こんにちは!
2015年の12月までシルク・ドゥ・ソレイユのラヌーバに出演していました、縄跳びパフォーマーのまっちゃん(@macchan8130)です。
2017年一杯で自分の出演していたラヌーバが終演するということで、終わってしまう前にアメリカまで見に行ってきました。
2年ぶりにショーを観て、不思議な「満足感」を感じたんですよね。これは、ショーを観た満足感とは少し違った種類のモノでした。
[toc]この場所に自分がやりたい事はない
シルク・ドゥ・ソレイユの6年間はとても濃い時間でした。必死に毎日のショーに出演して、沢山練習して、怪我をして、ぶつかって・・・。今もう一度同じことをしろ!と言われたら躊躇するぐらいの濃度でしたね。
毎日必死だった中でいきなりのリストラ宣告をされて、そのまま半年後には帰国。気持の中にはどこか「またこの場所に帰ってきたい」という思いがあったんですよね。
でも今回の訪問でショーを観てハッキリと確認できました。いま、この場所には自分のやりたい事がなかったんだ、って。
抜けて初めて気付いた「失っていたモノ」
シルク・ドゥ・ソレイユの時間は楽しい時間ではありました。毎日がお祭りのような空間は今でも忘れられません。
だけど今の自分のやりたい事があの場所にはなかったんです。
たとえば今は「名古屋なわとび教室」を立ち上げて、名古屋をなわとびの街にすることを目指しています。この活動は日本に帰ってきて、しかも名古屋だったから始められたことです。
他にも帰国したことで沢山の人と出会うことができました。なかでもノマド的節約術の松本さんに年間スポンサーになっていただいたことが大きかったですね。小学校に直接縄跳びのパフォーマンスをやりにいけるのも、松本さんのおかげですから。
たしかに自分はシルク・ドゥ・ソレイユというステージを降りたかもしれません。でも、日本でまた違うステージに移動しただけだったんです。
シガミツカない、自然体の難しさ
物事や時代にはには流れがあります。
残念ながら自分の出演していたラヌーバも時代の流れで終演することになりました。これは寂しいことですが、時代の流れを変えることはできません。
ときに、流れはヒドイ仕打ちをしてきます。いきなり30歳でリストラされることだってあります。でもこれらの全てが何かが始まるキッカケでしかない。
今まで掴んでいたものを手放すことには痛みが伴い、無意識に自分の良いように捉えてしまう。さらに進めば、自分の勝手に解釈を加えてシガミツいてしまう。
本人は気づかないのですが、ここまで流れに逆行していくと、徐々にすり減っていきます。どうして上手くか無いんだ、なんでダメなんだ・・・。無理して流れを変えようとしても、どっちにも進めなくなってしまう。
そう、無理せず自然体で時代の流れに身を任せるのは、簡単なようで難しいことなんです。
荒療治としての過去への訪問
シルク・ドゥ・ソレイユへの訪問はちょっとした荒療治でした。
ついこの前まで出演していた場所に自分が居ないんですから、どんな感情が湧き上がるか不安だったんです。
でも荒療治は成功でした。いい意味で吹っ切ることが出来ましたから。
人には目を向けたくない過去や事件が一つぐらいあると思います。自分にとってシルク・ドゥ・ソレイユのリストラがそれでした。できることなら振れずにそっと温かい記憶で留めておきたかった。
でもこのままじゃいつまでたってもシルク・ドゥ・ソレイユの亡霊に取りつかれ、またいつか戻れるんじゃないか?という変な期待ばかり募らせて前に進めない。
辛い過去も時間(トキ)は解決してくれます。本人の気付かない所でキチンとココロは癒えているんです。
最後の一押し、文章で言う「。」を付ける。
こんな些細なキッカケであっても、人は前にすすめるようになるのではないでしょうか?