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  • なぜ、同じ技でも「チーム」や「人」で盛り上がりに差が出るか

    なぜ、同じ技でも「チーム」や「人」で盛り上がりに差が出るか

    Clapping
    Photo By Cody Long

    大会があるとスゴイ数の動画を見ます。先月も100本以上は見ました。

    こうして多くの動画を見ていると、同じ技なのにチームによって盛り上がりが違うことに気づきます。ダブルダッチでは面ハリー*1とアクロバットが盛り上がりますが、ミスが無いのに観客のリアクションに差が生まれてしまう。

    なぜ同じ技をしてるのに観客のリアクションに差が生まれるか。ここには大きく3つの要因があると思うんです。

    その人、チームへの期待感

    コンテストのような大会では、上位に食い込む強豪チームは自ずと有名になります。さらに○○の誰々さんは何が上手だ!みたいな下馬評も出てくる。

    これってその人、チームに対する会場からの期待感に直結するんです。

    よっ!待ってました!!みんなが期待してる○○さんの技!!!という感じで、誰がその技をやるか?で盛り上がりが変化する。広い意味では、その人と技がセットになったことで生まれた盛り上がりとも言えます。

    反対に、無名の人はこの盛り上がりを追い風にできない。その場でのみ評価されるので、ステージ立つ段階でハンデ戦になるのは仕方ありません。

    つまり、何をやるか?より誰がやるか?で盛り上がりが左右されてしまうんです。

    経験値からくる自信

    次にポイントになるのはステージ慣れ。どうしても本番は本番でしか経験値がつめません。この、経験値からくるステージ慣れと自信がパフォーマンスの質を押し上げます。

    たとえば全く同じ動きでも、経験値が低いチームは随所にぎこちなさが出てしまう。縄に入る瞬間で余計に助走したり、次の動きを気にして下ばかり向いていたり。。。

    人は経験を積み重ねることが出来ます。極度の緊張が強いられる本番でも同じこと。それまで積み重ねた経験を下敷きに、これなら大丈夫!と本人やチームに自信を持つことが出来ます。

    不思議なもので、パフォーマンスは言葉で表せない部分もしっかり観客に伝わります。ちょっとした躊躇や焦り、言葉されて初めて意識に上るような些細な現象さえ、観客の評価に影響を与えるのです。

    「何となく良かった」をじっくり検証してみると、技自体よりこうした小さな積み重ねが原因だったりします。

    動きが効率化されて観客の快感を引き出す

    動きは、回数と経験を重ね効率化されていきます。一般の小学生と日本代表選手がやる二重跳びは違います。後者のほうが圧倒的に熟練度が高いですよね。

    以前「タテ」と「ヨコ」の技術について記事を書きました。ここで言う熟練度が高いのは、ヨコ方向が伸びている状態です。

    参考記事:俺の考える技術論 「タテ」と「ヨコ」の技術

    効率化とは余計な力や余分な動作を削ぎ落とすこと。人は整った動きに安心感を覚えます。安心感が重なると、次第に快感へと変化していきます。

    貪欲に本番を経験する大切さ

    こう考えると結局は長年やってるチームには勝てないのか…と思えます。ですが年数と経験は全てがイコールではありません。

    経験が浅いうちは、貪欲に本番を経験すればいいんです。大会は年に数回に限られますが、パフォーマンスの出来る場所は他にも沢山あるはず。

    単縄の人は冬場になると小学校へ出向き、毎日のようにパフォーマンスしまくってます。年間100回以上する人もいるので、彼らはモリモリ経験を積んでいると言えます。

    練習は大切です。が、それ以上に大切なのは実際に人前でやるパフォーマンス。100時間の練習より5分の本番の方が学ぶことは多いです。

    たとえ歴が短くても、貪欲に経験を積めば年長チームにも勝てるかもしれません。

    *1:お客さんの方を向き、素早い足捌きで跳ぶ技や組み合わせの総称

  • 粕尾将一が演技で使う縄跳びを選ぶ、3つのポイント

    粕尾将一が演技で使う縄跳びを選ぶ、3つのポイント

    先日、問い合わせフォーム経由で「粕尾さんはどのような縄跳びを使っていますか?」という質問が来ました。

    このブログでも前とびや二重跳び、そして交差とびの時にオススメの縄跳びは紹介してきました。が、言われてみるとたしかに自分自身が使ってる縄跳びを紹介したことがなかったなぁと。

    関連記事:

    縄跳びがとべない子供に贈る、前とびが跳べるようになる6つのステップ
    二重跳びのコツ決定版!小学生10万人へ指導した練習法を公開
    交差とびを先に練習しろ!誰でもできるあやとび練習5つのステップ

    なので今回は、縄のまっちゃんこと粕尾将一がどんな基準で縄跳びを選んでいるかを紹介します。

    ショーで使っているのはインド製

    まず、いまシルクドソレイユで使っているのはインド製の縄跳びです。これは競技選手時代からずーっと使っていて、かれこれ10年近く同じものを使っています。

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    自分が縄跳びを選ぶ基準は大きく分けて「太さ」「硬さ」「色」の3つ。インド製の縄跳びはこれらの要素を良い感じに満たしてるんですよ。まぁ冬場に切れやすい欠点はあるのですが…。

    太さは4mm、これ以上細くしない

    まず1つ目に見るのは太さ。自分はいつも4mmの縄跳びを選ぶようにしています。

    これが0.5mmでも細くなると、途端に軽く回せるようになります。それだけ空気抵抗が減るんですよね。たった0.5mmでも回した感じは大きく変わるので、太さ選びには慎重になります。

    実を言うと、もっと細い方が三重跳びはやりやすいです。以前は3mmのを使っていましたので、そちらに比べれば4mmは随分と思いっ切り回す必要がある。

    でも、太いほうが見た目が良いんですよね。

    そりゃ10mmとか20mmの綱みたいなのを使えばもっとよく見えます。でもこれだと得意の素早い技ができません。反対に2mmとかにすれば圧倒的に跳びやすいですが、客席から殆ど縄跳びは見えない

    自分たちは跳ぶ姿を見てもらってナンボの商売なんで、演技に支障が出ない範囲で太くするようにしてます。


    (※)三重跳びに特化した縄跳びの例。細い設計なので早く回すやすい。

    柔らかすぎる縄跳びは操作しにくい

    次に見るのがロープの硬さ。

    硬さを調べる指標は、足で踏んでみて必要以上に伸びないかどうか。なかには10cm近く伸縮する縄跳びもあるので、あまり伸びないモノを選ぶようにしています。

    これは好みの問題もありますが、跳んだ時の操作感が柔らかさで違うんです。仲間内では柔らかすぎる縄跳びを「テロテロ」と表現していますが、柔らかいと回しながら空気抵抗で振動する。この振動がテロテロとした感触としてグリップから伝わってくるんです。

