こんにちは!
マイナー競技「なわとび」を6年続け、今は次世代の育成をしている縄跳びパフォーマーのまっちゃん(@macchan8130)です。
JJRA名古屋なわとび教室も1年が経って人数が増えてきました。いいタイミングなので広い場所、とくに公的な体育館へ広げたいと考えています。
でも・・・縄跳びが公的な体育施設を使うのが驚くほどハードルが高いんです。
しかもあまりに理不尽な理由だったので、同じマイナー競技で困っている人に向けてメモを残しておきます。
[toc]縄跳びという理由だけで利用がNG
一番の理不尽は、縄跳びは床が傷つかないの?という理由だけで施設が使えないケースが多いこと。自治体によっては体育館で縄跳びをすること自体を禁止してるところすらあるんですよ。
ここまで露骨に書いてる場所は少ないですが、縄跳びをやりたいと話をしにいいくと、
- 縄跳びは前例がないから
- 床に傷がつきそうだから
この2つの理由でほとんどの場所が難色を示します。それがスポーツ活動を目的にしている「体育館」であっても。
極め付けは種目による区別。体育館の床を傷つける恐れがあるという理由で何度となく断られてる。スタート地点にすら立てない。これはきっと他のマイナー種目でも起こりうること。行政のシステムが競技間の格差を助長してる。
— 縄のまっちゃん(粕尾将一) (@macchan8130) 2017年8月4日
どこも場所が取れない
公的な機関でスポーツができる場所って結構あるんですよ。名古屋市だと生涯学習センターやスポーツセンターあたりに大きな体育館とか軽運動室が常設されていたり。
でもほとんどの場所が既にいる種目に埋め尽くされてるんです。たとえば卓球、バレー、社交ダンス、エアロビクスあたりがガッツリ抑えています。
ここに新規参入として縄跳びが入る余地なんてほとんどありません。
名古屋市の体育館の予約を見ると、ほとんどが卓球かバレーボール。同じ種目ばっかりが占領してる&慣例でこの団体が取るから…みたいなシステム。仕組みとして新規参入の余地がほとんどない。
— 縄のまっちゃん(粕尾将一) (@macchan8130) 2017年8月4日
なんでこうも公的機関の体育館は予約が煩雑で面倒臭いんだ!2ヶ月前に予約のために並んで抽選、しかもほとんどが平日の昼間だからシニア層にしか行けない。体育館は取れない。結果的に子どもや若者は社会体育からはじき出されてしまう。
— 縄のまっちゃん(粕尾将一) (@macchan8130) 2017年8月4日
希望多数の場合は予約調整会議に参加して、団体ごとの話し合いで決まるようです。しかしなわとび教室は営利目的の団体と見なされて、通常予約ができません。調整会議に参加できません。
残るのは、ほとんど無いキャンセル待ちと空きスペースに直前電話予約するだけ。
もはや、行政のシステム的になわとび教室を公的施設で開催すること自体が不可能なの?!と憤りを感じます。
公的施設は営利目的に厳しい
なわとび教室は月謝を頂いているので営利目的と見なされてしまいます。行政の施設は営利目的に理不尽なほどに厳しい。
利用金額も1.5倍や2倍に跳ね上がり、予約も後回し。調整会議には参加できないので、良い時間をすべて取られた後に残ったスキマ時間に滑り込むだけです。
この状況で定期開催のスポーツ教室ができますか?
毎月練習時間も場所もバラバラで、運が悪ければ予約が取れない。しかも利用料金が高くなるので、必然的に月謝も上げざるを得ない。なんとも理不尽でシンドい現実。
もはや定期教室の開催はほとんど不可能ですよ。
そもそもマイナースポーツの教室を開催で儲けることなんて、ほぼ不可能ですよ。みんな「競技を広めたい!」「次世代を育成したい!」という純粋な熱意でやってるんじゃないかな。
全てボランティアじゃないとダメ!と言うなら、それこそマイナー・メジャーに限らず継続できるスポーツ教室なんてほぼ皆無だと思うのです。
「営利目的」ってなんだよ……
施設使用料と交通費、プラスアルファ程度の謝礼でも「教室という営利になるから利用できない」と。いやいや、儲けるためじゃない。運営を継続するために仕方なく頂いてるんだよ。それでも営利目的だというの??
— 縄のまっちゃん(粕尾将一) (@macchan8130) 2017年8月4日
オリンピックで盛り上がる前に
「単に場所が取れないヤツのヒガミ」と思う人もいるかも知れませんが、実は運動をする機会を均等に与えられないシステム的な問題なんです。
気持ちもあって仲間もいるのに、場所がなくてスポーツができない。国民の健康や生涯に渡ってスポーツに親しむ姿勢を育てる「体育」とは真反対の現実です。
しかもメジャーで競争率高いから、抽選になって通えるとは限らないけどゴメンね。
これが今の行政が提示してる、国民のスポーツとの関わり方です。
マイナースポーツ、そして抽選に漏れた人に機会はほとんど皆無。
行政がスポーツの多様性を受け入れるシステムにならない限り、本当の意味で生涯に渡って親しむ姿勢は育たないと思うのです。