photo by Dave-a-roni (Dark Spot Photography)
こんにちは!縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。
先日こんな記事を読みました。
「フジロックの行方」と「すべてのジャンルはマニアが潰す」という話 – 日々の音色とことば
自分は音楽フェスに行ったことがありませんが、この記事を書かれているid:shiba-710さんの考察は興味深いものでした。中でも「すべてのジャンルはマニアが潰す」という部分にとても共感を覚え、同時に反省をしました。この意見は新日本プロレスの木谷氏と男色ディーノ氏の記事が元になっているようです。
買収後売り上げが激増 プロレス人気再燃を新日オーナー語る│NEWSポストセブン
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ:第275回「新規とマニア」 – 4Gamer.net
これは自分にも耳の痛い話。しかしスポーツ普及の視点からも「マニアがジャンルを潰す」というイデオロギーは、肝に銘じておく必要があると思うのです。
スポーツにおけるマニアとは
ではスポーツで「マニア」になり得る人とは誰でしょうか。それは競技経験者。部活でサッカーをやっていた、少年野球チームに入っていた。こういう過去の経験から、自然とファンになり「マニア」へと進んでいくのではないでしょうか。
これはマイナー競技でも同じこと。今でこそ第一線ではないにしても、経験者が大会運営の手伝いをしたり試合観戦に行ったり。一度は情熱を燃やしたスポーツゆえ、思い入れがあるのだと思います。
ルール変更・マニア・時代の流れの三者に生じる「溝」
一方、スポーツのルールは年々改定されていきますよね。競技力の向上に合わせた場合もあります。しかし観客や興行を意識したルール変更もあり得ます。
たとえば卓球のピンポン玉。むかしは38mmだったのが今は40mmを使用しています。なぜなら大きいピンポン玉の方が、TVカメラに映りやすいんですよ。また38mmは球速が早く、スマッシュがあっという間に決まってしまいます。しかし40mmになったことで球速が落ち、ラリーが続くようになる。やはりラリーが続いたほうが盛り上がりますからね。
このような時代の流れによるルール改定に対して、不満を持つ競技経験者は少なくありません。採点競技の場合は更に顕著で、なぜこんな演技が評価されるんだ!?といったダイレクトな反感・不満になる。
ここに「マニア」と「ルール」の間に溝が生まれます。
ただ、まだその「マニア」が一般の観客として試合を見るだけなら良いほう。しかし古い体質を維持したい「マニア」な人が、組織や協会にガッツリ組み込まれていると弊害が生じてしまいます。「マニア」な人々が自分達が現役だった頃のやり方を守りたい。新参者や新しいアイディアは認めない。こうした考えが業界の常識となってしまえば、時代に流れに置いていかれます。
新しく競技を始める次世代が続かなければ、いくら伝統や常識を叫んでも衰退は免れません。「マニア」「時代の流れ」「ルール」の三者が上手にバランスが取れて、はじめて競技の普及が進むのだと思います。
次世代のマニアを受け入れる姿勢
自分も縄跳び歴が長くなってきました。経験や苦労を美化したい弱さと戦い、今も必死に老害への歩みを止めようと努力しています。
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「こんなのは○○じゃない!」とか「昔のほうが良かった」と叫びたい気持ちは痛いほどわかります。しかし、むやみに先輩が価値観を振り回しても、次世代参入の弊害になってしまいます。
経験が長くなって時代や新世代との溝が生まれるのは仕方ないでしょう。しかし「マニア」になるのは悪いことばかりではありません。
温故知新という言葉があるように自身が「マニア」であると自覚し、新しさと膝を突き合わせてコミュニケーションをする。こうした姿勢が大切ではないでしょうか。
次世代は新しい「マニア」を生み出す卵です。こうした次世代が「やってみたい!」と思えるルール・競技づくりが、スポーツ競技の普及に必要だと思います。