    自分は縄跳びに常に意識を入れていたい派なので、このテロテロがあると邪魔。繊細なコントロールの妨げになります。

    ただ硬い縄跳びにはクセが付きやすいのが欠点。保管方法を間違えればスグ癖が付き、戻すのに手間が掛かかります。この点、柔らかい縄跳びは癖がつきにくいので、あまり保管に気を使う必要はありません。

    関連記事:「縄跳びは結んで保管しましょう!」←あ、それオススメしません。

    なんだかんだ、白がいい

    最後は色ですが、自分はいつも白の縄跳びを選んでいます。なんだかんだ白い縄跳びが見えやすいからです。

    海外に目を向けても、9割以上の選手はビニールなら白を使っています。国内のトップ選手もほぼ全員が白い縄跳び。みんな考えることは同じなんですよね。

    色味がある方が見えるように思えます。しかし縄跳びは高速で動くため、色味があるとかえって背景に溶けてしまい見えにくくなるんです。

    様々な色を試しましたが、なんだかんだ白がベスト。白だと軌道がよく見えるため問題点を見つけやすいです。ちなみに黒は最悪。もはやエア縄跳び状態で、縄跳びが当たった場所すら見えません。

    関連記事:縄のまっちゃんを誕生させた、たった1つの師匠のアドバイス

    パフォーマンスと言う意味でも、客席から一番見えるのは白です。ラヌーバでは更に照明を当てて目立たせますが、どんな背景でも白だけは綺麗に見えるんですよね。

    まとめ

    今回は粕尾将一基準の選び方を紹介しました。ですがこれらはあくまで、ステージでのパフォーマンス性を重視してのことです。もし三重跳びをするのであれば細い方がいいし、二重跳び以上をするなら色なんて気にしなくても大丈夫。

    ただ残念なのは、これだけ縄跳びが盛んな日本国内にパフォーマンスで適したモノが売っていないこと。インドの会社が製造できるんですから、日本でだってきっと作れるはずですよね。

    もし、粕尾将一にピッタリの縄跳びを作るぞ!!という心優しい企業の方がいれば、ぜひご一報ください。

  • 自分を表現したい人は、つまりは何がしたいのか?

    自分を表現したい人は、つまりは何がしたいのか?

    自分は以前から「自分を表現したい!」というフレーズが不思議でした。

    表現したいのはわかるのですが、主体である「自分」とは一体どこから来るのかを掴めませんでした。たとえば舞台で怒りを表現する、というのなら解せるんです。なぜなら、抽象的な概念ではありますが「怒り」という指標があるから。

    しかし「自分」となると、こうした指標もありません。何をもって自分なのか?といった哲学的な問いのループにハマりそうです。

    これが最近になって、ようやく答えらしきモノが見えてきました。「表現したい」は「滞留している」とほぼ同じなのだと思います。

    実は表現したい「モノ」はが何かは分からない

    これまで表現といえば、先に挙げたような指標があって成り立つと思っていました。たとえ抽象的な概念でも、向かう方向がわかれば表現する方法があるからです。

    でも実際は、自分を表現したい人って何を表現したいのかを本人も不明確なままが多いと思うんです。何かは分からないけど表現したい。こうした欲求が自分を表現したいというフレーズに込められているのでは?と考えるようになりました。

    表現したい欲求はどこから来る?

    じゃこの欲求はどこからくるのか。それは中に溜まり続けるエネルギー。

    内側に悶々と溜まり続けるエネルギーは、ある一定で爆発しそうになる。エネルギーの滞留を解消したい!という欲求こそが自分を表現したいの根本にあるんだと思います。

    たとえばこの前の長期離脱した時は、エネルギーの滞留がハンパなかった。我々はショーでエネルギーを発散しています。ステージから客席にぶつけるのがアーティストにとっての「自分を表現する」という営みそのもの。

    この手段を奪われた自分は、どうすることも出来ないエネルギーを持て余すことしか出来ませんでした。結果としてブログというエネルギーをぶつける場所に発散しましたが、仮にブログをしていなくとも何か別の発散方法を見つけていたと思うんです。

    関連記事:牲はときに詰め寄ってくる:失った先に見えたブログの世界

    シルクドソレイユで言われるエナジーに通じるかも

    モントリオールのトレーニング中、エナジーを出せ!と頻繁に言われました。ただ無我夢中で動くことしかできなかった自分には、どうやってエナジーを出すのか検討もつきませんでした。

    ある日はOKで、別の日はダメ。

    どうやら元気一杯に動けばOKなのか?と曖昧な基準しか掴むことができず、デビュー後もひたすらに元気一杯に演技をすることしか出来ませんでした。

    エナジーが大切なのは分かってても、何がエナジーかを掴めないまま。あれから色んな人に質問をしましたが、誰も芯を食う答えは貰えませんでした。

    が、「自分を表現したい!」の流れで考えると腑に落ちたのです。

    自分の中に溜まり続けるエネルギー。発散したいという欲求。この発散の手法に縄跳びが乗っかった時、シルクドソレイユで使う意味の「エナジーの良い演技」が出来るんじゃないかな?と。

    なぜ表現したいエネルギーが溜まり続ける?

    では、滞留するエネルギーはそもそもどこから湧いてくるのか。正直まだ分かりません。

    面白い動画を見つけて紹介したい衝動。いい技を思いついて人に見せたい衝動。こうした衝動にエネルギーの源泉があるのかも?と考えてますが、まだハッキリと掴めてはいません。

    ただ、内部にエネルギーが溜まり続けて発散しなきゃ!!という欲求があるかどうかが、表現に向くか否かを決める大きな基準になるのは間違いなさそうです。

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  • シルクドソレイユがアーティストに『限界ギリギリ』を要求しない理由

    シルクドソレイユがアーティストに『限界ギリギリ』を要求しない理由

    88/365 - He knows what to do...
    Photo By Ramiro Ramirez

    先日、ラヌーバの仲間が快挙を成し遂げました。

    空中ブランコの4回宙返り。これはシルクドソレイユの歴史上初の快挙です。普段ショーでやってるのは3回転。それより更に1回転多いというのは、世界的に見ても最高難度の技。

