こんにちは。日本なわとびアカデミーの粕尾将一です。

なわとびの指導に限らずではあるのですが、子どもたちを教えていると、周りの子を傷つけるような発言をしてしまったり、言葉尻を捉えてからかったりと、自分以外の子に対して攻撃的になってしまう子に一定数出くわすことがあります。

スポーツを指導している以上、勝ち負けや上手い・下手というのはどうしても見えてしまうものですが、これについては気をつけながら対応する必要があると感じています。今回は、そうした子どもへの向き合い方についてまとめてみたいと思います。

勝ち負けはスポーツの「ひとつの側面」でしかない

大前提として、技術を競う大会などに出れば順位がつきます。勝ち負けや、1位・2位・3位といった順番が決まるわけです。

とはいえ、勝ち負けがつくというのはスポーツのひとつの側面にすぎません。競技として取り組んでいても「大会に出ない」という選択肢もありますし、大会に出ているから、あるいは勝ったから偉いというわけでは決してありません。

しかし、大会に出ることや勝つこと自体が目的になっている子ども、特に小学生の場合は「大会で勝つこと=すごい、偉い」と勘違いしてしまうことがあります。

目標を持って頑張ること自体は素晴らしいのですが、「勝つ=価値がある」「負ける=価値がない」といった極端な発想に陥ってしまうのは非常に危険です。

たとえば、大会で1位になった子が場を乱すような言動を取ったり、他の子に暴言を吐いたり暴力を振るったりしても、「あの子は1位だから許される」となってしまえば、それはもうスポーツとして崩壊しています。

スポーツを通じて何を学んでほしいのか

子どもたちにスポーツを通じて何を学んでほしいのかというと、最後はやはり「メンタル面やスポーツマンとしての成長」に行き着くはずです。

自分の目標や目指したい未来に向けて地道に努力すること、そして仲間と一緒に競い合ってお互いを高め合うこと。そうしたスポーツマンシップを育んでほしいと思っています。

結果として負けてしまっても、「次は頑張ろう」と前向きに捉えられるなら問題ありません。

しかし、「ジャッジが悪かった」「相手がズルをした」と他責にしたり、対戦相手や審判、大会そのものへのリスペクトを欠いてしまうようであれば、幼少期やジュニア期にスポーツをやる価値はゼロどころか、害にすらなってしまいます。

自分が上手だからといって他の子を卑下したり、見下したりするような態度を目にしたときは、厳しく指導すべきだと考えています。

お互いに尊重し合い、得意なことや苦手なことを教え合える仲間としての関係性を築くこと。

たとえば、高学年の子が低学年の子に教えてあげて、低学年の子はその背中を追って憧れるような、前向きな相互関係が理想です。

「先輩だから偉い」「苦手な子をいじめていい」といった古い風習や空気感は、絶対にあってはなりません。

勝ち負けとの健全な距離感

現在、学校現場などではあえて勝ち負けをつけない風潮も見られます。

過度な競争を避ける意図は理解できますが、そこに偏りすぎるのも少し行き過ぎではないかと感じています。

欧米諸国では、中学生くらいまでは勝ち負けにとらわれずにスポーツに親しむ態度を育てる方針が一般的になりつつあります。一方、日本をはじめとするアジア諸国では、依然として大会での勝敗にある程度の価値が置かれています。

今後、日本でも中学生や高校生くらいまで勝ち負けのない大会が主流になる可能性はありますが、2026年現在はまだそこまで至っていません。

だからこそ、子どもたちが勝ち負けとどう向き合うかについて、私たち指導者がしっかりと導いていく必要があります。

おわりに

勝ち負けは目に見えてわかりやすい指標だからこそ、指導者や教育に携わる大人がその扱い方に十分注意を払わなければなりません。

小学生の間は、勝ち負け以外の「スポーツの根源的な価値」に気づいてもらうこと。そして将来、本格的な勝負の世界に入ったときにも、相手へのリスペクトとスポーツマンシップを持って純粋にスポーツを楽しめる大人に育ってほしいと願っています。

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。