カテゴリー: シルクドソレイユ

  • モントリオールに住んでみて嫌いになった4つのポイント

    モントリオールに住んでみて嫌いになった4つのポイント

    http://www.flickr.com/photos/73491156@N00/14480447638
    photo by Éole

    この街は何回来ても不思議な街である。

    最初に訪れたのは2010年のトレーニングの時。とはいってもたった2ヶ月だけの缶詰生活。
    シルクの建物以外はほとんど外出しなかったし、出ると言っても買い出しぐらいのもの。
    実際にモントリオールという街を詳しく見て回ったのはショーに出演し始めて再度訪れてからだ。

    モントリオールは思い入れもあり大切な場所である。
    と同時に、訪問するたびに感じる嫌いな側面がある。

    1. 街が汚い

    汚い、とにかく街が汚い。
    住んでいる場所がオーランドというのもあってか、より道端の汚さに目が行く。
    まずタバコのポイ捨てがそこら中に落ちている。せっかくの町並みも台無しだ。少し歩いただけで大量の吸い殻を見かけ、くわえタバコ、歩きタバコの人も多くいて、街中で煙をふかしている人も頻繁に目にする。

    百歩譲って喫煙そのものは良いとして、マナーも一緒に持ち歩いてもらいたい。

    2. 浮浪者が多い

    これだけの大都市であれば多少は致し方ないのだろうが・・・。なんせ浮浪者が多い。
    今回宿泊したのはUQAMという駅の近くなのだけど、朝晩関係なしに一日中浮浪者がいる。好きて浮浪者をしていないのはわかる。それにしても数が多い。近くに公園があるからなのか、夜には集合してくるのも困ったもの。

    ある時、ホテルに戻ろう夕方歩いていた。時間は19時前後だったと思う。信号待ちをしていたら向こう側から浮浪者らしき人が手持ちの棒を振りかざしてこちらに向かってきた。素早く避けて歩いて逃げたため、幸いにも何事も無くホテルまで帰り着いたものの、ここまでヒヤリとしたのは初めてだ。

    3. バリアフリーじゃない

    移動手段の1つ、メトロ(地下鉄)が結構しんどかった。
    殆どの駅でエレベーターはなく、何ならエスカレーターすらない駅も多い。ベビーカーと引いて歩く家族連れには少々厳しい。移動中に何度となくベビーカーと持ち上げた。階段だけでなく細かい段差や狭い通路など、ベビーカーと一緒に移動するには骨が折れる場面が多い。

    反面、面白かったのが自動ドア。引き戸だけじゃなく押戸でも自動化されている場所が多い。まぁけどドアは最悪なんとか開けられるし、それなら道路とエレベーターを是非ともお願いしたい。

    4. 税金が高い

    こればっかりは仕方ないのかもだけど、やっぱり痛いよ。
    普通に買い物をしても税率は14%だし、お酒とかだと更に別の税金がかかってくる。出先で日本のビールを飲もうとしたけど、1本9ドル(約900円)と言われて思わず躊躇した。普通にお店で6本パック買っても13ドルとか…オーランドの倍近く。ビール好きの自分には厳しい街だ。

    それとつい最近からカナダは1セントを廃止したらしい。
    すべての値段が5セント刻みになる。仮に5セント以外の値段が出るとすべて切り上げになる!!別に大した違いじゃないけど、なんとなく存した気がするんだよなー。

    ★★

    大都市であっても渋谷、新宿とは違う。
    欧米の都市とは言ってもニューヨーク、サンフランシスコとも違う。
    どこか独特な雰囲気を醸し出す不思議な街モントリオール。

    もちろんいい所は沢山あるけど、あえて今回は嫌いなところをピックアップしてみた。
    何度となく戻ってきたくなるのだから、きっと自分はこの街が好きなのだろうな。

  • 「できて当たり前」はどこから来るか?

    「できて当たり前」はどこから来るか?

    これは出来て当然だよね、って誰が基準を作ってるんだろうか。

    過去にも紹介している通りラヌーバではHouse Tromp*1の力を借りて縄跳びのアクトをしている。


    ラヌーバ「なわとびアクト変革計画」 第三弾 ~マネージャーとしてのソリスト~ – なわとび1本で何でもできるのだ

    もちろんHouse Trompも縄跳びを跳ぶ。
    でも彼らはあくまで別の専門を持つアーティストなわけで・・・。
    身体が3回まわせても、縄跳びは2回まわせない人だって居る。

    なんでこんなことができないんだ!?
    こんな簡単なこと出来て当たり前でしょ!?