    技が決まった瞬間にシアター内がどよめき、アーティスト達から歓声が上がりました。この大技を成功させた2人には沢山の連絡や贈り物が届いたといいます。

    Primero dar las gracias a dios y mi virgen de la tirana 03/27/2015 ..hoy es un día de ésos que jamás se olvidan en la vida hoy cumplo uno de mis sueño agarramos mi primer cuádruple más feliz y agradecido no puedo estar quiero dar las gracias a mi cacher Rob Dawson por llevar mi full triple y ahora mis 4 vueltas gracias a todas las personas que siempre confiaron en mi lo dedico a mi familia los Gonzalez Ivo Silva Jr Lucian Balsanulfo Renato Fernandes Miguel Trejo Vargas gracias Bruno Vargas zone Zane Frazer Daniel Ponce Justin Chodkowski Martin Rios Rigoberto Cardenas Cardenas Jaby González Sáez Alexis Gonzalez Palma Owen Omar Gonzalez Marlon Joel Caceres Gonzalez Peperoni Caceres Gaston Maluenda Maria Angela Gonzalez Rozas Pedro Javi Gonzales Daise Oliver Liborio Gonzalez Elayne Henriquez Rojas Patricio Alexis Henríquez Rojas Fernando Ventura Gonsales Potenza Paul Maluenda Ri Galvis Posted by Jonathan Jesus Gonzalez Rozas on 2015年3月27日
    ではこの4回宙返をショーでやるでしょうか?答えはNoです。なぜならこの技は「限界ギリギリ」だから。 いつも大技を決めていると思われがちなシルクドソレイユですが、実は限界ギリギリの技はやっていません。むしろ会社としてそのような技をやらせないように制御しているのです。

    なぜ限界ギリギリを見せない?

    観客の立場であれば「極限の技が見たい!」「世界で唯一の技が見たい!」という気持ちも理解できます。しかしこれは出演する側、マネジメントする側としてはリスクが高すぎるんです。 極限の技というのはそれだけ危険が伴い、身体への負担も大きい。一歩間違えれば大怪我や生命の危険に関わることを、年間で500回近くもできるでしょうか。 また限界ギリギリとは不安定を意味します。一か八か、成功率50%。加えて失敗による怪我のリスクを負うことになる。ここに、どれほどの精神的な消耗があるかは計り知れません。これではいくらタフなアーティストでも数週間で体力も精神も消耗しきってしまうことでしょう。 例えるなら連日徹夜を続けるようなものです。睡眠時間を削って働らかせれば、それだけ労働力を捻出できます。昨今話題のブラック企業というやつですね。 こうした限界ギリギリで働かされた人々はどうなったか、みなさんもご存知のはずです。

    ショービジネスとして成り立たせるためのバランス

    極限への挑戦、限界の突破・・・こうした言葉は耳触りがいいですが、非常に危険でもあります。 もっとスゴイことを、もっともっと…と、求め続けた先にあるのは消耗戦。長年トレーニングを積み上げてきたアーティストを、わずか数年で消費してしまうのは実に勿体ないことです。 シルクドソレイユはこれをよく理解しています。限界ギリギリを続ければ早々にアーティストを消耗してしまう。かと言ってありふれたショーでは観客に飽きられてしまう。 いかに消耗戦をせずショーを継続できるか。この両者の絶妙なバランスを維持していることこそ、シルクドソレイユの真の強さなのだと思います。

    アーティストという貴重なリソース

    自分も先日怪我で長期離脱をしましたが、他にも怪我でショーを休むアーティストは後を絶ちません。限界ギリギリでなくともサーカスには怪我がつきものなんです。 ですが、怪我をしたアーティストをシルクドソレイユはよほどのことがない限り解雇しません。復帰に数年必要な場合でも、再起不能でない限り全面的にショーに戻るための支援をしてくれるのです。 よく、この仕事は怪我をしたら終わり…と思われがちですが、そんなことはありません。むしろ怪我をしたアーティストをすぐ解雇していたら、シルクドソレイユは立ち行かなくなっていたことでしょう。 なぜなら人材の確保と育成には莫大な費用が掛かるから。ひとりのアーティストをショーに迎え入れるため、トレーニングをし、コーチを付け、衣装の採寸・作成をし、リハーサルをして…。もちろんアーティストをはじめ関係者全てに給料も支払わなければいけません。どれもこれも直接の利益を生み出さない経費になってしまいます。 だからこそ、怪我しても復帰してくれればOK。新しい人材を確保するよりは経済的。長い目で見れば、同じアーティストが長く出演する方が遥かに採算性が良いのです。 この意味で、ショーで限界ギリギリの技をやるのはかえって不利益を被ると言えます。

    まとめ

    粕尾将一の代名詞は多回旋*1でした。6重跳び…なんて技をやってたこともあります。 関連リンク:6重跳び 6under within one jump 粕尾将一 - YouTube たまに「ショーでも6重とびやるの!?」と聞かれますが、もちろんやりません。それは自分の身体が消耗品であることに気付いたからです。シルクドソレイユもそんな限界ギリギリの大技は求めていません。 どこが限界ギリギリかを見極めるのは難しい。 しかしショーの度に心と身体が傷むようであれば、もう少しハードルを下げてもいいかな?と考えるようになりました。 関連記事: 「時限能力」と戦うシルクドソレイユアーティストの現実 シルクドソレイユに1500回出演して分かったこと

    *1:一回のジャンプで二回以上の縄を回す技のこと

  • 上司の評価が不満?「見えない事実」を認めれば、満足する方が無理だと気付けますよ。

    上司の評価が不満?「見えない事実」を認めれば、満足する方が無理だと気付けますよ。

    Sweep hoe
    Photo By David K

    仕事をするとは、常に誰かの評価を受けることです。

    自分にもArtistic Director*1(以下:ディレクター)という直属の上司がいます。他にも振付家や本部のディレクターなど、自分たちの評価する人はいくらでもいます。

    すると、ときに不本意な評価を受けることがある。

    無意識だったことが変に高い評価を受けたり、頑張って取り組んだことが思ったより評価されなかったり。場合によっては頑張ったことが裏目に出て、かえって評価を下げてしまうことも。

    労力を注ぎ込んだのに評価されないのは悔しいです。上司への不満が生まれます。なんでこの評価なんだ、もっとちゃんと見てくれ、評価してくれ。。。

    主張すべきは主張します。しかし同時に、自分の目には見ない事実の存在を認めるのはどうでしょうか?

    なぜアイツばかり評価が高い?

