知れません。