なわとびパフォーマーの仕事論

「好き」を仕事にしたい人にオススメしたい、自分に聞かせ続けるということ

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photo by Brendan Biele

こんにちは!縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

自分は高校生のときから、縄跳びの出張指導とパフォーマンスを始めました。小学校の授業にお魔邪魔して、実演を含めた指導や全校向けのパフォーマンスをします。かれこれ300箇所ほど訪問してきました。

この活動を始めた当初から、自分の中で決めているルールがあります。それは縄跳び関連の対外活動のすべてを「仕事」と呼ぶこと。どんな現場であっても隔たりなく、あえて仕事と呼ぶようにしたのです。

本業は学生だったのでプロではありませんでした。でもこの「仕事」と呼ぶ行為が、好きな縄跳びを仕事に出来た理由の一つなのかなと考えています。

仕事と呼んで、責任のプレッシャーをかけた

ではなぜ縄跳びの活動を仕事と呼んだか。それはもちろん、縄跳びを仕事にしたかったからです。

高校生といえば大学受験や就職など、いろんな選択が迫られるとき。もちろん勉強もしていました。でも直感的に「縄跳びで生きていきたい」と感じていました。

ここから「縄跳び=仕事」に結び付いたのです。とはいっても縄跳び歴数年の駆け出しの身分。たとえボランティアでも仕事としての意識を持とう、報酬以上のものを現場で学んでこようと考えたのです。

これはある意味で自己催眠でもありました。常に「仕事」と呼ぶことで無意識のうちに「現場にしっかり責任を持つ」「成果を出さなければ次の仕事はない」と、自分で自分にプレッシャーを掛けていたのです。

「仕事」という言葉を自分に聞かせ自己催眠をかけた

人間の脳は、他人の言葉と自分の言葉を区別できないと言います。自分自身で発した言葉が、そのまま潜在意識刷り込まれていくのです。

■参考文献:脳に悪い7つの習慣

なので自分は、あえて人と話をするときも縄跳びに関することは「仕事」という言葉を選びました。それボランティアじゃない?と言われても、自分にとっては「仕事」なんです。

不思議なもので「縄跳びの仕事」と言い続けていると、縄跳びは仕事なんだぁと自分自身で錯覚します。すると縄跳びに対する意識や考え方が少しずつ変化していきます。

もちろん最初から生活できるレベルの収入があるわけではありません。しかし仕事だという意識はしっかり植え付けられました。

意識の中に「縄跳び=仕事」が染み付いてくると、徐々に仕事の厳しさについて考えるようになります。

仕事という言葉で厳しさを意識した

縄跳びをしている時間は楽しくて仕方ありません。練習もパフォーマンスも、出張指導であっても楽しい。縄跳びのことなら何時間でも考えていられます。

しかし楽しいだけでは仕事は続きません。成果を上げるという厳しさが必要なんです。

小学校でパフォーマンスをするのは本当に楽しいです。でもこのパフォーマンスの評価次第で、次の仕事が決まります。依頼者が良い評価をしてくれれば口コミが広がり、次の仕事が舞い込む。反対に「イマイチ」と評価されれば、悪い噂も一気に広がることになります。

ひとつの現場で評価を落とせば次の仕事がなくなる。意識して「仕事」という言葉を使うことで、自分は成果主義の厳しさをいつも確認していたのです。

忘れてはいけない「楽しい」と「厳しさ」

今でこそ縄跳びが本当に「仕事」になりました。これだけで食べています。しかし「仕事」という言葉を意識して使う習慣は今でも変わっていません。この意味で今は執筆を仕事と呼んでいます。

興味がある!楽しみたい!だけなら、ここまでの厳しさは必要ないでしょう。しかし本気で仕事にしたいと考えているなら、「楽しい」と「厳しさ」のバランスを取るのが大切です。

貪欲に成果と結果を出す厳しさがなければ、「仕事」にすることはできない。自分が楽しいだけでは仕事にできないのです。

もしあなたが「好きなこと」を仕事にしたいと思うなら、今日からそれを「仕事」と呼んでみてはどうですか?