実家からの始発のバスが6時台しかありません。
10月以降は毎日のように小学校訪問で7時30分には到着しなきゃいけないので、仕方なくお隣のバス停まで15分ほどスーツケースを押していきます。
おはようございます。縄跳びパフォーマーのまっちゃん(@macchan8130)です。
全国の小学校に訪問して、子どもになわとびを教えたりパフォーマンスをしていきたい!
こんな想いを持ち続けてはや15年。シルク・ドゥ・ソレイユや世界大会を経由して、いまは忙しく小学校を訪問する毎日。幸せなことに、なわとび1本で生計を立てています。
いわば好きなことで生計を立ている。夢が叶ってる状態かもしれません。
[toc]計画してここまで辿り着いたのか?
はじめて小学校に訪問したのは高校2年のとき。ペライチのHPから依頼が入って、中野区の小学校に訪問したのがスタートでした。
考えてみれば偶然のキッカケ。だって小学校に高校生を呼ぶなんて、常識的に考えられませんよね。しかも最初は「パフォーマンスだけを見せてほしい」というボランティアだったのが、気付いたら学年ごとに授業を任せてもらうことに。
さらに訪問した学校の数名の先生が翌年赴任されて、他の小学校でも依頼が一気に広がった。
そう、どれ一つとっても計画的に進めたワケじゃない。運良く流れが続いたことで、仕事になっていったんです。
確実な未来計画は不可能である
未来は「未だ訪れてない時間」です。極論を言えば、計画された未来なんて誰にも作れないんですよ。
テストで100点を取るために勉強をする。受験で合格するために勉強をする。でも実際のテストで出題される問題は本番当日までわからない。
必勝の交渉テクニックがあるとしましょう。相手がどんな堅物でも口説き落とせる話術だそうです。でも相手は毎回違います。経験や価値観、バックボーン、さらに国や生まれもバラバラ。
つまり、未来のことについて100%の計画をたてることは理論的に不可能。どれだけ頑張っても、あなたの力で覆せない外的要因が入ってしまうんです。
未来のために頑張るのは苦しい
将来のために頑張ろう!とか、未来のために努力しよう!というと、素晴らしい心掛けに聞こえます。でもこれって苦しいんですよ。
なぜなら、未来のための「いま」を犠牲にしてるから。未来なんて不確かなモノに、安心の拠り所を求めてるんです。
どれだけ練習しても、どれだけ勉強しても、未来は不確かです。少しでも安心したいと思って、また勉強して、練習して。未来を目標にしている限り「不安を解消したいループ」から抜け出すことができません。
はたから見れば同じ頑張ってるように思えても、
- 不安に駆り立てられて頑張る
- そのものを楽しんでいる
この2つには大きな違いがあることに気付く必要があるのです。
いま、目の前を精一杯
小学校訪問が仕事になったのは、偶然のキッカケの連続でした。しかし、どの訪問でも目の前の子供達に全力で向き合い続けました。
目の前の子どもに向き合ってる瞬間に、未来のことも計画も考えてられない。ただひたすら、今この瞬間を精一杯の力で頑張っていただけです。
未来は不確かですけど、いまの目の前の課題や目標って明確です。つまり目の前に精一杯の力で向き合う人に、求めてる未来が歩み寄ってくれるのではないでしょうか。
受験や大会で結果を出したくて、計画を立てることもあるでしょう。
でも大切なのは、未来のために今を犠牲にすることじゃない。不安に掻き立てられて、頑張ることじゃない。
いまの目の前に精一杯立ち向かい、未来に束縛されないことではないでしょうか。