こんにちは!
努力という言葉が好きではない、縄跳びパフォーマーのまっちゃん(@macchan8130)です。
よく「努力をするのも才能」と言われますよね。一つのことに秀でてる人は、必ず努力をしている、成功してる人はみんな必ず努力をしてると聞かされます。
シルク・ドゥ・ソレイユでは才能にあふれる人に囲まれていました。
でも彼らが苦しい努力していたか?と聞かれると少し違う感じがするんですよね。
[toc]実は誰も努力なんてしてない?
世界レベルの人達に囲まれて気付いたんですが、ほとんどの人が努力なんてしてないんですよ。正確に言えば努力と思って取り組んでない。
たとえばシルク・ドゥ・ソレイユには体操のスペシャリストがたくさんいます。傍から見ると、彼らは幼少の頃から努力を重ねてやっと世界レベルになったように見えますよね?でも本当は楽しくて続けてるうちに、世界レベルになっていただけなんですよ。
目標を定めて練習をしたかもしれません。大会のためにトレーニングもしたことでしょう。
しかしどれも「楽しいから」が根本にあるんです。本人たちに言わせれば「努力してる感覚」がそもそも無いんですよ。
苦しい努力を重ねる人は脆い
努力で目標に向かうのは素晴らしいことと言われます。でも「楽しい」が根本にあるかどうかで随分と話が変わってきます。
根本に楽しいがある人は、活動そのものに楽しさを見出してます。宙返りするという行為そのものが楽しいんですよ。その延長に大会で優勝したい、オリンピックに出場したい、といった目標が生まれてきます。
この順番が反対になると苦しい。
「優勝」や「オリンピック」が先に立ち過ぎてしまうと、練習が苦しい努力になってしまうんです。
- 目標のために苦しいことも頑張ろう、
- 今がしんどくても目標のために、
- 目標達成のためなら・・・
これらが苦しい努力の典型です。
苦しい努力をしている人が、強く報われたいと考えます。これだけやったんだから報われて当然だ!とすら思ってる人もいます。しかしどれだけ苦しい努力をしても報われるかなんて分かりません。
そして少しでも報われない経験があると「こんなに努力したのに・・・」と、心が折れてしまう。
このように、苦しい努力は非常に脆いんです。
才能の本当の意味
苦しい努力は出発点が「目標」なので脆い。逆にこれが「楽しい」が根本だと非常に強固になります。
「楽しい」が先にあるので少しぐらい報われなくても気になりません。なぜなら活動自体が続けるモチベーションになっているので、他の人の評価が大きく影響を及ぼさないんです。
また練習やトレーニングも「楽しい」の対象になるため、傍から見れば辛い努力でも本人は平然と楽しんでる。苦しい努力とやってることは同じでも、本人の捉え方・感じ方が180度違ってくるのです。
これこそ、才能の本当の意味だと思うのです。
シルク・ドゥ・ソレイユの出演者は毎日トレーニングをしています。トランポリンで何回も捻ったり宙返りをしたり。もちろんショーで求められるからという理由もあったでしょう。
しかしそれ以上に「やっべ、この宙返り楽しい!!」「え?もっと捻れるんじゃね?!」「この技、面白くね!?」といった、楽しいが根本にあって練習をしてたんですよ。
その証拠に、厳しい練習に見える空間にも関わらず「笑顔」と「笑い声」が絶えないんです。
努力をするのは才能か?
才能のある人達の活動を見てると、外野からは努力をしているように見えるのかもしれません。でも本人たちが努力だと思って取り組んでいるとは限りません。
努力できるのが才能ではなく、努力と思わず取り組めるのが才能ではないでしょうか。
目標や目的のためにコストを掛けて頑張る努力は、苦しい努力です。楽しいを根本に据えている活動は努力ではなく、単に楽しい時間なんですよ。
目標のためなら少しぐらい苦しくてもがんばれますか?実は、楽しいことだからこそ、苦しくでも気にならないのではないでしょうか?