なわとびパフォーマーの仕事論

経験者のカンとコツは侮れない。データ収集と分析は「客観性」が全てじゃない理由。

こんにちはー。縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

分析やデータというと「客観的に再検証できるもの」というイメージがあります。統計的になんちゃら、相関図がなんちゃら、というヤツですね。

大学院時代に授業分析ですこしだけかじりましたが、確か客観的な数値を見せられると納得せざるを得ません。

しかし世の中にはデータ化しにくい物事も沢山ありますよね。むしろ数値で表せない部分にこそ、人間的なカンやコツが宿ると思うのです。

主観的だ!の落とし穴

研究論文のツッコミで多いのが「それは君の主観だよね」です。あなたの考えを聞いてるんじゃないです、証拠と論理を見せてください、という指摘です。

論文で論旨やデータがずれているのは問題です。でも日常生活はむしろ主観の集合体でできてることが多いんですよ。

いま売れてるアイドルがここまでファンを獲得した理由は何でしょうか。ファンの変動をデータで分析して、キッカケで劇的に売れて行ったことを発見したとします。そうだったのかぁ、このグループの起爆剤になったのは○○のイベントだったんだぁ…と。

ところで、このデータにどんな意味があるでしょうか?

売れたアイドルの変遷を調べた、という意味はあっても他のアイドルが売れるためのノウハウにはなりません、だって同じことをして同じ成果をもう一度するのって・・・不可能じゃありません?研究でいうところの再現性が無いんですよ。

一方で売れるアイドルのプロデューサーは売れるための「カン」と「コツ」を熟知しています。これはアイドルに限ったことでは無く、データ化しにくいことに再現性を持たせている人は確実に存在するんです。

彼らの仕事を「主観的なやり方だ」と批判するのは、何とも的外れですよね。

分析は数字だけじゃない

データは数字だけじゃありません。あなたが経験した事実も立派なデータなんですよ。

たとえば上司のAさんの話しかけるタイミングはいつがベストか?を考えるとしましょう。Aさんの性格、顔色、いまの状況・・・これらを全て総合して話しかけますよね?

ここで時間を計って何分何秒に1回!といっても意味はありません。

仮に話しかけて怒られたら「いまじゃなかったのか・・・」という新規のデータ収集ができます。なぜ今回はダメだったのか。前回との違いは何だったのか。

このように分析とデータ収集を続ければ、Aさん以外でも人に話しかけるタイミングを知ることができるのです。

主観でしょ?は常套句の可能性がある

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学術論文やデータ検証の場で「主観でしょ?」といわれたら必死に再検討する必要があります。

しかし日常生活で「それ、あなたの主観だよね?」といわれても、高い確率で的外れです。むしろあなたの意見を何とかしようとする常套句の場合がほとんどだと思うんですよ。

上記にあるように経験事実のデータ収集と分析は、主観の集合体を客観に昇華させた事例です。発信点はあくまで主観で、徐々に主観を軌道修正させているんです。

他人に客観性をこだわる人は、実は自身の経験を収集分析できていない。

客観的なデータや数字も大切ですが、経験というデータ収集と分析は決して侮れません。