    と叫びたくなることもしばしば。
    ただ…この思考は時に危険な方向に進むことに最近になって気付いた。

    出来て当たり前の基準はどこにあるのか?

    そもそも出来て当たり前!ってのはどこから来ているのだろうか?
    そう、全部自分の中の基準から来ている!!

    このレベルの技なら、この程度の動きなら・・・
    どれもこれも相手に押し付けている基準でしかない。

    ただ場合によっては話を効率化して進めやすくする潤滑油的な役割を果たす。
    たとえば職業上で求められる最低限の知識とか、趣味仲間同士の専門用語とか。

    SCCC、SOOO、SSOO、SSOC、SSOTS

    こう書けば縄跳びの専門家なら理解できるだろう。
    これを分かりやすく説明するとこうなる。

    Sが横に縄を振る動きで、Cが交差、Oが普通の開いた状態を表す。そして「、」までが1つのジャンプになるので、最初の記号は4重とびのサイド1回と交差姿勢3回転という意味になる。また最後のTSは背面で交差をする技の意味で、横に2回縄を振り、その後に一度前回し、そして最後に背面交差をしたまま回す4重とびという意味。

    イチイチ説明していたら面倒くさい。文字に起こしたら200文字を超える。
    複雑な説明をあえて省略文字や専門用語を使い、概念とかを端的に伝える。

    コミュニティ内での意思疎通の効率化とも言える。

    でもそれが、単なる身勝手な要求だと話が変わってくる。

    自分ができることは誰でも出来る?!

    光速のツッコミが見える。その通りだ。

    自分ができることがだれでも出来るなら専門家など存在しない。
    他の人にできないからこそ価値がある。
    だがこれがもっと身近なことになるとどうだろうか?

    PDFを見開きで出力して冊子にする、
    エクセルでアンケート結果を集計する、
    ホームページのデザインをする、

    出来る人にとってはスグに出来る。でも世の中全ての人がそうとは限らない。パソコンに詳しくない人だっている。でも出来る人からすると、

    何でこんなことが出来ないの!?
    出来て当たり前でしょ!?

    となりやすい。
    この図式は縄跳びが得意でないHouse Trompに苛立っている自分と全く同じである。

    自分の思いじゃなくその人を理解する

    出来て当たり前!!
    これは勝手に自分の経験と知識をもって相手に押し付けて苛立っているだけ。

    けどその仕事が相手は不得手かも知れないし、教えればスンナリ行くかもしれない。
    相手にワァーワァー言っている暇があれば、相手がどんな状態なのかを理解する方が解決も早い。

    知らないだけならやり方を説明すればいい。
    どうしても苦手なら別の仕事をお願いすればいい。

    Singing

    とかく、縄跳びの事になると自分の要求は高い。
    だがそれは10年以上の歳月で培ったからこそ簡単にできること。
    年月の浅いHouse Trompに求めるには無理難題だったことも多かっただろう。

    ミスや不具合のたび、指摘ばかりしていた自分が恥ずかしい。

    ショーである以上求めたいラインはあるが、要求ばかりではコミュニケーションにならない。
    重箱の隅をつつくような要求を減らし、これからは彼らを理解することに力を注ぎたい。

    *1:ショー中に自分のメインアクトじゃない場面においてバックで踊ったり動いたりしている人々で、集団演技を行うアーティストをこう呼ぶ

  • あなたの「頑張り」暴走してませんか??

    あなたの「頑張り」暴走してませんか??

    チームの全員が頑張って仕事をしています。

    どこかで聞いたことのあるフレーズ。
    努力は美徳、とても耳触りがいい。

    けど注意して観察してみると、
    たまーに頑張りを暴走させてしまっている人が居ることに気づく。

    俺は頑張っているんだという主張

    頑張る人が暴走すると、時に思わぬ方向に進んでしまう。
    それは全員が頑張っているのになぜか上手く行かない状態だ。

    ラヌーバにはソリスト以外にも縄跳びを回している人が数名いる。
    ダブルダッチとは別のトライアングルという長縄。

    トライアングルの図
    f:id:shoichikasuo:20140817075423p:plain

    三角形になり3つの頂点で両腕を使って縄を回す。
    黒丸が回す人で赤が縄跳び。この内側を複数人が跳ぶ。

    トライアングルはよく揉める。
    しかも異口同音にあいつの縄回しが良くないから縄跳びが上手に回らない!と。
    自分のところに文句を言いに来ては、○○にちゃんとやるように言ってくれ!と苛立ちながら訴えてくる。
    一方で当事者の○○に話を聞きに行けば、苦情元の方が変な回し方をしてるからと反論。

    ・・・。

    Effort

    では、誰が犯人なのか。
    誰かがワザと縄跳びを変に回しているのだろうか?
    いや違う、犯人なんて存在しない。
    居るのは頑張るを暴走させている人達だけだ。
    頑張るのは良いことだと思う。何かに向けて努力をしているとか、真剣に取り組むとか。
    しかしこれが排他的な考えに繋がると厄介。

    自分は頑張ってるんだから、自分は正しいから、相手が間違っている。

    こうして皆が頑張るけど結果の伴わないチームが完成する。

    一回、頑張るのやめよ?