    あなたの周囲にもなぜかアイツだけ評価が高い!って人がいると思います。傍から見てもこれと言って仕事ができるわけでも無いし、目立った成果も上げていない。なのになぜアイツだけ…という苦い思いをしている人も多いはず。

    似た状況はシルクドソレイユでも起こります。

    集団アクトに出演するアーティストは、次のステップとしてキャラクターのバックアップ*2を目指します。ラヌーバで言えばトランポリンや空中ブランコのアーティストですね。

    もちろん条件や基準はあります。自分のようなソリスト*3は門前払いです。しかし、なぜこのアーティストばかり選ばれるんだ?という疑問が出るのも事実。一回や二回でなく、複数回チャンスを掴む様子を見ると疑問も募っていきます。

    評価の決め手は無限に存在し得る

    上司に振り回されているように思えますが、もちろんそんなことはありません。というより、事情はそんなに単純じゃないんです。

    確かに最後の決定権はディレクターにありました。彼がGoサインを出したことで評価が決まりました。ですがここに至るまで、果たしていくつの要因が重なったでしょうか。

    求めていた人材が、たまたま男性だった。
    条件に合う人が、来週までに必要になった。
    ○○が適任だけど、今は怪我をしている。

    ・・・。

    パッと想像してもいくつも要因が挙げられます。もし◯◯が怪我をしていなかったら、もし期限が来月だったら。こうした決定を左右する見えない要因はいくらでも見つけられるのです。

    何か悪いことが起こったとき、自分に対して陰謀や負の力が働いたという結論を下し、反対に何かいいことが起こったときは、自分がそれに値するすばらしい人間だと結論づける。けれども人はこうした錯覚にいずれだまされる。

    出典:ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法

    評価された人は条件を備えていたかもしれません。しかしタイミングが変われば別の評価を受けていた可能性が高い。

    かくいう自分も同じこと。このステージに立てた要因の大半は幸運が重なったものだと思っています。

    2010年、たまたまラヌーバのアクトを入れ替えることになり、たまたま縄跳びが選ばれて、たまたま登録していた自分が目に留まって声をかけてもらえた。もしラヌーバに入れ替えで縄跳びが入らなければ、もしもっと条件の合う人が登録していれば、ここに居なかった条件だっていくつも思い付きます。

    本当の謙虚さは、自分の人生や事業が目に見えない多くの要因によって決定づけられてきたこと、そしてこれからもそうあり続けることを理解するところから始まる。

    出典:ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法

    まとめ

    見えていなかった事実を受け入れるには苦労が伴います。苦し紛れに抗ったところで、何も解決にはなりません。

    こんな面白いジョークはないと自分では思っていても、そこにいる人が誰も笑わなかったらやめるしかない。自分に見えないことが見えているんだと思うと辛い。

    出典:ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法

    評価が低いからといって、全てあなたが悪かったわけじゃない。反対に評価が高いからといって、すなわち素晴らしい人間かは分かりません。

    あなたがどれだけ目を凝らしても「見えない事実」は存在します。要因の全てを知ることはもちろん、操作することも不可能なのです。見えないものを無理に追い掛けるより「そういうもんだ」と認めてみましょう。

    評価に一喜一憂するより、この方が随分とラクになれるのではないでしょうか。

    ピクサー流 創造するちから

    ピクサー流 創造するちから

    *1:日本語でいう演出家。ショーがよりよく見えるよう振付・衣装・照明などの責任を担う

    *2:代役のこと。怪我や病気でショーに出られない時に出演する。

    *3:個人もしくは3名以下で演技をするアーティストのこと

  • シルクドソレイユのDVDとライブショーは何が違うか?

    シルクドソレイユのDVDとライブショーは何が違うか?

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    Photo By popturf.com

    シルクドソレイユはショーのDVDをいくつも販売しています。

    世界を回るツアーショーは順番にDVDになり、一部の作品を除いたショーを映像で見ることが出来ます。

    自分が出演するラヌーバも2002年にDVDになりました。残念ながら縄跳びとジャグリングのアクトは入っていませんが、ほぼ今と同じ演目を映像を通じてみることが出来ます。

       
    ※ショーDVDの一部

    このようにパフォーマンスが映像として収められていると、

    「え、DVDになってるとお客さん減らない?」
    「ステージで見なくても映像で良くない?」

    という感想を耳にします。

    ステージに立つ人間としては無条件でライブショーを見てほしいのですが、改めて映像とライブの違いを考えてみました。

    映像とショーは、そもそも別作品である

    映像はそれだけで1つの作品です。目の前で起こる現象をどのようにフィルムに収め、どう見せればより魅力的になるかを考え抜かれた作品なのです。

    一方ライブショーは、そのモノが作品です。演技はもちろん、照明や音響、衣装に小道具、舞台装置など、そのショーを講演するために全ての準備がなされます。

    ショーという題材を映像作品にしているのがDVD、ショーそのものを作品にするのがライブ。その意味では、ライブショーと映像はそもそも違う作品なのです。

    映像は見るべきシーンを選んでくれる

    では映像作品の良い所はなんでしょうか。それは、ショーのどこを見ればいいかをあらかじめ選定してくれる事にあると思います。

    シルクドソレイユのショーは広いテントの中で縦横無尽に行われます。あっちで何かやって、こっちで何かやって、気付いた時には別の場所で何かが始まって。。。とても一度に全てを見ることが出来ません。

    この点、映像は見せ場かをしっかり映してくれます。様々な角度、距離感、演技中の至近距離の表情まで見せてくれます。

    最近はスーパースローを見せてくれる映像もありますよね。1秒にも満たない宙返りはパッと見ただけじゃ何回転してるか分かりません。そこにスローが入ると「あぁ…3回転もしてるんだ…」と感動が増す。

    加えて再生も巻き戻しも自由です。気になった演目をもう一度見ることもできるし、つまらないと思ったアクト(悲)を早送りすることもできる。しかも何回見てもいつ見ても、安定したショーを見ることが出来るのです。

    これらはライブでは生み出せない映像作品の強みと言えます。

    ライブは個人体験である

    一方、ライブは目の前で全てが行われます。アーティストの演技はもちろん、演奏、照明、舞台装置・・・全ての空間がこの時間の為に準備され行われています。なのでライブショーは、過去にも未来にも二度と同じものはあり得ない。○年○月○日のショーは、永久にこの瞬間しか訪れないものなのです。

    また、映像と違ってショーの全てを見つくすことは到底できません。しかしこれは同時に、あなた自身に何を見るかを決める自由があることを意味します。映像に残らない、小さな小さな動きに注目する自由があるのです。

    客席によっても見え方は大きく違いますよね。一最前列と最後部からでは、ショーの印象すら変わります。見えるものがそれだけ違うということです。

    最前列なら、演技中のアーティストの表情や息遣いを感じることが出来ます。縄跳びアクトなら、空気を切る鋭く高い音も聞こえます。最後部ではこうした臨場感は少なくなりますが、後ろで演じるキャラクターや舞台装置の全てを見渡すことができます。

