ショーは基本的に同じ演技ですが、たまに振付家やディレクターから手厳しいコメントを投げかけられます。
ある時、振付家に「(ある技が)全然面白くない!何やってるんだ!?」と唐突に言われました。この技は必死に練習した動きで、習得までに随分と苦労しました。でも振付家の目には単調すぎてツマラナイ動き、に見えたそうです。
正直ヘコみました。技はもちろん自分自身を否定されたような気がしたのです。結局、単調に見えない工夫を加えて動き自体は残ることに。それでも、どこか厳しい指摘にイラっとしながら振付家の言葉を聞きました。
渾身のアイディアや仕事が否定されるのはシンドイです。率直な意見に対して怒りや憎しみの感情を覚えるのも理解できます。でもこれって気付かない間に「仕事」と「自分」を同一視してるんですよね。
仕事への「思い入れ」が自己投影と愛着を生む
真剣に熱心に取り組むのはいい事ですが、思い入れがある仕事には自分を投影しがち。誰でも長い期間を一緒に過ごした仕事には愛着が沸くものですよね。仕事が自分の分身みたいに感じるんです。
すると仕事への評価や批判を自分への攻撃だと捉えてしまい、仕事を守ろうとします。成果の有用性を必死にアピールし、何としてでも仕事の価値を認めてもらおうと腐心します。
でも最初から完璧な仕事はありません。他人の目で見て初めて分かる発見もあり、こうした意見を取り入れながら仕事は歩みを進めていくものです。
仕事に人格を宿してしまう
さらに進むと、知らない間に「仕事=人格」と捉えてしまいます。こうなると周囲の指摘を冷静に聞けません。例え仕事への意見であっても、無意識に「人格攻撃」と捉えてしまいプライドをかけて反撃してくるんです。
否定的な意見にはすぐ反撃し、仕事の優位性を守ろうとする。それが改善点や建設的な意見であっても、仕事の内容を変えようとするもの、優位性を揺るがそうとするものは排除していきます。
こうなると誰のための仕事か分かりません。
否定的なコメントを排除して反撃していれば優位性は保てます。しかしこれだと本来挙げられていた成果を失う結果になります。仕事の本来の目的は「誰かの役に立つ成果」です。担当者の思い入れを満たすことではありません。
仕事と人格を切り離す努力
誰でも愛着あるものを批判されたら気分よくありません。でもここはスーッと深呼吸をし「仕事」と「人格」を切り離す努力が大切です。誰に何と言われようと、あくまで仕事への指摘だと割り切るのです。
もし手厳しい意見がいきなり来るのが怖い…という場合、まずは自分の手で叩きのめしましょう。否定的コメントを重箱の隅を突くように探しておくのです。否定できる要因を見つけ頭の片隅に忍ばせておくと、随分と心に余裕が持てます。
愛着あるに仕事こそ、千尋の谷に突き落とす覚悟が必要なのかもしれません。