    お互いに相手をフォローしていると思いながら頑張るのは好ましい状態ではない。

    たとえば上記のトライアングルの場合。
    ここではまず全員が正しい技術を正確に把握していなかった。
    更に3人とも我こそが縄跳びの歪みや乱れを修正していると自負していたのだ。
    この2点が、3人を頑張りの暴走へと進めてしまった原因だった。

    そもそも、縄跳びを回すのは難しい。
    皆の頑張りは認めるけど、一度頑張るのを辞める。
    全部リセットして基本に立ち返る。

    お互いに基本に忠実に回すことだけを意識してもらった。

    10~12 months of Elliott & Tootsie - Team effort

    方向を確認しながら頑張る

    頑張ることそのものを否定はしたくない。
    ショーをより良くするために協力して頑張るのは理想的だ。

    だが誰かのフォローをするために頑張ってるとなると話が変わってくる。
    たとえ最初は善意のつもりでも、時間が立つにつれ相手へ苛立ちが募っていく。
    しだいに相手への要求も増えていき、火種へと変換されていく。

    (相手のために)こんなに頑張っているのになぜ?!

    という思考回路になってきたら黄色信号。
    そんな時は一度立ち止まり、なぜ必要以上に頑張るのかを考えてみる。

    もしかすると相手は無意識にやっていたことかもしれない。
    自分がフォローしようとしてかえって状況を悪化させているかもしれない。
    トライアングルのように、互いに相手をフォローしていると勘違いしてるだけかもしれない。

    きっとパワー配分は80%ぐらいの方がいい仕事が出来る。

    「160度しか開かないなら、140度で踊りましょう。20度の余裕で音を取ったり、順番を覚えたり、感情表現をしたりすることが出来るのです。いっぱいいっぱいで踊ったらバレエの真の醍醐味は得られませんよ。」

    バレエを愛する全ての人に20度の余裕を持って踊ってもらいたいと思います。

    (※)出典:20度の余裕が表現力を生む?: みどり流尖った人生論

    あなたの頑張り、暴走していませんか??

  • まずは映像を送ろう。シルクドソレイユのオーディションはこんな人にオススメ!!

    まずは映像を送ろう。シルクドソレイユのオーディションはこんな人にオススメ!!


    Other Talents – Auditions in Las Vegas, NV (USA) – September 2014 – Apply now
    PARKOUR – TRICKING – MARTIAL ARTS – SKIPPING

    このリンクにあるのはスキッピング(縄跳び)のオーディション情報。
    あまり知られていないけど、実はスキッピングは1つのジャンルとしてオーディションが行われている。

    夏のこの時期は、シルクドソレイユが一斉にオーディション公募を開始する時期だ。
    次回作のクリエーションに向けて、そして既存ショーの補填要員として。

    シルクドソレイユのステージに立つには、一般的にオーディションを経由する。
    その後にトレーニング等を経て契約が貰えればショーに出演する。

    ただ、アクトによって随分事情が違うことはあまり知られていない。

    特殊な技能が必要なアクトは強い

    Smirkus Auditions

    広く知られていると思うが、シルクドソレイユには元体操のオリンピック選手というアーティストが多い。
    ラヌーバにも北京やシドニー、ソウルに出場した選手が在籍している。
    彼らは体操選手時代に培った基礎を駆使して、様々なアクトのアーティストへと転身していく。
    たとえばソウル五輪の銅メダリストInga。彼女は現在ティシューのアーティストとしてステージに立っている。

    だが体操出身でもそう簡単に真似できないのが特殊な技術が必要なアクトだ。
    縄跳びもその1つで、繊細なロープ操作は簡単には真似できない熟練の技術だ。
    他にもジャグリングをはじめとする道具系は専用の練習が必要なのをシルクドソレイユも認めている。
    だからこそ、アスリートとは別の括りでオーディションを開催するのだ。

    世界チャンピオンじゃなきゃだめなのか?

