仕事をするとは、常に誰かの評価を受けることです。
自分にもArtistic Director*1(以下:ディレクター)という直属の上司がいます。他にも振付家や本部のディレクターなど、自分たちの評価する人はいくらでもいます。
すると、ときに不本意な評価を受けることがある。
無意識だったことが変に高い評価を受けたり、頑張って取り組んだことが思ったより評価されなかったり。場合によっては頑張ったことが裏目に出て、かえって評価を下げてしまうことも。
労力を注ぎ込んだのに評価されないのは悔しいです。上司への不満が生まれます。なんでこの評価なんだ、もっとちゃんと見てくれ、評価してくれ。。。
主張すべきは主張します。しかし同時に、自分の目には見ない事実の存在を認めるのはどうでしょうか?
なぜアイツばかり評価が高い?
あなたの周囲にもなぜかアイツだけ評価が高い!って人がいると思います。傍から見てもこれと言って仕事ができるわけでも無いし、目立った成果も上げていない。なのになぜアイツだけ…という苦い思いをしている人も多いはず。
似た状況はシルクドソレイユでも起こります。
集団アクトに出演するアーティストは、次のステップとしてキャラクターのバックアップ*2を目指します。ラヌーバで言えばトランポリンや空中ブランコのアーティストですね。
もちろん条件や基準はあります。自分のようなソリスト*3は門前払いです。しかし、なぜこのアーティストばかり選ばれるんだ?という疑問が出るのも事実。一回や二回でなく、複数回チャンスを掴む様子を見ると疑問も募っていきます。
評価の決め手は無限に存在し得る
上司に振り回されているように思えますが、もちろんそんなことはありません。というより、事情はそんなに単純じゃないんです。
確かに最後の決定権はディレクターにありました。彼がGoサインを出したことで評価が決まりました。ですがここに至るまで、果たしていくつの要因が重なったでしょうか。
求めていた人材が、たまたま男性だった。
条件に合う人が、来週までに必要になった。
○○が適任だけど、今は怪我をしている。
・・・。
パッと想像してもいくつも要因が挙げられます。もし◯◯が怪我をしていなかったら、もし期限が来月だったら。こうした決定を左右する見えない要因はいくらでも見つけられるのです。
何か悪いことが起こったとき、自分に対して陰謀や負の力が働いたという結論を下し、反対に何かいいことが起こったときは、自分がそれに値するすばらしい人間だと結論づける。けれども人はこうした錯覚にいずれだまされる。
評価された人は条件を備えていたかもしれません。しかしタイミングが変われば別の評価を受けていた可能性が高い。
かくいう自分も同じこと。このステージに立てた要因の大半は幸運が重なったものだと思っています。
2010年、たまたまラヌーバのアクトを入れ替えることになり、たまたま縄跳びが選ばれて、たまたま登録していた自分が目に留まって声をかけてもらえた。もしラヌーバに入れ替えで縄跳びが入らなければ、もしもっと条件の合う人が登録していれば、ここに居なかった条件だっていくつも思い付きます。
本当の謙虚さは、自分の人生や事業が目に見えない多くの要因によって決定づけられてきたこと、そしてこれからもそうあり続けることを理解するところから始まる。
まとめ
見えていなかった事実を受け入れるには苦労が伴います。苦し紛れに抗ったところで、何も解決にはなりません。
こんな面白いジョークはないと自分では思っていても、そこにいる人が誰も笑わなかったらやめるしかない。自分に見えないことが見えているんだと思うと辛い。
評価が低いからといって、全てあなたが悪かったわけじゃない。反対に評価が高いからといって、すなわち素晴らしい人間かは分かりません。
あなたがどれだけ目を凝らしても「見えない事実」は存在します。要因の全てを知ることはもちろん、操作することも不可能なのです。見えないものを無理に追い掛けるより「そういうもんだ」と認めてみましょう。
評価に一喜一憂するより、この方が随分とラクになれるのではないでしょうか。
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*1:日本語でいう演出家。ショーがよりよく見えるよう振付・衣装・照明などの責任を担う
*2:代役のこと。怪我や病気でショーに出られない時に出演する。
*3:個人もしくは3名以下で演技をするアーティストのこと