シルクドソレイユが教えてくれた大切なコト

目的のズレた達成感が生む「根拠の薄い自信」

こんにちはー。
縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

ついこの前、ブログのURLを変更しました。これが結構面倒くさくて、丸々1日作業に使ってしまいました。おかげさまでwww.shoichiKasuo.comへ変更が完了。といっても見た目は殆ど変わらないですし、訪問者としてはどっちでもいい事なんですが…。

さて本題。よく「行動を起こすのが大切」「まずは動いてみる」という話をよく耳にします。たしかに実際にやってみないと分からないことは多い。はてなブログがサブドメインしか使えないとか…。

今回はこの「とにかく行動しろーー」という風潮で感じていることを。

行動は達成感を得られる

なにかをやり遂げたら達成感があります。たとえば分厚い本を読み切るとかも達成感ありますよね。読む度に少しずつにページが減っていき、ある日最後のあとづけに到達する。自分もこの達成感がほしいので、あとづけと著者紹介は絶対に読みます。

他にも「人に会う」とか「セミナーに参加する」とか行動を起こしてる感じがあります。

これらはどれも達成感があって、有名人と食事できれば次に繋がるかも?と想像できますし、セミナーで学びと気付きを得たような気がします。

達成感をどこに感じるか?

でもこうした達成感は少し注意が必要です。達成感に引っ張られて、目的がズレやすいんです。

本を読み切る達成感は大切かもしれません。でも読み始めた時の目標はなんでしたか?

はじめから100冊の読書を目標にする!なら良いかもしれません。でも「新しい知識を得たい」とか「未知の世界を覗きたい」とかを求めていたはずなのに、知らない間に目標がすり替わってしまった場合。これが厄介です。方向性が変わってしまってるのに自覚がないんですよ。

また人に会うのも同じ。憧れの人に会って何かを学んだり、下世話なところだと人脈を広げたりが目的だったはず。なのに「憧れの人に会った!」ないしは「会ってもらう約束をした!」という段階で目標達成したような錯覚をするんです。

達成感は心地よい

達成感は心地良いです。なにかをしてる実感があるし自信が付きます。でもこの自信はちょっと薄い。いわば「根拠の薄い自信」です。

もちろん根拠の薄い自信が悪いわけじゃなくて、なんなら根拠の無い自信も必要です。大切なのは違いに気付く事だと思うんです。

若い時は誰しも根拠の無い自信で支えられています。それは残された人生の時間だったり、未来への可能性だったりするのでしょう。でも年齢を重ねるに従い、未来に対して漠然と楽観はできない。どこかに進んでいる実感がほしい。ここで登場するのが根拠の薄い自信です。

そしていよいよ「自分を信じる」という絶対的な根拠=過去が必要になり、「根拠のある自信」を目指すようになります。

自信を創るものは何か

これらの自信の違いは「頭・心・身体」をどれだけ動かしたか?と考えています。

根拠のない自信はどこからともなく湧き出る泉です。無条件で自分を肯定できるという意味で大切にしたい自信です。

根拠の薄い自信は「身体」と「心」を動かします。ですが「心」が動くのはプラスの方向ばかり。ただ、一人でできることは限られているので、何かと繋がったという事実が支える自信は必要です。

根拠のある自信は「心」がプラスとは限りません。挫折で打ちのめされ、マイナスに振り切ることだってあります。また根拠のある自信は「頭」と「身体」を積極的に動かします。この時、結果が望んだものかどうかは大きく関係ありません。

「頭・心・身体」を、これでもか!!と動かし、突き進んだ先にあるのが「根拠のある自信」だと考えています。

おわりに

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photo by Frederick Homes for Sale

たまに自慢話ばかりをする人がいますね。自分もそうでしたが、これは根拠の薄い自信に支えられているからです。自信の根拠が本人以外なので、いつも繋ぎ留めていたいという不安が顔を見せてるのだと思います。

自信の根拠の「有無」や「薄い濃い」は善し悪しではありません。ですが自分を支えている自信はどこから来ているのか?を知っていないと、思わぬ困難にぶつかった時に潰されてしまう。

ここで助けてくれるのは泉のように湧き出る「根拠のない自信」か、頭・心・身体を総動員した「根拠のある自信」のいずれか。

根拠のない自信が弱まっている人は、少しずつバランスを変えていったほうが良いかもしれません。