    オリンピック選手や世界チャンピオンのアーティストが取り上げられやすいが、実を言うと別に称号は必要ない。
    語弊を恐れないで言えば、上手かどうかは正直そこまで問題ではないのだ。

    実はこの「上手」という表現が曲者で、競技出身者が思う「上手」とシルクドソレイユが「欲しい」には隔たりがある。
    競技出身者が思う上手は大会で上位になる技ができることや、実績を残している人・チームを指す。
    この意味では世界チャンピオンが一番上手なのかな。

    でもシルクドソレイユが求めるのはステージで輝く人材。

    別に過去に世界チャンピオンになっていようが、ギネス記録を持っていようが関係ない。
    目の前で人にインパクトを与えられるかどうか、観客に訴えかけるかどうかが一番重要なのだ。

    だから上手であることは大して重要でないし、以下の記事で触れたようにスムーズ過ぎるのもかえって逆効果。

    [kanren postid=”393″]

    もちろん技術があるに越したことはないけど、反対に縛られる必要もない。
    応募してみよう!と思うぐらい真剣に取り組んでる人なら、まず問題ないと思うなぁ。

    ただそこは就職活動と同じ。
    向こうが求める人材ならスーーッと契約がもらえるし希望に合致しなければ話は来ない。
    競技出身者が思う上手下手の基準は殆ど意味を成さない。

    だからこそ、色んな人にチャレンジして欲しい。

    大会タイトル無いし・・・
    もっと上手な人いるし・・・
    カプリオールみたいなショーは出来ないし・・・

    なんて思う必要は全くない。
    シルクドソレイユが求めているのは新しい才能だ。
    ステージに立ってみて観客に訴えかけるパフォーマンスだ。
    この力が競技の世界で評価されるとは限らない。

    ★★

    昨年、カプリオールがシルクドソレイユに出演した。彼らの演技は素晴らしいし評価も高かったと聞いている。
    このカプリオールの活躍は縄跳び界・ダブルダッチ界全体に大きな追い風だ。
    なぜなら彼らの演技を見て、シルクドソレイユはダブルダッチの可能性を知ったのだから。

    マイケル・ジャクソンのショーに男子新体操が入ったのもシルクドソレイユがその可能性を発見したからである。
    単縄で言えば第一人者として活躍しているNORIさんが突破口を開いてくれたから、ラヌーバにも縄跳びアクトが生まれたと思う。

    ダブルダッチの突破口はカプリオールによって開かれてた。
    認知されているか、いないか。この違いはデカイ。

    エントリーシート・写真・パフォーマンス動画があれば応募できる。
    是非多くの縄跳び人、ダブルダッチャーにオーディションに挑戦して欲しい。

    ▶関連記事
    note.mu

  • 上手な人の落とし穴。技術が高いだけは「透明人間」と同じである。

    上手な人の落とし穴。技術が高いだけは「透明人間」と同じである。

    自分はこれまで「美しい技術」を目指してきた。
    淀みのない縄の回旋、そして最大限まで効率化された動き。

    トップレベルの選手が繰り出す洗練された動きには、ある種の美しさが伴う。
    同じように、縄跳びでも動きの美しさを求め目指してきた。

    しかし・・・洗練された動きには落とし穴があることに気付かされた。

    自動化された動きはどう見えるのか

    Gear up!

    動きには熟練の段階がある。縄跳びも同じだ。
    たとえば2重とび。
    いつでも出来るのか、どの長さでも、どんな縄でも出来るかと言った具合に熟練度が変化する。
    (※)ちなみに最上級者は70cmほどのスポーツタオルでも2重とびができる。

    熟練度が上がれば負担が軽減される。この辺のことは俺の考える技術論 「タテ」と「ヨコ」の技術の記事でまとめた。ヨコの技術が伸びれば意識負荷が軽減されてプラズαで何かができるよ!って話だ。

    個人的にこのプラスαにキャラクターだったりエナジーを込めてステージに立つようにしている。縄跳び関係者が見ると「結構簡単な技しかやらないんだ」という印象かもしれない。その通りで実際にステージでやっている技は世界トップレベルの技ではない。

    だからといって技術の研鑽をしていない、という事ではない。
    どうすれば意識不可を減らせるか、より効率化・最適化された動きの模索は続けている。

    この点に関してだけは世界で一番気を使っている自信がある。

    ★★

    しかし、だ。
    自動化され、効率化され、最適化された動きが必ずしもショーに適しているとは限らない。

    先日、年間の業務査定を行うEvaluationというミーティングがあった。
    毎年この時期に年間の仕事具合を評価されるのだけど、その中で毎年言われるのことがある。