    つまり、ふと気になって目にしたワンシーンは、あなたにしか訪れない極めて個人的な体験と言えるのです。

    映像に「失敗」は収まりきらない

    もう一つライブにしかない特徴があります。それは演技中の失敗。できれば失敗はしたくありませんが、時に失敗がショーを一段階上の体験へと押し上げてくれます。

    縄跳びアクトでは、ラストの大技を失敗しても一度だけやり直すことになっています。ステージに立つ側としては失敗したくありません。一発で決めたいんです。でも失敗してしまった。もう一度やり直す。。。何とか2回目の挑戦で成功する。

    この時、客席からは通常の5割増で歓声が沸き起こります。なぜなら「本当に難しいんだ」「失敗することもあるんだ」というリアリティが伝わるから。失敗で急激な臨場感が生まれ、客席とアーティストが一つになるのです。

    ステージに立つのも同じ人間。ときには失敗するんだなぁ…という人間臭さ。これはライブショーならではの醍醐味です。

    しかし、当然ながらこうしたアクシデントは映像作品には収まりません。映像はあくまで最高の状態のショーを収めているからです。

    まとめ

    自分もたまにDVDを引っ張り出してきて映像を見ることがあります。映像作品として美しいので、これはこれで好きなんですよね。しかし映像はあくまで映像の作品であって、ショーそのものではありません。

    ショーの世界は見るだけじゃないんです。一人一人が体験するものなんです。まだ日本公演もやっていますので、是非ショーの世界を体験しに来てください。

    チケット予約はこちらをクリック!|フジテレビエンタメチケット

  • あなたは「好き」と「有利」のどちらを選びますか?

    あなたは「好き」と「有利」のどちらを選びますか?

    Two Paths, chiswick house 2
    Photo By Michael Reilly

    よく「どうすればシルクドソレイユに入団できますか?」という質問を受けます。

    幸運にもこのステージに立たせてもらっている。ゆえに力になれる部分はアドバイスをしたいです。しかし中には「どんな種目だったらシルクドソレイユに入りやすいですか?」という質問をしてくる人がいます。

    物事には有利・不利があります。シルクドソレイユのアーティストの大半は体操系出身かサーカス学校卒業者なので、これらに進むのが近道のように思えます。

    しかし、自分はこうした質問をする段階でシルクドソレイユには入団できないと思うんです。

    有利ばかりを選ぶ落とし穴

    たとえばシルクドソレイユに入るのであれば「サーカス学校」に入るのが一番だと思います。サーカスを基礎から叩きこんでくれるのでチャンスも広がることでしょう。

    ただ、有利という理由だけで物事を決めるとむしろリスクが大きい。

    たしかにサーカス学校に入れれば入団への道が広がるでしょう。ですが、サーカス学校に入ったからといって全員がシルクドソレイユに入団できるわけじゃない。いくばくか確率は上がっても狭き門に代わりはないのです。

    ところが人は有利な道を選択できた途端、あたかも成功が手に入ったような錯覚に陥りやすい。何も始まっていません。サーカス学校に入るのはスタートラインに過ぎないのです。

    有利 VS 好き

    もう一つ心配なのがモチベーション。好きこそものの上手なれという言葉の通り、取り組む対象が「好き」というのは上達への一番の近道です。

    有利な上に好きであれば何も言うことはありません。しかし、有利だからという理由だけで苦労を重ねることに、あなたは耐えられますか?

    自分は縄跳びが大好きなので、軽く2-3時間は練習できます。同じだけの練習をあなたが出来ますか?好きでもない縄跳びを、何時間も跳ぶことに耐えられますか?

    実は、好きこそ最大に有利な条件だと思うのです。

    人が苦痛なことも「好きだから」という理由だけで続けられる。何なら気持ちはルンルンで作業や練習ができるんです。常にシンドイ思いを引きずって継続する人と、ルンルン気分で継続する人。どちらの上達と飲み込みが早いかは明らかです。

    まとめ

    シルクドソレイユに入団したいだけなら、自分は間違いなく縄跳びをオススメしません。なぜなら全ショーで4名しか縄跳びのアーティストはいません。つまりそれだけポジション争いが激しいのです。

    ですが、縄跳び大好きな仲間であれば、間違いなくそのまま突き進むことを勧めます。事実、ダブルダッチで初めてシルクドソレイユに出演したカプリオールは、大好きなダブルダッチを究めたからこそ道が拓けたのでしょう。

    ダブルダッチチーム|カプリオール|公式HP|CAPLIORE

    もちろん有利な条件を計算することも必要でしょう。しかし時には胸に手を当て、湧き上がる「好き」に従うのが一番の有利であることを忘れてはいけません。

  • いくら上手でも「マネタイズ」が出来ない人はプロにはなれない

    いくら上手でも「マネタイズ」が出来ない人はプロにはなれない

    エゴサーチをしていたら、面白いツイートを見つけました。

    本当にそのとおりなんです。技術や実績があるとかは関係ありません。マネタイズが出来ない人は、プロで居ることが出来ないのです

    マネタイズとは何か?

    そもそもマネタイズとは、

    無収益のサービスを、収益を生み出すサービスにすること。無料ネットサービスの収益化、無償コンテンツの有料化や広告収入モデルの確立など。

    出典:http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/209330/m0u/

    ようは如何にしてお金を生み出すか?ということ。パフォーマンスをする人にすれば、如何にして演技を換金するか?を考えることです。

    たとえばどこかのステージで演技をして謝礼を貰ったとします。これは立派な換金です。あなたの演技に対して謝礼分の価値が発生したことになります。

    こうした仕事が常にあれば何の問題もありません。しかし現実はそう仕事が無い。。。

    関連記事:駆出しパフォーマーが陥りやすい「仕事はある」という致命的な勘違い

    つまり、マネタイズはパフォーマーにとっては死活問題。プロであり続けるための欠かせない要素とも言えます。

    マネタイズは何故か嫌われる

    ところが、中にはマネタイズを毛嫌いする人が居ます。決まり文句は「金儲けの事ばかり考えたくない」。どうやらお金のことを考える=ズルい金儲け、という方程式があるようです。

    ですが必要なお金を得れず、どうやってパフォーマーであり続けるのでしょうか?

    明日のご飯が食べられなければ、生活は出来ません。お金の話を反射的に拒絶をする気持ちも理解できますが、これはプロ失格。自分の生活基盤を整えられずして、パフォーマンスなど出来ません。

    別に悪徳でお金を儲けるワケじゃありません。生活に必要なお金を如何に稼ぐか、その方法を考えるのがマネタイズです。

    どうしても嫌悪感を抱く人は、こう考えてみてはどうでしょう?

