人生のターニングポイント

20代後半でリストラをされたとき、生きるために考えたこと

こんにちはー。縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

2015年の8月、出演していたシルクドソレイユのショーから縄跳びアクトがカットになることが発表されました。

そう、事実上のリストラ宣告です。

縄跳びアクトがなくなる無念さや悔しさもありました。しかしそれ以上に、帰国してからどうするか?を唐突に突きつけられた瞬間でした。

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29歳、仕事をどうするか?

なにより仕事です。養う家族がある身として、生計を立てる優先順位は高いですからね。どうやって生活をしていくかを真剣に考えました。

でも、これだけは❢と直感的に超えたくないラインが有りました。

絶対にアルバイトはしない

ある意味スグに収入を得られる手段ですし、より好みしなければ仕事にはありつけることでしょう。

でも、アルバイトだけは意地でもやらないと決めていました。

29年間で積み重ねてきた知識と経験は、間違いなく生かせる場所があります。時間を切り売りして日銭を稼ぐことはできても、次の一歩に繋がる可能性は低い。だったら、たとえ目の前に収入が得られなくても有意義な活動をした方がいい。

ブログも有意義な仕事の一つ。ほかにも練習や演技開発、人との繋がりなど、アルバイトをしてる時間はモッタイナイです。

チャレンジャーとして構える

シルクドソレイユだ!どやぁ!!としてても仕方ないので、常にチャレンジャーの気持ちを持つように心掛けることにしました。

縄跳びでそれなりに生きてこれましたけど、いざ日本で生きていくには右も左も分かりませんからね。住民票やら保険をはじめ確定申告などの行政関係、さらには数年間離れていた縄跳び競技のこと、ダブルダッチのこと。

日本で新たに出会う全てのことに対して新鮮な思いで「学ばせてもらう」意識で臨むことにしました。

不思議なもので、学ぼうとする気持ちを持つとマジで親切に教えてくれる人が現れるんです。とくにプロブロガーのヨスさんにはマジで助けられまくってますねぇ。。。

そんな人達の言葉を噛み締めながら、したたかに先を見据える。

おかげで帰国して1年足らずで、沢山の出会いとチャンスを頂くことができました。

縄跳びにこだわらない

15年間なわとびで突っ走ってきたので、良くも悪くも視界を狭くしてきたんですよ。他のことに目を配っていたら、突き進めませんからね。

でも方針転換。すでに「なわのまっちゃん」と「縄跳び」は死んでも離れないです。だったら縄跳びがある状態を標準にして、周辺に視野を拡げることにしたんです。

ブログもその一つ。縄跳びの指導法や考えを発信するのは、縄跳び上達や演技そのものとは直接的に関係ないです。ほかにも別のサーカスアクトのサポートをしたり、アクト自体を学んだり。

人からすると、ひょっとしたら何も変わってないように見えるかもしれません。でも本人が見えてる景色が随分と変わったんです。

追い込まれても、何とかなる!を信じる

収入のメド?安定の生活の基盤??正直、リストラ後の仕事の予定も何も決まっていませんでした。僅かな貯金を切り崩し、日に日に減っていくお金と向き合いながら生活していました。

でも、この一言に尽きるんですよ。

なんとかなる!

アルバイトもしない、就職もしない、縄跳びだけ。

人は追い込まれて必死になれば何とかするんです。せざるを得ないんです。だからこそ必死に仕事を作るし、本気で人と繋がれるし、活路を見出すんです。

おわりに

誰しも、目の前の仕事がなくなるとなれば混乱します。取り乱さなくてもパニックになりますよ。

でも、人は見てくれています。真剣に取り組んでる人には手を差し伸べてくれる人が、必ず現れます。幸いにも自分は、仕事を失っても「チャレンジ精神」だけは失わずにすみました。

本当に怖いのはリストラと一緒に自信と「心」を失ってしまうことだと思うのです。

本人こそ気付かない「あなたの才能」を知れば、驚くほど成果を出せるようになる

2016年3月19日