こんにちはー。縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。
これだけ長年縄跳びに触れいるので、演技を見る目がどうしても一般とはスレてくるんですよね。
技の難しさ、つなぎ方、技の出来栄えにどうしても目が行ってしまう。競技出身ということもあり、点数がどうつくか?なんてジャッジ目線もどうしても拭いきれません。
これ、どの分野でもある程度はしかたないです。でも、色眼鏡をつけてるんだよ!という意識は忘れずに持っておいたほうが良いと思うのです。
[toc]あなたの見え方が全てじゃない
競技出身のパフォーマーにありがちなのが「技の難しさ」で善し悪しを判断してしまうこと。スポーツという特性上、難しさを追いかけてきたので染み付いているんですよ。
でも、当然ながら難しければ全て善いとも限らない。
たとえば「4重跳び」の技は難しい。世界レベルです。しかし4重跳びの技をやって成功させればすべてがいい演技になるわけじゃない。むしろ4重跳びをやってるんだよ!スゴイでしょ!?という言い訳をしがちなんですよ。
x間違い 「難しさ=凄さ=パフォーマンス」
◯正解 「難しさ≠凄さ≠いいパフォーマンス」
悩み続けることから逃げてしまう
いいモノとはなにか?を問い続けるのは苦痛です。これはパフォーマンスも同じこと。
何が良いか悪いかもわからない。評価基準すらよくわからない。そりゃ向かう先のないままに進んでいくのは誰でも不安ですよね。
ここで顔をもたげてくるのが「競技規則」や「ルール」です。パキっと白黒付きますからね。点数が出るのがいいモノです。何がよくて何が悪いか悩む必要はありません。
人は不安になると、分かりやすいゴールや目標を追いかけたくなってしまうの生き物なのです。
悩むことが答えだったりする
誰かが決めた「ルール」に乗っかれば、ラクに評価基準を作ることができます。さらに言えば気付かずに業界や分野の評価基準に自らを放り込んでしまってるかもしれない。
ブログの世界で言えば「アクセス数(PV)」が上がれば良いブログ、なんて話があります。
でも数が稼げるのは本当に良いことでしょうか?
どんな考えでアクセス数が高ければ良いと判断してますか?
パフォーマンスでも同じです。つまるところ、いいモノ(演技・ブログ・etc)とはなにか?をひたすらに悩み続けるしかないんです。
シンドいですよ。行き先を決めるのも、基準を決めるのも、すべて「よくわからない」から掘り出していくんですから。でも悩むことをやめてた瞬間、人は業界に染まり凝り固まっていく。
悩み続け、問い続ける人にしか、新しいモノを生み出せないと思うのです。
間違えて、悩んで、道を切り開いていく
正解なんて無い、とはよく言ったものです。
たしかに正解なんてないと思うんです。けど、自身で「正解らしきもの」を見つけるための探求が正解なんじゃないかと思っています。
年齢を重ねると省エネや効率化が上手になります。しかし、ときに効率化を取り違えて「手持ち札で一時しのぎ」になっていないでしょうか?