シルクドソレイユが教えてくれた大切なコト

ノーミス演技は70点止まり。パフォーマンスで大切にすべきは『ライブ感覚』

make no mistake

『ノーミス』
1つのミスもなく全ての演技を終えること。

縄跳び関係者に限らず、パフォーマンスに携わる人であれば一度は聞いたことがあると思います。特に道具系のパフォーマーはどうしてもミスを起こしやすい。だからこそノーミスのは難しくみんな頑張って練習します。

誰もが目指すノーミス演技ですが、実はここに気をつけたい落とし穴がありました。

ノーミスだから良い演技、とは限らない

練習で徹底したのと同じ状態を再現するのは、理性的な作業だ。だが、それだけでは段取りを踏んでいるだけだ。ある程度満足してもらえる演奏はできるかもしれない。ただ、それでは、想像を裏切らない程度の、いわば七十点か八十点ぐらいの満足感しかお客さんに与えることができない。

(※)引用元:感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

縄跳び競技やダブルダッチでは、1回ミスをする度にマイナス◯点、という具合に減点の対象になります。なので試合で勝つためにはノーミスの演技をすることが大切。

たしかに競技ではノーミスは勝敗を分ける重要な要素です。練習通りの正確な演技をすることが勝敗につながります。しかし正確な演技がイコール良い演技とは限りません。

ノーミスにこだわると、徐々に内側に入いく

難しい技を何とかやりきろう!と真剣になると、人はどうしても意識が内側に入っていきます。できる精一杯の技をしていたら必死になるのは当然です。

内側に入っていくと観客を置いてけぼりにしてしまいます。「自分は頑張って難しい技を跳ぶから、観客はこれを見て勝手に拍手してね。」という姿勢が見え隠れするのです。

その場の空気をつかんだ演奏ができたときには、観客もオーケストラも一体になり、非常に感動的なコンサートになる。正確な演奏よりももっとずっと深いものを感じさせることができる。それがライブ感覚の醍醐味だ。

(※)引用元:感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

久石さんの言うライブ感覚は、パフォーマーにも共通すると思います。ノーミスの演技「だけ」ではその場の空気をつかむことが出来ません。ここにパフォーマーと観客のやりとりが絶対に必要なのです。

いくらミスをしなくても、常に目線がフワフワしていたり下を向いていたり。身体はポーズをしているけど、頭の中は次の技のことで一杯。客席の事は上の空。

これでは観客とのやりとりは生まれません。

LookとWatch

シルクドソレイユのショーでは頻繁に「Look」という表現を使います。

これは観客を意識的に見るという意味です。これに対してWatchは単に頭と目線がそちらに向いているだけに過ぎません。

意識的に見るというのは意図的にアイコンタクトをするようなイメージ。きちんとLookができると「◯◯の席に座ってる人、スゴイ盛り上がってたね!」や「二階席の◯◯に座ってた子ども、ずっと泣いてたね」のように、ステージを降りてからも面白いぐらい鮮明に覚えています。

反対にフワッと見るだけだと、こうした記憶は一切残りません。

顔と両目は客席を向いていますが実際には何も見ていないのです。

ライブ感覚はフザケルこと

観客とのやりとりを「ステージでフザケルこと」と自分は考えています。

もちろんステージでの振付は正確に覚えるし、ノーミスのために練習も欠かしません。でもこれは準備でしかありません。本番は全てステージの上。全力で観客に絡み、ふざけます。振付や技のミスが出ないギリギリのところで全力で「フザケル」のです。

準備をしてフザケル事はできません。突然振り返って見つめたり、突拍子もなく笑いかけたり、縄跳びを振り回して驚かせたり。リアクションする観客に反応して、自分はもっとフザケル。

これを自分は観客とのやりとり、コミュニケーションだと考えています。

まとめ

ノーミスを出すには十分な練習が必要で、それだけでも一定の価値があると思います。ステージでフザケルにもノーミスで演技ができる事が前提条件になっています。

でもノーミスは目的ではなく前提条件にです。演技を通じて観客に何を伝えたいのか、そしてどうのように観客とコミュニケーションをするかの方が、パフォーマンスには大切だと思います。

(※)引用元:

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)