なわとびパフォーマーの仕事論

スゴい人の壁。スゴい人レッテルと戦い続ける意味とは。

こんにちは!

縄跳びパフォーマーのまっちゃん(@macchan8130)です。

過去の実績や経験を見て「スゴい人なんだね!」といわれる機会が増えてきました。それっぽい過去を経てきてしまったので、ある意味仕方の無いことなのかもしれません。

でもスゴい人って、心地が良いようで実はすごい不自然な感覚なんです。

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スゴい人のレッテルが首を絞める

何か一つのことで実績を上げた人は、スゴい人のレッテルを貼られます。でも一つの実績を上げたからと言って、他の分野や人間性までが優れているとは限りません。

むしろ何か一つ秀でていることで、相対的に他の部分で欠落してしまう人が少なくないと思うんです。

たとえば縄のまっちゃんは「右」と「左」がわかりません。運転中に道案内しても、左右がグチャグチャ。日常生活でもちょっと不便なレベルです。

スゴい人のレッテルの恐ろしいところは、スゴい人=何でもできるスーパーマンのように扱われてしまうことなんです。

周囲の扱いでスゴい人は変わっていく

スゴい人はチヤホヤされます。過去の後ろ盾でチャンスを貰うこともあります。

でもスゴい人だってただの人間。周囲の扱い次第では人間は変わっていきます。一つのことに没頭して結果を残した人が、急に周囲から崇められたらどうなるでしょうか?まるでいきなり宝くじを当てて、人生が変わってしまったような錯覚に陥ると思うのです。

そりゃスゴい人と呼ばれれば嬉しいですよ。注目と尊敬を集めている状況は、なんとも心地いいですから。

でもこの状況こそが危険なんですよね。

スゴい人が没落していく

周囲から対応で鼻が高くなるのは仕方ありません。人間は環境から大きな影響を受けてしまう弱いものです。でも高い鼻を維持しようとして自らを欺きだしたら黄色信号。

スゴい人といわれても、実際には得意なことに熱中して没頭しただけ。運良く結果が伴っただけなのに、全人格的に優れていると勘違いしてしまうんですよ。しかも本人は無自覚なのがさらに恐ろしい。

だからこそ、我々はスゴい人のレッテルと戦い続ける必要があるんです。スゴい人という不自然な状態に気付いて、早めに自ら鼻をへし折っておくぐらいでちょうどいい。

調子に乗ってる時は気付きもしないので、イケイケドンドンで猛進していくことでしょう。でもふと我に返ったタイミングで、スゴい人というレッテルを外側から眺めてみる。

なんのことない、何かが得意な1人の人間がいるだけなんですから。

スゴい人の生み出す弱さと弊害

人より優れていることは誇らしいです。本能的に敬意の対象として君臨するのは心地いいことなんでしょうね。

ゆえにスゴい人は弱さがあり、弊害を生み出します。

なによりスゴい人を維持したい心だと、変化と弱点を認める勇気が削がれていくんですよ。

皮肉ですが、スゴい人レッテルと戦い続けることが人間を「スゴい人たらしめる」のかもしれませんね。