    Shoichiはもっと出来るはずだ。

    毎年言われてるので頑張ってきたが、今年も案の定同じことを。
    さすがに5年目になるこの質問の意図を初めて確認してみた。

    ディレクター曰く、

    「Shoichiが跳んでいる姿は美しいし技術が高いのも認める。」
    「でも簡単に見え過ぎてしまう」
    「もっと難しい事がShoichiなら出来ると思うから、この評価をしている」

    とのこと。

    正直この発想は今までなかった。
    技術を磨くことが反対に技を簡単そうに見せるるというマイナスに働く場合があるのだ。

    5年目の気付き

    Surprise!!!

    このディレクターの評価に対し、これまで馬鹿正直に難しい技の練習をしなきゃ!と考えていた。
    しかしそういうことじゃない。
    ディレクターが求めているのは単に上手なだけの演技の脱却だったのだ。

    言われてみると思い当たるフシは何個もある。
    たとえば3重とびと4重とびをショーでやっている場面。できるだけ上半身を崩さずに直立姿勢を保ち、縄跳びの軌道を意識してかつジャンプ中の浮遊感を・・・なんて考えながらいつも跳んでいた。確かにこのやり方は難しいし、自分の中で美しく見えると価値を置いていた跳び方だった。しかしこの価値観がステージで求められるかは別問題だ。

    一度ディレクターの言っていた視点から自分の演技を見てみる。
    そっか・・・言うとおりでスゲー簡単そうにやってるし引っかかる気がしない。
    百歩譲ってミスがないのは良いかもしれない。
    だが簡単そうに見える。誰にでもできるんじゃないかとすら思える。

    実際に難しかどうかが問題なんじゃない。ステージで跳んでいる姿が客席からどう見えるか?が問題なのだ。
    極端に言えばメチャメチャ上手な4重とびよりも、いい感じに見える前とびの方がステージに向いている。
    基準はアーティストの満足ではなく、あくまで客席から見たらどう見えるか?が大切なのだ。

    一体誰が簡単なことばかりをやるステージを見たいだろうか?
    これは難しい技です!!て叫びながら跳ぶワケにも行かないし。

    ★★

    先日、シルクドソレイユの中で5年間追い続けた『夢』を諦めることにしたという記事の中に縄跳びアーティストとしての価値を上げるという目標を書いた。
    書いた時は漠然としていたけど今回のディレクターの言葉が1つのヒントになりそうだ。

    身体が柔らかいだけのダンサー、
    音を外さないだけの歌手、
    上手に縄を回すだけの縄跳びアーティスト。

    これがまさに「今」の粕尾将一である。

    上手なだけじゃない縄跳び。
    ヨコの技術ので得た余裕の部分に何を加えられるか。

    目指す方向性が少しだけ見えた気がする。

  • 他人の意見の「言葉」を追いかけると苦しくなる

    他人の意見の「言葉」を追いかけると苦しくなる

    デビィさんが再びラヌーバに来た。

    といっても、お初の人のために少しだけ解説。
    この人はラヌーバの振付家。最初にショーを創った時に全てのアクトの振付を担当した人だ。
    シルクドソレイユの面白いところは一度振付がついても、数年おきに振付を見直す。
    デビィさんは大体2年周期ぐらいでラヌーバに訪問して、全てのアクトを見なおして帰っていく。

    過去の訪問記事を読んでもらえれば大体どんな人か・・・わかるかな(笑)

    nawatobi-macchan.hatenablog.com

    nawatobi-macchan.hatenablog.com

    nawatobi-macchan.hatenablog.com

    縄跳びアクトにエナジーを加える

    shout

    ラヌーバへの訪問はわずか5日間。とても貴重な時間だ。
    その間に各アクトごとに1時間ずつぐらい時間をもらって振付の変更をしていく。
    縄跳びアクトも貴重な1時間をもらいデビィさんを交えた振付のセッション。
    今回の主眼点は表向きの振付の変更ではなくてソリストのエナジーに関することだった。

    縄跳びアクトは2人のアーティストがメインで動く。
    これだけ広大なステージ上でわずか2人のアーティストが縄跳びを持ち、走り回り、跳び回る。
    ゆえにソリスト2人は並じゃないエナジーがステージで求められるのだとデビィさんは言う。

    たしかにこの言葉は的を得ている。自分たちの武器は身体と縄跳びだけだ。この武器だけでいかにステージ上のエナジーを高めるかは自分たちの大きな課題である。特にいくつかの場面でエナジーが低下することを指摘をされ、アクト全体を通じエナジーを高めるトレーニングを行った。

