こんにちはー。 縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。
自分は「お天道様が見ている」のフレーズが好きです。
お天道様が見てる
読み方:おてんとうさまがみてる・おてんとさまがみてる
別表記:お天道様が見ている人間の悪事に対して、ほかの人間が誰も見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらかぬべきだと説く語。お天道様がそのまま太陽を意味することもあれば、神や仏といったものの象徴として扱われることもある。
本来だと「隠れて悪さしてもバレるよ!」という意味です。ただ自分は少しだけ解釈を加えて捉えています。
ここで言う「お天道様」は、未来の自分自身だと考えているんです。
今の自分を支えてくれるのは、過去の自分だけ
隠れて悪さをしたとしましょう。嘘をついて休んだでもいいし、誰かの善意を無碍にしたでもいいです。そんなあなたを見て、将来のあなたはどう感じるでしょうか。
自分は「うわぁ」と嫌悪感を感じます。この嫌悪感を想像して、いまの行動を決める基準にしているんです。
過去に武田鉄矢さんが「ジェネジャン」という番組でこんな事を仰っていました。
自分を励ましてくれるのは過去の自分だけだよ
みんな援交(援助交際)やってたけど自分はやらなかった
これは、すごい自信になるんだよ
自分の解釈する「お天道様が見ている」は、この考え方に通じるんです。
人は環境に流されやすい。周りがやっていれば罪の意識も薄れて一緒にやってしまう。みんながダラケているなら、自分だって良いじゃないか。こうして同じ方向へと流されます。
似たことをブロガーのイケダハヤトさんも仰っていました。
この世の中には、「ラクな方に落ち着けるための圧力」が存在しているように感じます。そういう圧力は基本的にはいいものなのですが、常人の域を超えたいと願う人にとっては、邪魔者にしかなりません。その圧力に負けてしまうと、常人の範疇に収まってしまいますから。
— イケダハヤト (@IHayato) 2015, 11月 4
ここで仰ってる「ラクな方に落ち着けるための圧力」とは、いわば同調圧力なんですよね。赤信号皆で渡れば怖くない的な。
一歩を踏み出してしまうか、踏み留まるか。これがお天道様(=未来の自分自身)が見て嫌悪感を持つかどうかの分かれ道になるんです。
過去の自分を嫌いたくない
いまでも、たまに昔の動画を見ます。シルクドソレイユに入ったばかりの頃の演技とか、それはもうこっ恥ずかしい。下手くそだなぁ、未熟だなぁ、慣れてないなぁ…でも「嫌い」ではありません。
あの当時は経験が浅いなりに必死でした。シンドかった日々がフラッシュバックしてきます。でも「不誠実」な時もありました。本人が一番知ってます。どこか気を抜いてステージに立っている。それは画面からも通じてきます。すると、嫌な気持ちが沸々と湧き上がってくるんです。
未熟なのは仕方ありません。大切なのは誠実に向き合っていたかどうか。それは、誰よりも本人が一番知っているんですよね。
おわりに
そりゃ怠けたい時もあります。一日中寝て過ごしたい日だってあります。人間ですから。
本当に良いのかな・・・と迷った時「お天道様が見ている」を思い出します。つまり未来の自分自身が見るのを想像して、嫌な気持ちになるかどうか。
いつも頑張り続ける必要はないです。でも、あなた自身に「不誠実」を続けたら癖になります。自分が信じられなくなり、自信が失われてしまいます。
お天道様が見ている、は本当ですよ。