なわとびパフォーマーの仕事論

いい仕事とは何か。「妥協しない」をこじらせたプロ意識

こんにちはー。縄跳びパフォーマーのまっちゃん(@macchan8130)です。

昔はよく縄跳びパフォーマンスの中で「はい!◯◯跳びです!!」というネタをやりました。3重とびの連続とか、4重とびの連続とか・・・。けっこう大変なんですけどね、お客さんの反応が良くないんですよね。

難易度が高い技だし、こちらも体力的にシンドいので強引に拍手を求めたりしてました。

でもぶっちゃけ見えません。わかりませんよ、そりゃ。

どこか「高難易度の技をやっておかなきゃ・・・」という強迫観念があるんですよ。縄跳びパフォーマーとして呼ばれてるからには最高難度の技を見せなきゃいけないと。

でもこの考え方、プロ意識をこじらせてるんですよね。

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それ、やりたいだけじゃないの?

3重とびや4銃とびという技は確かに難易度が高く、一般の人には簡単に真似できません。

だからといってこの技を披露することに本当に価値があるかは別問題。なぜならお客さんが求めてるのと、あなたがやりたいだけは全く別物だからです。

世界レベルの高難度技、他にないハイスペックの機能、過去最高基準の◯◯・・・

これらは本当にお客さんが求めてるんでしょうか?これらの背景にはスゲーだろ!を見せたいだけの認承欲求が見え隠れしてることに気付かなければいけません。

失敗する高難度と、バッチリ決める演技と

ただし本番で限界ギリギリに挑戦したい気持ちもわからないでもないんですよ。

人前で演技をするからには妥協したくない!という想いがあるから。一つのことを極めている人ほど、中途半端なモノではなく本物を見せたいと願っているのです。

こうした限界ギリギリは成功率が低い。一発で成功しないから限界ギリギリなんです。でもこの様子をそのままステージに乗せてしまうのはちょっと違うかな・・・と思うのです。

お客さんから見れば、失敗は失敗。厳しい言い方をすればどんなに簡単な技でのミスも難しい技でのミスも、同じミスなのです。

例外的に意図的にミスをしてお客さんのドキドキを煽る方法もありますけど、こちらは違う次元の演出です。演出としてミスをしているのと、本当に失敗しているのでは天と地ほどの差があります。

一定以上の満足感を担保できるか?

演出として工夫されていない限り、失敗を繰り返す様子を見せられても困ります。応援するしかないです。

いざ挑戦しても成功したか失敗したか分らない。もうステージと客席は地獄の空気です。

プロのステージとは常に一定以上の満足度を担保できるか?に掛かっていると思います。ステージごとに毎回ムラがあるようでは一定以上の満足は保証できない。

ここに「プロ意識」をこじらせないためのヒントが有ると思うのです。

取捨選択するのは何か?

自分は人は本番を通してのみしか本当の意味で成長できないと考えています。

ですが、本番はあなたが成長するためだけにあるわけじゃありません。本番を通じて客席に価値を届けるためにあるのです。

この場所で成長を優先して「限界ギリギリ」に挑戦するのは、本当に客席に価値を届けられているでしょうか?何度も繰り返される成功かわからない高難度を求めているのでしょうか?

簡単な技で妥協するのはダメだ!プロ失格だ!!と意気込むのは良いですが、プロ意識をこじらせています。

お客さんが何を求めているでしょうか。あなたがやりたいことを披露するだけのリサイタルでは、お客さんは置いて行かれてしまいます。

いい仕事をする人は、相手の満足度を高めることを考えられる人ではないでしょうか。