シルク・ド・ソレイユではステージでの「存在感」が重要だと言われます。
シルクのステージは客席から見るよりも広く、客席は想像以上に遠くにあります。しかしステージに上るアーティストは観客1人1人に向かって演技を披露する。ここで大切になるのが「存在感」です。
いくら世界レベルの技を持つ人でも、ポツンと演技をするだけでは観客まで届きません。アーティストの放つ存在感があって初めて観客まで届くのです。
ではステージ上で重要な存在感とは、一体何なのでしょうか?
身体を使ったパフォーマンスをする人にとっては大きな課題です。そんな存在感について興味深いページを見つけたので、ご紹介したいと思います。
(※)出典
★存在感に関して他にも興味深い記述があります。興味のある方はご是非覧ください。
「存在感」は薄い状態とは?
ではまず「存在感が薄い」とはどのような状態でしょうか?
ここでは存在感が薄い状態の人を「身体が見えない」もしくは「地に足の着いていない」と表現しています。身体が見えないというのは、目の前にリアリティが無いということ。つまり目の前で「人体」という物質は動いているが、そこに何も感じることがないという意味です。
ではなぜリアリティが失われ、単なる人体という物質に見えるのでしょうか。
それは、舞台上で自分のやるべき事をやるのではなく、やるべき事をやっている「つもり」あるいは「思っている」状態の人の事である。
その舞台に、自分は舞台に立っていると「思って」おり、その上に自分のやることを「やろうと思って」いるのだ。
そうなると、上演するべき舞台に一切の現実感が無い。
それがもう少し進歩すると、自分のやる「段取りを」常に頭の中に思っているという状態なのだ。
それは、全てはその人の「頭の中で完結している」からである。
最後の一文が全てを表しています。
ステージ上では「AからBに歩く」のような段取りがあります。振付けです。文字にすれば単なる動作にしか見えませんが、実際のステージではこの移動中に多くの事情が含まれます。
人は「歩くため」に「歩く」という行動はしません。歩くのは何か目的があるからです。そこにあるジュースを取りに行くのか、追い掛けてきた犬に見つからないためなのか、、、「歩く」という動作1つをとっても、非常に多種多様な「歩く」があり、その場面に即した歩き方があるのです。
こうした背景を考えず、左右の足を交互に出すだけの「歩く」ではリアリティが生まれない。結果、存在感が薄くなります。
ゾンビのパーティ
映画のタイトルじゃありませんww
これはアメリカのダンサー発掘番組「アメリカン・ダンス・アイドル」で審査員が発したコメントだそうです。
「それはゾンビのパーティだろ」という審査員のコメントには大笑いしたが、それは正に存在感の無い、つまり、誰かに見せる為のものではなく自己完結しているダンスだった。
ここで言うゾンビとは存在感の薄い人のこと。彼らが集団で踊っている様子を見て、審査員はゾンビのパーティと表現したのです。
彼らがゾンビになってしまったのも上記のリアリティが無いから。ただ自分の頭の中で考えた「人体の動き」を再現しているだけだったのです。きっと本人たちはそれがダンスだと信じていたと思います。しかし上手に動くだけでは存在感は出せません。リアリティが不可欠なのです。
では審査員は何を見ていたのでしょうか。
オーディションならばダンス技術でしょうか?いいえ、技術は最低条件に過ぎません。技術がない人はスタートラインにすら立てません。
ダンスに対する情熱や意思、そして技術、それ以上にそれを超えたもの、つまり、それらを持つ自分を超えようとしている意思が見えるダンサーを審査員は評価していた。
酷なようですが、どれだけ練習をしても根本となる「情熱」だけは学習することが出来ないのです。良し悪しではありません。舞台に向くか向かないかの違いです。
技術は当然のこと、審査員はこうした根本の「情熱」を評価していたのです。
「存在感」の第一は情熱
最後に、存在感を出すにはどうすればいいのでしょうか。それはこれまで見てきた事の反対をすれば良いのです。
具体的には、
舞台で余計なことを考えないこと、
段取りを追いかけるような演技をしないこと、
「間違えたくない」「自分をよく見せたい」と言った自意識に打ち勝つこと、
といったところです。
「頭」で考えるだけの動きに存在感はありません。頭で考える段階を乗り越えるべく、圧倒的な稽古と練習が必要になります。ここに「情熱」が不可欠になるのです。
ここで著者は「死ぬほど稽古をしてみればいい」と助言します。ぶっきらぼうなようですが、実にもっともな意見です。死ぬほど稽古に打ち込んでも枯れない情熱を持ち合わせなければ、ステージに立つことは出来ません。
自分が好きでやりたい、と言うのは間違っていない。
しかし、そのことで観客が減って行くという、全体に対する迷惑をかけているという事を忘れてはいけない。
どだい舞台上で「存在感」が無い、ということなど論外である。
厳しいようですが、これがステージの世界なのです。
まとめ
いかがでしたか?
「舞台上で存在感がないとは論外」との厳しい言葉もありましたが、いずれもプロとしてステージに立つ人間に問いかける言葉です。
冒頭で「存在感について考えたこともないのかと答えに困った」と指摘をしていますが、日々ステージに立つ人間こそ一度立ち止まり「存在感」について考えることが大切ではないでしょうか?