こんにちは!縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。
自分は2010年の7月からシルクドソレイユのショーに出演して、今年で6年目に突入です。これまでに週に10回のショーを重ね、6年間でステージに立った回数は2000回を超えています。
いまこの記事を書いているのも、ショーに出演する前の空き時間です。
6年間の2000回のステージを経験する間、いい事も悪いことも沢山ありました。今回はその中でも「これは失敗だったなぁ…」と感じている5つを紹介します。
1.練習をしすぎた
自分は、競技引退後すぐシルクドソレイユに入りました。当時はショーと試合の区別を上手に付けることができず、毎回のショーの寸前まで練習をしていました。
しかしショーは週10回やってきます。今日のショーが終わっても、また明日が始まります。試合は年に1-2回、ショーは年に480回。試合練習と同じ負荷を掛け続けたら、怪我をするのは当然です。
半月板損傷とジャンパー膝を経験するまで、自分の練習量が異常だと気付くことができませんでした。もしショーに入った段階で適切に切り替えられていたら、これらの怪我をせずに済んだかもしれません。
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2.ミスに厳しすぎた
縄跳び競技ではミスが大きな減点になります。一度のミスでメダルを逃す。そんなプレッシャーの中で10年間現役を続けてきました。
この感覚からは、競技引退後も簡単には抜け出すことができませんでした。今思えば、ミスがないことが最上級の価値であるとすら考えていました。
自分だけに厳しいならまだ良かった。しかし現実には周囲のミスにも辛くあたり、いかにミスをしないかばかりに焦点を当てて意見する自分が居ました。
ミスがないのも一つの価値です。しかしそれ以外にも色々な価値観がある。これらを受け入れられないほど、当時は視野が狭まっていました。
3.筋トレや補強運動をナメていた
自分は縄跳びで怪我をしたことがありません。大きな怪我はすべてアクロバット。右膝前十字靭帯断裂も、宙返りの着地ミスで引き起こした怪我です。
するといつしか「アクロバットは危険だけど縄跳びは安全」という勘違いが形成されました。
たしかに縄跳びは比較的安全です。宙返りやアクロバットほど怪我のリスクもないでしょう。しかしこの油断が怪我を招きました。繰り返されるショー、身体のケアなしに無傷ではいられません。
いくら簡単と思える技であろうと、負担は着実に蓄積していくのです。
4.はやく英語を身につけるべきだった
はじめ、英語が飛び交う環境に入れば自然と喋れるようになる!と高をくくっていました。
しかし現実は甘くありませんでした。スタバで注文するのも緊張でグダグダ。仕事場ではなんとか察してもらい意思疎通、同僚とも満足に会話ができない…。
それでも自分は面倒くさがってしまった。英語は最低限のコミュニケーションができればよしとして、これといった勉強も練習もしませんでした。
それが膝の怪我をキッカケで急激に英語をしゃべるようになり、世界が一変しました。下らないジョークで笑い、世間話を楽しむ。こんな普通のことがどれだけ楽しいか、つい最近まで知ることができませんでした。
もっと早くから真剣に英語に取り組んでいたら、もっと前からこの楽しさを経験できたと思うと残念です。
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5.もっと同僚と交流をしておくべきだった
この6年間、同僚とプライベートで出かける機会はほぼ皆無でした。英語がしゃべれなかったのも理由の一つですが、それ以上に自分は面倒くさがりだったのです。
ここでは積極的にコミュニケーションをしにいかないと、誰も相手をしてくれません。しかもそれが個性だと認めてくれるので、大して不利益も不快感もありません。一人でいることが心地よくなってしまったのです。
でも考えてみれば、世界中から集まったシルクドソレイユの仲間と過ごす時間はとても貴重。5年後に同じ顔ぶれで集まることはほぼ不可能でしょう。それほど入れ替わりが激しい業界です。
逆に言えば、この場所で友達になった同僚が世界中に飛び散っていきます。将来、この場所を離れても世界の果て同士で繋がれるのかな?と思うと、本当にもったいないことをしました。
まとめ
今でもショーの日々です。いまこの記事を書き終える15分後には、またステージで縄跳びをします。
自分は縄跳びをしにシルクドソレイユにきました。でも縄跳びだけ、仕事だけで考えてしまったのが、こうした失敗を招いたのかな?と考えています。
ステージに立つことは大切です。しかしそれだけではなく、環境に対してもっと積極的に関わる心意気を持つようにしたいと思います。