    あなたの演技を見ることで幸せになれる人が居ます。今後もあなたがプロとして演技を続ける事が、多くの人々の笑顔にしていきます。しかし、お金を得て生活しなければ演技を届けられません。あなたの演技を1人でも多くの人に届けるため、1回でも多くの演技を披露するため、マネタイズは人々の幸せを作るための手段です。

    マネタイズは市場を考えることから始まる

    では具体的にどうやってマネタイズすればいいのでしょうか?それはまず誰が必要としているか?・どこに買ってもらえるか?を考える事から始まります。

    あなたの演技はどこに売れるでしょうか?
    その専門性は誰が必要としているでしょうか?

    これらの回答にズバッと答えられるのであれば、迷わず売り込みましょう。売れる先が分かっていれば、マネタイズの半分は完了したと言っても過言じゃありません。しかしマネタイズが苦手な人の殆どは、どこに売れるかをフワッとしか認識していません。

    まぁ。。。小学校とか?あとはお祭り?サーカスとかも出てみたいなぁ・・・

    間違いではないですが、イマイチ具体性が無い。

    小学校と言っても、正課の授業に入るのかイベントに入るのかでは大きく違います。私立と公立の小学校では財政的な事情も異なります。お祭りと言ってもどこのお祭りですか?そのお祭りは、本当にお金を出してまであなたを呼びたいですか?

    どこに売るのか?を見つけるのが実は難しい。考えた売り込み先にもお抱えの人がいたり、思っていたほど必要とされなかったり…一朝一夕で良い市場を見つけることは出来ません。

    マネタイズは想像力の勝負である

    マネタイズは、売る相手をどれだけ具体的に想像できるかで決まります。

    例えばつくば市の「まっちゃんのなわとび教室」はなわとびが苦手な子どもと、なわとび得意すぎる子どもに需要があると考えて開催しました。苦手な子には上手になる練習を、上手過ぎる子には更に発展的な技術を教える。このような学校では拾いきれない需要がなわとび教室にあると確信していました。

    他にも例えば、ダブルダッチをコミュニケーション研修で使えないでしょうか。社員同士のチームワークは、多くの企業が求める重要な要素。身体を動かし、お互いに協力しなければ出来ないダブルダッチ。特に若い新入社員向けに、チームワークを育む研修として需要がありそうです。

    こうして専門性を掘り下げて考えていくと、思いがけない市場に気付くことが出来ます。まだダブルダッチコミュニケーション研修は聞いたこと無いので、興味がある方は是非取り組んでみてくださいww

    まとめ

    Money Plant
    Photo by Tax Credit

    輝かしい経歴や素晴らしい技術を持つ人はたくさん居ます。しかしそれだけではプロにはなれません。これらの能力をマネタイズし、お金を生み出す事が出来る人こそがプロなのです。

    マネタイズが上手な人は、本人すら見えていなかった要望を見つけられる人。こんな人が増えれば、もっと社会に笑顔が増えていくのではないでしょうか。

    関連記事:
    アスリート・スポーツ選手は現役時から『稼ぐ力』を身に付けるべき
    「縄跳び飯」という生き方:大好きを仕事にした戦略

  • ダブルダッチ社会人チームには、現役学生を正面からブッ潰して欲しい

    ダブルダッチ社会人チームには、現役学生を正面からブッ潰して欲しい

    今年も国内最大のダブルダッチの大会がありましたね。毎年のことながら会場にはいけず、Youtubeを見て「ムフフっ」って言うだけでした。

    DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN 2015

    今年の大会で気になったのがOBOGのドリームチーム。学生時代に本気でやってたダッチャーが再結成して、本気でトップを狙いに行ってる感じが好きでした。

    個人的に、ガンガン社会人のチームが殴りこみを掛けて来るのは良いことと思います。なんなら、学生で頑張ってる程度じゃ勝てないぐらい本気でぶっ潰してもいいと思うんですよ。

    学生ダブルダッチャーの競技歴は短い

    10年前には考えられないぐらいジュニアが増えました。でもまだ競技者の大半は学生というイメージ。体力的にも時間的にも学生は有利なので、もっと力を伸ばせるのは理解できます。

    でも、学生の4年間だけで引退してしまうのは本当に勿体ないと思うんです。

    学生生活の大半を注ぎ込んでも最長で4年。新歓の夏前から始めたとすれば、残りは3年半ぐらい。NDDLを目指すならたった3年で完成させる必要があります。

    死力の3年でしか出来ないこともあるでしょう。
    でも、その3年から繋がる「次の何か」があるハズです。

    ダブルダッチは若さと勢いだけじゃない!

    学生の専売特許は時間と体力。

    生活の全てをダブルダッチのつぎ込むことが出来ます。しかも若い。若さというエネルギーは、あの時期しか出すことが出来ません。

    では、若さのエネルギーがなければダブルダッチは盛り上がらないのでしょうか?当然そんなことはないと思います。

    たとえば今大会でもU-19で優勝したROYAL FRONTIERは、ロープの動きに特化した演技で時代を作りつつあります。Double Dutch Onesに代表されるフリーロープは、今やダブルダッチ界の定番となっています。

    すーっと空気を掴むように浮かび上がる宙返り。気合一発で回っただけでは出せない「風格」と「味わい」がここにはあります。

    こうした「熟練しなければ出せない魅力の可能性」が、もっとダブルダッチには眠っているハズです。

    ダブルダッチ1軍から学生を引きずり下ろせ!!

    In Charge
    Photo By Rob

    社会人は制約が多く学生のような練習は難しいでしょう。チーム練習をするにも時間を合わせるのにも、いちいち労力が掛かるものです。

    しかし学生の時に死力を尽くした社会人には、掛け替えの無い知恵と経験があります。これは現役の学生がいくら欲しても手に入りません。

    「大人には負けない!」
    「もう先輩の時代は終わった!」
    「まだ屍は超えさせない!」

    ジュニアの突き上げは近い将来、学生を脅かすことでしょう。同じように、社会人が圧倒的な熟練度で学生を押し潰してはどうでしょうか?

