パフォーマンスの哲学

限界を知ったとき、人は初めて本当の意味で創造的になる

こんにちはー。縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

これまで縄跳び競技シルクドソレイユで長期間にわたって縄跳びを続けてきました。人前でパフォーマンスをした回数ももはや数えられません。

長年やっていると自分のジャンルの限界を痛感する瞬間があります。はじめた当初は無限の可能性を信じて疑わなかったんですけど、広い世界を見れば見るほど縄跳びにできることってこれだけなんだ…と切なくなります。

あるときから、縄跳びに関係ないことにも積極的に関わるようになりました。

実はこれ縄跳びの可能性に限界を感じたからこそなんです。

縄跳び演技が珍しいのは時間の問題

縄跳びのパフォーマンスと言えば、こんな風に音楽に合わせて演技を披露するのが一般的です。

幸か不幸か競技人口が少ないこともあり、2016年現在も音楽に合わせて縄跳びをするのは珍しいです。しかしこの状況は今後、間違いなく変化していくんですよ。

競技人口は増えるしフリースタイルなわとび*1の知名度も広がっていきます。これだけ全国の小学校で縄跳びをしてるんですから、広がらない方が不思議ですよ。

競技人口が増えたら似た演技ができる人が増えます。

つまり珍しさで勝負できる時間は長くないんです。

限界は否応なしに付きつけられる

No limits

縄跳び自体にも限界を強く感じますねー。ビュンビュン振り回すのは瞬発的に盛り上がりますけど、体力的にも1-2分が限界。しかも技の変化が細かくて一般には分かりにくい。

どれだけ難しいコンビネーションも普通の三重跳びも、実は同じに見えてしまうんです。

同じ技、ないしは同じように見える技を繰り返されれば人はスグに飽きます。

この動きは新しい!人とは違うんだ!!といくら叫んだところで、判断を下すのは観客です。技術的に新しく価値あることが、万事に置いて価値があると限らないのです。

これらは縄跳びパフォーマンスのもつ根源的な宿命。真剣に向き合った人であれば一度はぶち当たる壁です。

他のジャンルにも同じことが言えるのではないでしょうか。動きがマニアックで伝わらないとか、観客に見えにくいとか、わりと他のジャンルでも頻繁に耳にします。

どのジャンルにも強みがあれば弱みがある。そしてジャンルの力だけじゃ越えられない「限界」が確実に存在しているのです。

必要に迫られ、人は創造的になる

Limited

自分はジャンルの限界を知った時こそ、人は本当の意味で創造的になると考えています。

限界に打ちのめされどう次のステップを踏むか。ここにきてようやく知恵を絞り始めるんです。カッコよく言えばブレイクスルーを狙い始めるスタートラインに立った瞬間です。

いつも通りの事をやっていても限界の壁に打ちのめされる。だったらどんな可能性があるのか。真っ直ぐじゃない方法論はどこにあるのか。正面に壁が立ちはだかっているゆえに上下左右を見渡し、視野が広がっていくのだと思います。

自分はクラウニング・Webメディア・表現・芸術の方向に可能性を感じています。だからこそ関係なさそうなこれらと、積極的に関わっているです。

裏を返すと限界があるのを知らないうちは、実はまだまだ。突き詰めて真剣に向き合うほどに限界が見えてくる。なんでもできるわけじゃない現実を突き付けられ、理想に裏切られる。

この経験を経た人は、本当の意味で創造的にならざるを得ない。そうでなければジャンルの限界を知った上で収まる他に道が無いのです。

あなたは自身のジャンルの限界を言葉に表せますか?

*1:音楽に合わせて演技の出来栄えを競う縄跳び競技のこと