なわとびコラム

その難しさ意味ないですよ?技を見せると、技で魅せるの違いを知ろう。

こんにちはー。 縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

みなさんはスポーツ系のパフォーマンスをご覧になったことはありますか?

たとえば新体操。シルクドソレイユで新体操が取り上げられたように、一般向けのパフォーマンスとして披露されています。

縄のまっちゃんがやる縄跳びパフォーマンスも、ロープスキッピングが基本になっています。採点競技はダイレクトにパフォーマンスに通じるんですよね。

ただ競技経験者こそ、パフォーマンスとして人前に立つとき常に注意しないきゃいけないんですよ。

点数をつけるにはルールが必要

採点競技は大抵の場合、難易度と構成の二種類で採点されます。

縄跳びだと「三重跳びはレベル○」「交差の入った4重とびはレベル○」といった具合に、全ての技に難易度が当てられます。そして「音楽との調和」「フロア移動」などの項目で構成点がつきます。

あと、演技中に入れてね?と決まった技をやると、それだけで点数が加算される。

こんな風に、ルールで決まった内容に沿って演技を創るのが鉄則なんですよね。

人は「フォルム」で判断する

ところが、競技で評価される難しさって世間の人にとっては「しらんがな!」なんですよ。

ぶっちゃけ宙返りで3回ひねっても4回ひねっても、素人目にはほとんどわかりませんよね?同じことが他の種目でも言えます。さらにシンドいのが、ほぼ同じ見た目なのに違う技の組み合わせだよ!ていうやつ。

三重跳びの連続コンボとか「早くロープが回ってる高いジャンプの技の繰り返し」です。

たとえ背面で交差しようが、クルーガからOpenに抜こうが、TSクロスクロスを入れようが、印象は「早くロープが回ってるね?」です。

世間とのこの食い違いに気付けるかどうかは、人前に立てるかどうかの大きな差になっていきます。

しかし競技出身者にはプライドがあるんですよね。自分だってそうです。

「こんな簡単な技じゃ…小学生でもできるし…もっとハイレベルの技を…。」

しかしこうしたプライドは世間との感覚に溝を作るだけ。あなたが思う「スゴい?」と、世間が思う「スゴい」がズレてしまえば、良い演技を作るのがどんどん難しくなってしまうんです。

技という枠に囚われる落とし穴

UrbaN CreaturEs

一般向けの演技を作る時、技を見せるのか?技で魅せるのか?」の感覚が重要です。

競技者はどうしても技を見せたがります。これってつまり、難しいことやってるから評価してね?って意味なんですよ。そうじゃなくて同じ技でどんなことができるか?に焦点を当ててほしいんです。

たとえば二重とび一つにしても、腕の振り方やジャンプの高さ、顔の向きに移動の有無…。動きバリエーションは無限に考えられます。でもこれらはルール的には評価をされない。競技の枠では無視されてる価値観なんです。

だからこそ、ほとんどのスポーツ系パフォーマーが見落としやすいポイントなんですよ。

さらに言えば難しく複雑な技ほど、動きのバリエーションが作りにくく失敗のリスクが高くなる。皮肉なモノですが、競技で評価される技ほど世間的には冷たい反応が返ってくることが多いんです。

おわりに

試合は公平に勝負をつける場所です。だから客観的に示せる難易度や構成を評価して点数を出します。パフォーマンスはもっと曖昧です。何が良いか悪いかの基準を見つけるところから始めなければいけません。

技の難しさと演技の善し悪しは関係ありません。

むしろ「難しさ=正しい」の思考に囚われているうちは、観客の声が聞えていないのかも知れません。