なわとびパフォーマーの仕事論

本気で習得するつもりなら『解釈』をヤメよう

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photo by irishwildcat

「考えること」は大切だと言われています。
巷にも「思考停止するな!」というキーワードが溢れ、自分で物を考えることが如何に大切かを伝えています。

しかしあなたが何かを学ぶ時、「考える」と「解釈」を混同していませんか?

初見宗家は「日野さん、頭の良い人間は駄目だね、自分で考えちゃうから。だから、辞めていく人は自分から破門してるんだよ、私は今迄誰一人として辞めさせたことはないよ、皆自分で考えて辞めていくんだよ」とおっしゃる。
出典:身体とは:日野武道研究所

大多数の人は、ここの「考える」というところを完全に誤解し、先程提示した自分自身を正しいとする根拠の無い自分が「対象のものを解釈(自分で考える)」するという、誤った単純作業しかしないから、目的の技術や目的そのものに届くことなく一生を終えるという結果になるのだ。
出典:身体とは:日野武道研究所

自分で考えちゃう、とは自身の思考で勝手に物事を解釈してしまうことです。必死で考えた!これで良いんだ!俺が良いと思うのもを信じよう!といったところでしょう。

考える方向性が違う

もちろん学ぶ上で考えることは必要です。しかし「解釈ベース」と「見習いベース」で考える方向性が全く異なります。

先に上げた解釈ベースの「考える」だと、結果までいかに合理的に到達するかを重視します。自分なりの最善の方法を見つけ出し進んでいきます。
一方で見習いベースの「考える」では比べることに重点を置きます。目標と自分で何が違うのか?を考える。そして何が不足し、何が出来ないかを探り当てるべく「考える」のです。

解釈ベースで考える人は「学び」を素直に受け入れません。自分流で早く結果に辿り着くのだと考えるためです。自力で進もうという意欲は素晴らしいのですが、実は学んでいるとは言えません。結果を見て自分がやりたいことをしているだけなのです。

学ぶべくは「術」である

「術」とは復元性のあるものという事だ。
そして、現象としての結果が似ているといっても、常に身体運動の過程が同じではないのなら、それは「術」ではない。
過程が手本と同じになった時、結果としての現象は全く違っても、それは「術」なのだ。

出典:身体とは:日野武道研究所

柔術、空手術、話術、交渉術、これらは全て術の言葉がつきます。「術」とは復元性のあるもの。つまり何度やっても同じことが出来るのが「術」なのです。

もちろん結果が常に一定というワケにはいきせん。失敗することもあれば成功することもあるでしょう。しかし「術」として身に付いていれば、たとえ失敗しても再び「何が違ったか?」を探り当てる作業に移れます。

インプットの情報が増え続けると、頭で解釈して反論したくなることもあるでしょう。しかしまずは勝手な解釈をせずに受け入れてみてはどうでしょうか。

その上で考え続け、復元力のある「仕事術」「成功術」を身に付けたいものです。