    「ジュニア」・「学生」・「社会人」という三者の良い緊張関係が、今後のダブルダッチ界を次のステージに押し上げてくれると思います。

  • 期待で自分を縛ってはいけない。見えない誰かに振り回されないために。

    期待で自分を縛ってはいけない。見えない誰かに振り回されないために。

    Graduation: Clean Slate
    Photo by JD Hancock

    2014年の10月から先月まで、膝の怪我でショーを離脱していました。

    www.shoichikasuo.com

    怪我の原因はいくつも考えられました。練習のし過ぎ、準備運動の不足、補強の問題・・・なかでも一番問題だったのが「期待に沿うための万全の準備」だったのでは?と考えています。

    ショーはお客さんがチケットを買って観に来てくれて初めて成立します。自分たちはその期待に沿えるように努力をする必要があります。

    一見、すばらしいプロ意識に聞こえます。しかしこの「期待に沿う」が暴走し、心の闇を生み出していました。

    心に刺さった高校の時の「お金と仕事」

    縄跳びでお金を貰い始めたのは高校3年生のとき。地元のお祭りでパフォーマンスをした謝礼が初めての収入でした。同じころ、知人からお金を貰うとはなんだ?という話を聞きました。

    1円でもお金が発生している以上、きみはプロ。
    プロとして仕事をしていることになる。

    つまり、貰うお金の分だけの責任があるんだよ。

    高校生の自分にとってこの話は衝撃的でした。これ以降、1円でもお金が発生する縄跳びの依頼を「仕事」と呼び、責任とプロ意識を持つように言い聞かせました。

    あれから10年以上経ちましたが、仕事に対する考え方は変わっていません。依頼主の期待に沿うよう、全力・最善を尽くすことこそがプロである、と信じ続けてシルクドソレイユまで走り続けてきました。

    5年前にラヌーバに来た時も同じです。毎回のショーに万全の準備で臨むことが期待に沿うことであると考え、練習や準備に一切の手抜きをしないと心に誓いました。

    万全の準備のための5分刻みスケジュール

    この考えの元、日々のトレーニングスケジュールが決まりました。

    ショーの3時間前にはシアターに入り演技の確認をします。1つでも練習の内容を抜かせば万全でないと感じ、1時間以上の練習を毎日繰り返します。冗談でなく、シアターに入ってからのスケジュールを本気で5分刻みで決めていました。

    でも時には、スケジュールを乱すハプニングがありますよよね。緊急のミーティングだったり、突発的な集まりだったり、急遽呼び出されたり…こうした予期しないことでスケジュールを乱されることを、自分は心底嫌いました。「この10分のせいで○●の練習が出来なかった」「この無駄な時間のせいで○●の確認が出来なかった」とあからさまに不機嫌になるのです。

    本番のショーで失敗をしようものなら、もう大変。スケジュールを乱されたことへの憤りが加速して、その日はずーっと不機嫌。誰とも殆ど口も利かず、機嫌の悪さを前面に出して黙って過ごす。

    きっと周囲は面倒くさかったことでしょう…。

    スケジュールをしっかりこなせれば万全、乱されたら万全じゃない。この考え方が自分から余裕を奪っていくことに、当時は気付くことが出来ませんでした。

    それ、誰の期待?

    怪我の悪化で長期離脱が避けられないと聞いたとき、不思議と心のどこかでホッとした自分がいました。普通ならショーに出れない焦りや不安が襲ってくるところ、瞬間的になぜかフッと肩の力が抜けたような感覚になったのです。

    この時になってようやく気付きました。期待に沿うため、万全の準備のためのスケジュールという呪いで、自分自身を想像以上に消耗させていたのです。

    ずーっと100%の緊張感で突っ走ってきたら人間は壊れる。つまり、今回の長期離脱の最大原因は「期待に沿いたい心の闇」だったのです。

    アーティストはショーでは如何にステージで輝くかが大切です。今日輝くための準備のはずが、いつの間にかスケジュールが万全じゃなければ期待に沿えない!にすり替わっていたことに気付きませんでした。

    そもそも期待に沿うと言いますが、誰の期待に沿おうとしていたのでしょうか?それは単に自分で考えた妄想や想像であり、作り上げた一種の虚像だったのかもしれません。

    関連記事:www.shoichikasuo.com

    まとめ

    復帰後は「何が必要か?」と自問自答を繰り返す日々。ショーに向かう姿勢をゼロから再構築しているのです。

    プロとして自分に求められるのは何か。そして日々のスケジュールに本当に必要なのは何か。実は怪我無くステージに立ち続けることこそ、自分に求められているのかもしれません。

    もしかすると、安易な納得に惑わされず自問自答を止めない変化の勇気が、プロには必要なのかもしれません。

  • 犠牲はときに詰め寄ってくる:失った先に見えたブログの世界

    犠牲はときに詰め寄ってくる:失った先に見えたブログの世界

    Don't cry my love
    Photo by Axel Naud

    みなさんはこの方をご存知でしょうか?

    はてなブログで一番最初にブログの読者登録をしたのがICHIROYA(id:yumejitusgen1)さんでした。それ以来、毎日更新される記事を楽しみに読ませて頂いています。

    kyouki.hatenablog.com

    しかもつい先月にはブログが書籍化されたほどの人気ブロガー。このブログもICHIROYAさんのブログに影響を受けています。

    そんなICHIROYAさんの最近の記事の中にこんなフレーズがありました。

    毎日書く時間を捻出するために、犠牲にしたものもある。
    そのなかで、もっとも辛かったのは、人付き合いである。

    出典:ブログをはじめて3年で商業出版に至った話 – ICHIROYAのブログ

    早朝にブログを書く時間を作られているとのこと、そのために人付き合いを犠牲にしたといいます。たしかに記事を書くのには時間が掛かりますし、捻出するのは大変です。でも、自分はこれと反対方向からブログに向き合うようになりました。

    意図せず自由な時間が生まれてしまったのです。

    怪我という深い絶望

    我々のような仕事の人間にとって、怪我の絶望感は計り知れません。

    本当にショーに復帰できるのか、もしこの痛みが消えなかったらどうなるのか、クビになったら仕事はどうするのか、、、マイナス思考のスパイラルを簡単に止めることは出来ません。

    それでも日々のショーは自分を失っても平然と進んでいく。この事実がより落ち込みに拍車をかけるのです。同じショーに出演する長期離脱を余儀なくされた仲間も、毎晩泣きながら過ごしたといいます。

    自分も人生で初めて本気で求人情報サイトを見ました。この年齢で何が出来るか、縄跳びしか出来ない人間に需要があるのか、取れない痛みと焦燥感。

    いま思い出しただけでも押し潰されそうになります。

    怪我の犠牲を払い、時間があまった

    怪我で離脱している間、本当に暇でした。ショーのある日はシアターにこそ行きますが、1時間そこらのエクササイズで終わり。縄跳びも跳べずにひらすら筋トレばっかりをする日々。

    最初のうちはめったに見れないショーを見ていました。でも次第にステージに立てない事が虚しくなり、エクササイズ以外はシアターから距離を取るようになりました。

    こんな時の思い起こしたのがブログでした。

    怪我をした事実は変えられないし、時間を戻すことも出来ない。ステージに立つ時間を失った分、自由になる時間を手に入れていたことに気付きました。

    犠牲の裏側に見えた世界

    その日からブログの更新を頑張るようになりました。もともと文章を書くのが好きだったこともあり、パソコンに向かっているのも苦痛にはなりません。

    同時にたくさんのブログを読むようになり、今まで知り得なかったブロガーという世界を垣間見るチャンスを得ました。

    長期離脱中は、思い出すだけでもシンドイ日々でした。それでもあの時間がなければ、こうして多くの人に記事を発信することはなかったと思います。

    ICHIROYAさんは人付き合いを犠牲にしてブログを書く時間を捻出したといいます。これは強い意思があってこそ出来ることでしょう。しかし、時に犠牲にするものは向こうから歩み寄ってきます。自分の場合はステージに立つ時間と縄跳びを突発的に奪われ、犠牲にせざるを得ませんでした。

