こんにちはー。 縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。
大学時代はバリバリの体育学部にいました。
周囲は各種スポーツ選手ばかり。インターハイや国際大会に出場してる選手も少なくなりません。まわりがこういう環境だったので、気付いた時には自分自身も体育会系のノリになっていました。
でも、どこかしこで「体育会系が嫌い」という声をよく聞きます。
あれですかね?飲み会で無理矢理に飲ませるとか、上下関係が厳しいとか、先輩の理不尽に絶えなきゃいけないとか…。もはや都市伝説的なイメージが先行してるのでしょう。もしくは、こうした行為をする人を単に「体育会系」と名付けてるだけです。
実際の体育会系人間って、こうした世間のイメージと随分違います。もしくは一部分だけを切り取られて誤解されてるんです。
体育会系が集団を大切にする理由
例に挙げた都市伝説的なイメージもゼロではありません。少なからず上下関係はありますし、激しい飲み会もありました。あとは強い部活ほど練習が厳しく、下級生が上級生についていくのも大変。場合によっては厳しい言葉や叱責があるのも事実です。
でも、これらにはちゃんとした「背景」があるんです。
まず大前提として、体育会系の人間は「信頼関係」を非常に重んじます。とくに集団競技の場合、チーム内の信頼関係が競争力に直結します。これは個人競技でも同じ。練習は一人で出来たとしても、一人では上達に限界があります。
だから体育会系は集団を形成するんです。そのほうが競技力を高めるのに合理的です。そして試合で勝つ!という目標のため、ときにお互いに厳しい言葉を掛ける必要があるのです。
これをスグに「理不尽」や「圧力」と言ってしまうのが、体育会系を誤解する原因のひとつです。
この背景から「上級生=経験豊富な人」の指示を守るのは効率的だと知っています。また飲み会という場では、団結力を確かめ合い盛り上がる。これらは、競争力を高めるために実に合理的なシステムなんです。
体育会系は「負け方」を知ってる
スポーツで上り詰めている選手は、一度は必ず「負け」を経験しています。
スポーツの「負け」は本当に残酷で、何ヶ月も重ねた練習の時間が、一気に崩れるような気がするんです。しかもラッキーやわずかな組違いでも勝敗を分けてしまう。
このような全力を尽くして負けたときの感情の処し方は、実社会でも活用できると思うのです。
photo by Singapore 2010 Youth Olympic Games
人間、生きていれば何かしら勝負に負けることがあります。負けを認めざるをえないことだってあります。そんな時に潔い姿を見せるか、見苦しい姿を見せるか。
体育会系は「負け」という事実を正面から受け止とめる芯の強さがある。負けた人の行き場のない辛い感情を知っている。つまりキレイな「負け方」を知ってるんです。
だからこそ自身の負けを次に繋げられるし、勝った時も「負けた人」を配慮する気配りができるのです。
体育会系は「とにかくやる!」が素直にできる
どんな仕事にも「基礎基本」があります。運動習得を知っている体育会系は「とにかくやる!」ができるんですよ。
この記事で基礎基本が身に付かない人の特徴を述べました。体育会系は日頃からこの記事の反対をやってます。
前とび500回を3セットやれ!と言われたとき、頭デッカチに「理由は何ですか?意味はあるんですか?」と聞くだけで素直に練習をしない。
ここには「自分が判断するのが最善だ」という考え方の欠陥があるんです。初心者の判断と熟練者の判断、どちらが効率的かは少し考えればわかりますよね。
体育会系は無意識に「いまは理解できなくても、熟練者の判断を信じたほうが良い!」という判断を下します。なので、まずやってみる。繰り返す中で意味や理屈を平行して理解していく努力をするのです。
ただし、なかには「無思考で言われたことを繰り返すだけ」という人もいます。が、こういう人は残念ながらスポーツでトップになることはありません。
体育会系の経験は社会で有利
ちょっと前に、ある小学校の先生がこんなことを仰っていました。
- 「体育会系かどうかって、就職先は実はよく見てる。」
- 「勉学の成果は学歴で測れるけど、実際に仕事で成果を出すかは別」
- 「この点、スポーツで成果を出した人は、仕事にも活かせる人が多い」
言われてみると、同期の仲間の多くは誰もが知ってる有名企業に就職していきました。ある親友は、入社一年目にも関わらず、10年目の先輩と同じ営業ノルマを達成していたとか…。
この記事にも体育会系の強みが紹介されています。
体育会系で培った経験は、実社会で活かせるモノばかりです。たとえばぜひ経験を活かし、社会でポテンシャルを発揮していって欲しいものです。