ほぼ全てのスポーツに「基礎」と呼ばれる動きが存在する。
ときにフォームと呼ばれたり
ときに型と呼ばれたり
バットの「スイング」やラケットの「素振り」が典型例だ。
なにも道具を使うスポーツだけじゃない。
走るフォームや高く跳ぶためのフォーム、
ボールを受けるときの姿勢、水をかく腕の動かし方、
板の立て方、縄跳びの回す形…。
挙げればキリがない。
ではこれらのフォーム・型と呼ばれるものとはなんだろうか?
端的にいうなら、これらはあなたが勇者になるべく託された伝説の剣である。
基礎とはモノマネしやすく最適化されたエキス
少し前の記事にこんなのを書いた。
センスとは「モノマネ力」である – なわとび1本で何でもできるのだ
ここで取り上げている意味のモノマネを、
より分かりやすく・伝えやすく洗練されたモノがフォームや型だ。
これらは過去の長い年月、多くの人によって経験・習得されて、
さらに習得した人々によって再構築され、より洗練されたものとして現代に受け継がれる。
つまり幾人もの経験と知恵・知識が凝縮されたエキス、まさに伝説の剣だ。
この武器を使えば、これまで何年何十年と掛かってきた動きを効率よく習得できる。
イチから動きを考えて一人の力だけで創りあげよう!なんて考えたら、どんだけ時間があっても足りない。
しかも結果として同じようなフォーム、型に落ち着いたりして…。
時に原点回帰も必要なのかもしれないけど、初心者には非効率的だ。
だからこそ、基礎と呼ばれる「フォーム」や「型」を最初に学ぶのが効率的。
★★
面白いことに、初めて特定の動きを経験する人には似た癖が現れる。
歩き始めの赤ちゃんがヨチヨチ歩くのもそうだし、
前とびに初めて挑戦する子どももそうだし、
逆立ちをすると身体が反ってしまうのもそうだ。
人は未知の動きをするとき、何とかしようと身体を動かす。
すると過去の運動経験から使えそうな動きを引っ張り出してきて、未知の動きに対処しようとする。
多くの場合、特定のスポーツでもしていない限りは運動経験にそう大きな差はない。
それが幼い子どもの場合はなおさらだ。
だから使おうとする動きのバリエーションがほぼ同じになり、似た動きの癖となって出てくる。
基礎が固まった状態とは何か?
では俗にいう基礎が固まった状態とはなんだろうか?
これは前回の記事でも触れた自動化された状態である。
俺の考える技術論 「タテ」と「ヨコ」の技術 – なわとび1本で何でもできるのだ細かい身体の動きや意識を、ほぼ無意識に近い状態でこなしてしまう。
これを自動化された状態と呼ぶ。
最初のうちは、あれこれと動きを意識しながらフォームや型を練習する。
肘が上がってるだの顎が高いだの、注文を付けられながら回数を重ねる。
すると、あれこれ言われてきた細かいことを無意識のうちにできるようになり、
次第に動きそのものをほとんど無意識のうちに完遂できるようになっていく。
これが基礎が固まった状態だ。
ここで注目したいのが、自動化に出てきた無意識の存在。
よく聞く悪い癖はこの無意識によって創りだされる。
特定の動きを繰り返すと、人は自然と効率的な動きになっていく。
さらに回数を重ねることで上記の自動化につながるのだが、この回数の重ねる動きがあまり良くない動きだったとしたら…お気付きの通り、良くない動きが無意識に行われ自動化されてしまう。
この点で基礎を学ぶときは上級者や先輩に学ぶのが良い。
早い段階で良い動きを自動化しておけば、後に苦労が少なくてすむ。
まとめ
フォームや型は長い歴史を経て受け継がれてきた伝統である。
最初はなんでこんな動きなんだ?と疑問に思うかもしれない。
拒絶反応を起こして我流を出したくなるかもしれない。
だがそこはグッと堪えて、存分に旨味エキスを享受してほしい。
結果としてそれが効率的なのだから。
また基礎を学んだ人々は、たまに基礎へ立ち戻ってみるのをおすすめする。
なぜこの動きが良いのか?を原点に立ち戻って問いなおす。
ダブルダッチのターニングは肘支点なのはなぜか?
2重とびで予備跳躍として「まえとび3回」をするのはなぜか?
剣道で紙一枚入るぐらい踵を浮かすのはなぜか?
問い直せば、それぞれにシッカリした理由があることに気づく。
どうして効率的なのかを再確認できる。
それは基礎の再構築への第一歩となり、あなたの意思が伝統に加わる。
基礎の再構築についてはまた別の機会で。