    ある日突然、何かを奪われ犠牲にしなくてはいけなくなった時。
    そこには別の世界への扉が開いているのかもしれません。

  • アイツがムカつくのは「情熱の摩擦」が原因かもしれない

    アイツがムカつくのは「情熱の摩擦」が原因かもしれない

    tell me, where is the love?
    Photo By Tony Fischer

    チームや組織で仕事をしていると「アイツは上から目線でウザい」「アイツはやる気が無いから腹立つ」といった不満がよく聞かれます。

    かく言う自分たちも、ダブルダッチの導入で同じ問題に悩まされました。

    関連記事:
    ラヌーバ「なわとびアクト変革計画」 最終章 ~ラヌーバにダブルダッチを迎える~ – なわとび1本で何でもできるのだ

    ショーに導入するまでの練習は大変でした。それでもショーという目標に向かったことで団結ができました。でも本当に大変だったのはショーで披露してからだったのです。

    「(もう出来てるのに)なぜ練習するんだ?」
    「◯◯のやる気が無いのが問題だ!!」
    「頑張ってるのに何でそんな言い方するんだ?」

    それはそれはハッキリと不満を言い合うチームでした。全員がいい演技をすることを目指しているのに、なぜか上手くチームが成り行かない。あるアーティストなんかは「もうダブルダッチ辞めたい」と言い出す始末…。

    でしゃばりな性格ゆえ、なんとかチームをまとめたい。
    ここで自分が気付いたのが「情熱の摩擦」という問題点でした。

    ケース① リーダーがチームの情熱奪うパターン

    まず浮上してきた不満は「なぜ出来るのに練習が必要なのか?」というものでした。だってもうショーでやってるんです。ミスは無いのに毎日練習をする理由がわからないとキレられました。

    たしかにステージではミスはありません。でもまだ求めたいレベルには達していなかった。自分が求めたのはミスがないだけの演技じゃなく、余裕を持ってステージに立てる演技。まだまだ技に集中しなければミスをする段階だったので、もう一つ上のレベルに持ちあげたかったのです。

    自分は「もっといい演技が目指す!」と情熱を燃やし、チームメンバーは「出来てるし、いいじゃん…」と疲れた顔を見せる。ここで、1つめの情熱の摩擦が生まれました。

    自分は「練習に真面目に参加してくれない!」と苛立ち、メンバーを呼び出しては何度も注意しました。あげく「この状態をなんとかしなければ!」と、もはや狂気とも思える情熱を燃やす始末。

    一方でチームメンバーにしてみれば練習をする理由が分からない。無駄に思える作業に情熱を燃やせる人はいませんよね。ショーで披露するという目標が達成された今、練習は単純作業員成り下がりました。そして単純作業を繰り返すほど、情熱の火が小さくなっていくのです。

    ケース② メンバー同士で消耗し合うパターン

    ダブルダッチはロープが難しい。跳ぶ人に目が行きますが、実はロープを回す人の技術があってこそ。跳ぶ:回す=2:8とも言われるほど、ロープ操作は重要なのです。

    このロープ操作も、チーム内で自然に技術の差が生まれます。始めのうちは◯◯は上手だなぁ!!というポジティブな空気でしたが、時間が経つに従って雰囲気が変化します。上手な人が上手であることを自覚し、苦手な人を指摘(攻撃)し始めるのです。

    攻撃される方もはじめは大人しく聞きます。指摘が的を射ておりチームにとってもプラスだからです。ところが次第に雲行きが怪しくなり、指摘される方の顔が暗くなる。あるところまで行くと「○○の指摘は上から目線で気に食わない」と不満が出てきます。

    ここでも情熱の摩擦が生まれてしまいました。

    たとえ上手な人の意見でも、毎回聞かされるうちに嫌味に聞こえてきます。なんでコイツに上から目線で言われなきゃいけないんだ!?と。徐々に意見に耳を貸さなくなり、最後には「ダブルダッチ辞めたい…」と情熱の火を消してしまいます。

    上手な人も善意で発言しているからシンドイ。上手だと周囲に認めてもらえたことで、より情熱が燃え上がります。もっと自分が指摘して周囲が上達すれば、チームとしてレベルアップするに違いない!と。彼の情熱が燃え上がるほどに、周囲の情熱の火は薄れていくのです。

    ケース③ 頑張りが暴走するパターン

    ショーを重ねるにつれ、メンバー全員が実力が上がったと実感し始めました。演技中の余裕すら感じられます。

    この頃になると、メンバーから「もっと難しいことをしたい!」という要望が出るようになりました。こんな技をやりたい、カッコよく跳びたい、○●に挑戦したい…チーム全体の情熱が高まっていくのが分かります。

    ただ、残念ながらこれは錯覚です。たしかに上達はしていますが、彼らの思い描く要望に飛び込めるほどのレベルにはありませんでした。例えるなら「自転車に乗れるようになったからウィリーをしたい!!」と言っているようなもの。理想と現実との溝を正確に理解していなかったのです。

    新しいことに挑戦したい気持ちもありつつ、ショーとして成り立たせる必要がある。苦渋の判断で要求の大半を却下せざるを得ませんでした。

    ここに、再び情熱の摩擦が生まれます。

    チームが過剰に情熱を燃やし、リーダーが情熱にリアクションしてくれない。ケース①と反対方向の摩擦です。高みに挑戦をしたいのにリーダーが認めない。威張っているくせにイザって時に親身になってくれない。一時は急騰したチームの情熱は、反発で急落するかリーダーへの不信感となって拡大します。

    これは高まった情熱をコントロールできず淀ませてしまった結果。行き場を無くしたエネルギーは、反発や不信感になり爆発してしまったのです。

    関連記事:あなたの「頑張り」暴走してませんか?? – なわとび1本で何でもできるのだ

    まとめ

    物事を成し遂げるのには情熱が必要です。しかし、情熱はあればあっただけ良いというものではありません。チーム内の情熱の落差は摩擦を生み、最悪チーム自体を崩壊させます。

    大切なのは変動する情熱のエネルギーをコントロールすること。

    チームでモメ事の絶えない時、一歩引いて「情熱の摩擦」を疑ってみてはどうでしょうか?