    さて、とはいってもエナジーを高めるとはどういうことだろう。
    ってかエナジーってなんだということになる。面白いことにこれについてデビィさん自身も明確な答えを持っておらず、なんかこう・・・グッと来るもの!!みたいな認識だという。言葉で説明こそ出来なくともそこに確かにあるステージ上の力。それがエナジーだ。
    そしてデビィさんの凄いところはエナジーをどうやったら高めることが出来るかを瞬時に見抜くことだ。言葉で説明できないことに対してどうやってアプローチするかなんて…羨ましい才能という他にない。

    ★★

    話を戻そう。
    縄跳びアクトのエナジーを高めるためにデビィさんが今回用いた手法は「声」「キャラクター」の2つだった。
    少し前に縄跳びアクト改変計画が持ち上がり、この中でキャラクターの変更がされたのは記憶の新しい。

    [kanren postid=”493″]

    ここで変更されたキャラクターのアイディアは「侍」や「兵士」で、真剣で剣客同士が斬り合いをしているようなイメージだった。そのためステージ上での表情もできるだけ真剣かつ無表情。
    また客席へアピールすることもせずソリスト2人の世界に入っていくようになった。いわば観客は戦いを外から傍観しているような感じだ。

    ところが今回の変更では再び方針が変更。
    一転して「笑顔」と「観客を巻き込む」に焦点が当てられた。
    つまり改変したものを更に変化させ、以前の方針に軸をずらし戻したのだ。

    デビィさんと一緒に仕事をしていると頻繁にこういう事が起きる。彼女は今この瞬間が全ての人間なのだ。仮に1日前に自分が提案した振付であっても、今まさに目の前でやってる動きにエナジーがなければあっさりと変更してしまう。ひどい時はセッションの前半と後半で言うことが違う。
    しかしだからといってデビィさんの仕事に整合性がないというわけではない。あくまでこの人は今、にこだわる。昨日良くても、1時間前に良くても、目の前にある動きが良くなければ気が済まない。この意味ではシッカリとした評価基準がデビィさんの中にあると言えるだろう。その基準を満たさないことに関しては、自分が振付けた動きすらぶっ壊す。別の表現をすれば、デビィさんは自らの基準を満たす動きを生み出すために多方面からアプローチする。

    もしかすると、振付はアプローチの1つでしか無いのかもしれない。

    各人の意図と、目指す本質はどこにあるのか

    secrets

    この場所にいると多くの人から指摘や助言を受ける。時に助言は人同士で矛盾していたり。
    デビィさんは特別にパワフルかも知れないが、やはり人の言うことは時間と共に変化していく。
    去年言うことと今年言うことが違うなんてザラにあることだ。

    すると、時に自分たちアーティストは混乱する。
    誰の意見を聞けば良いのだろうか、どっちの意見が正しいのだろうかと迷う。
    意見を言うならみんなで統一した意見を述べてくれと苛立つかもしれない。

    でも苛立った所で何も始まらない。
    大切なのは指摘を入れてくれる人に共通する本質を探ることだと思う。
    たとえばデビィさんは「声を出せ!」「もっと客席にアピールしろ!!」と指摘を入れてきた。
    これは声を出すことや客席へのアピールによってエナジーが高まることを期待したからに他ならない。
    先の改変計画では「侍」「兵士」といったイメージを持ちだし、ソリスト同士の緊張感を演出したいと指摘があった。
    これもソリスト同士のアイコンタクトや気迫のぶつかり合いが、良いエナジーをステージに広げると考えたアプローチの1つと言えるだろう。

    つまり表向きは正反対のことに見えても、目的とする場所は同じなのだ。

    例えば縄跳びアクトのキャラクターについて想像を働かせれば、
    改変前は観客にアピールをするあまり、ソリスト同士の掛け合いが見えにくくなっていたのではないだろうか。
    この事情を考慮しソリスト同士の気迫のぶつかり合いを高める方向に舵を切ったと考えられる。
    その結果としてつい先日のデビィさんの目にはソリスト同士のコネクションは良い感じに見えたのだろう。
    だからこそ、次のステップとしてソリスト同士のエナジーを観客に向ける段階へと誘導したのではないだろうか。

    振り回されていると考えれば、単に振り回わされたままで終わってしまう。
    しかし本質として目指すのが「エナジーを高めるためのアプローチと模索」と捉えれば、各人の指摘が1本の道に繋がっていく。

    ★★

    シルクドソレイユに入った当初、人によって意見が違うことに自分も混乱した。
    誰の意見を聞けば良いのかなんて新人アーティストには判断がつかない。
    時間を経て少しずつ意図が理解できるようになってきた。
    みな目指す先が同じでアプローチが違うだけなんだと。

    人によってアプローチが違うのは当たり前で、むしろ多様なアプローチを知っている方が目的地に到達しやすくなる。
    なによりここの人は仮に意見が対立したとしても、目的地に到達するという観点から判断して別の意見を受け入れる柔軟性がある。

    縄跳びアクトのエナジーを高めるアプローチと模索はこれからも続いていく。
    ある日突然、再び方向転換をするかもしれない。

    その時は想像力を働かせ、
    共に良いアクトへと進化させていきたい。

  • プロが休む決断をする3つの基準。責任の合間で揺れるプロ意識

    プロが休む決断をする3つの基準。責任の合間で揺れるプロ意識

    朝起きて熱がある。
    体温計を手にして熱を測ると…○○℃ある。

    さて、
    あなたは何℃の熱があったら仕事を休むだろうか??
    以下の記事によれば平均は37.9度だという。

    体温37.9度は高いか低いか。何度熱が出たら会社を休む? | ニコニコニュース

    似たようなことがショーの世界でも起こる。

    どのレベルのコンディションになったらショーを休むか??

    これは永遠の課題。個々の価値観にも関わる。
    生身の人間なので体調不良も起こすし怪我だってする。
    この世界は特に危険と隣り合わせの職場なので判断には慎重さが求められる。

    自分も怪我をしてしまった。
    膝蓋腱炎症、いわゆるジャンパー膝だ。

    ジャンプをすれば痛みがある。歩いてるだけでも痛いことがある。
    でも動けないほど致命的に痛みが酷いわけでもなく、膝が腫れているなどの見た目の変化もない。
    動こうと思えば動けるし、気合でステージに経つことも出来る。

    しかし、ほんとうにそれで良いのだろうか。
    考えた末、

    自分の中でショーを休む基準を作った。

    演技に支障がある

    ステージに立つ以上は常に最高の演技を披露したい。
    怪我の痛みによって動きが制限されて、思い描く動きができない場合は休む。

    観客席から見れば大した差ではないと思う。
    なんなら自分以外の誰も気付かないかもしれない。
    でも思った通りの動きができない事実に「自分自身」が納得出来ない。
    誰にどう思われるより、自分で納得できないで動くことが一番苦しい。

    こんな時は潔く休むようにした。

    関節の3つ以上が痛い

    縄跳びで痛める関節はわりと決まっている。足首と膝だ。
    ダブルダッチがショーに入ってしばらくして、両膝と両足首に痛みが走った。

    片方が痛いだけなら何とかなる。
    マッサージや薬で痛みをごまかし、ステージに立てば痛みは忘れられる。
    足首と膝、みたいに2つでも大丈夫。

    しかし3つ以上となると話が変わってくる。
    動こうとする瞬間に複数に痛みが走ると、どうしても動きをセーブしてしまう。
    これは本能なのかもしれない。無意識に動きを抑制して痛みを起こさないようにする。

    だがステージの高鳴りは本能すらも凌駕し、痛みを吹き飛ばして縄跳びをしてしまう。
    結果ステージを降りると同時に激痛に襲われる。

    ここまで行くことは稀だが、防衛本能を無視するのは危険なのだろう。

    動かなくても痛みが走る

    基本的に自分の怪我は慢性的な傷害だ。
    捻挫や骨折、脱臼のように急激な力が加わって起こる怪我とは違う。
    そのため痛みの程度としては、これらの突発的な怪我よりも少ない。

    しかし時に炎症が急激に悪化し痛みが倍増することがある。
    いつもなら特定の動きをするときのみ痛むのが、何をしても痛くなる。
    たとえば歩くだけでも痛い、ひどい時には何もしないでも痛みが出る。

    体重を掛けない状態で痛みがあるというのは、さすがに問題だ。
    この瞬間は外見上の問題がなくとも、身体のシグナルは厳重注意ということ。
    つまり無理に動けば怪我の悪化に繋がる可能性が高いのだ。

    ショーを終えた直後の痛みはある程度仕方ない。
    だが継続する痛みは、身体からの厳重注意。

    まとめ

    Injured Piggy Bank WIth Crutches

    できることならショーを1日たりとも休みたくはない。
    無理を押してでもステージに立つことが使命だと信じていた時期もあった。
    でも自分が無理をして誰が得をするのだろうか。
    むしろ穴を開ける期間が長くなってはいないだろうか。

    今日のショーも怪我で休ませてもらっている。
    今日という日を楽しみにラヌーバに来ているお客様には申し訳ない。

    だが不甲斐ない演技をしてお茶を濁すより、
    潔く休養をするのもプロとしての責任なのだと思う。

  • 責任がある場所にこそ、新たな充実感は生まれる。

    責任がある場所にこそ、新たな充実感は生まれる。

    早いものでラヌーバにダブルダッチが入って3ヶ月が経過した。
    回数にして100回を超え、もうじき150回。

    ラヌーバには純粋なダブルダッチ経験者が居ない。
    自分たちも少しかじった程度。。。

    問題は色々と見えてくるけど、
    どうやって対処するのも実は試行錯誤だったり。

    ダブルダッチで怪我をする

    このように書くと「アクロやるから?」って言われそうだけど、そうじゃない。

    普通に両足で跳んでいるだけでも怪我をするのだ。
    なぜなら、週に10回というのが致命的な危険性だから。

    いまの演技にはアクロバットがほとんど入っていない。
    正確には一時期やってたんだけど、あまりに危険ってことで即中止。
    それも捻ったり2回まわったりじゃなく、単純なスタン宙。
    世界レベルのアーティストをしても、ダブルダッチの中でスタン宙は危険なのだ。

    恥ずかしながら、真っ先に怪我をしたのは自分だった。
    これと言って難しいことはやっていない。普通に跳んでただけ。
    なんなら日本のダブルダッチャーの人々にしたら準備運動レベルかも。
    にも関わらず、両膝と両アキレス腱に激痛を伴う慢性炎症を起こした。

    今でこそ日々のエクササイズを増やして備えているので出演できているが、
    ダブルダッチ専用の筋トレをしないと怪我が怖い。

    さらに他のメンバーも立て続けに足を痛め、典型的なシンスプリントを発症。
    中でも重症だったアーティストは、結局ドクターストップが掛かってしまった。
    彼がショーでやっていたのは「2重」と「シャー」だけなのに、だ。

    いまでも彼は療養中でしばらく演技から離れている。
    専門の空中ブランコこそ大丈夫だが、
    ダブルダッチ以外にも走る、跳ぶと言った動作は一切禁止とのこと。
    怪我した当初は歩くのですら痛いと言っていた。
    この状態がしばらくは続くというから、相当な痛みなのだろう。

    ★★

    こうなってくると、あまり無理をさせられない。
    なにしろこれからもずーーと、ショーは続いていくのだから。
    経験のある自分ですら怪我をするのだから、未経験の彼らをこれ以上プッシュできない。

    理想とする演技はあれど、自分も含めたメンバーの身体と日々相談しながら模索する。
    なにしろ週に10回は人間の限界点ギリギリなのだから。

    感じる、意識する・・・?ってなんて英語で言うの?

    まがりなりにも日本でダブルダッチを練習したことがあるので、
    最低限のターニングはできる。
    しかしここで問題なのは、自分ができたとしても他のメンバーにどうやって教えるか?だ。

    ミスをした時の映像を確認すると、

    「あぁ、この場面で縄が死んでる」
    「あぁ、ここは引っ張りすぎ」

    みたいなのは把握できる。
    でもどうやってこの課題を解決するかが問題なのだ。

    自分がやるとすれば感覚的に「こうすればいいかな?」てのがわかるけど、
    それを人に伝えるってすご➖➖く難しい。
    しかも英語でって…日々、どんな単語を使えばいいのか頭はフル回転。

    たとえば「もっと回して」っていうにしても具体的に何を伝えればいいか??
    ここで意図するのはFasterなのかStrongerなのか、それとも別のものか?

    反対に引きすぎだったら・・・
    Slowerじゃないし…Weaker??なんか違くね?

    (※)ちなみに実際に「Weaker」という表現を使ったら縄が死んだ。

    ブレーキングとか捨て縄とかも例をあげればきりがない。
    運動の概念を伝えるって本当に骨が折れる。しかも縄の概念って…。

    英語で最適な単語を探すにも語彙力が追いつかないし、
    「す〜〜」とか「エイっ!!」みないな感覚的に身体で覚えてる動きも多い。

    ★★

    これは単に「ダブルダッチの経験不足」が原因だろう。
    だってシングルロープ(単なわ)なら何の問題もなく伝えられるんだから。
    死ぬほど練習して、教えて、パフォーマンスやってきたから。

    でもダブルダッチに関してはここまでの経験がない。
    ゆえに自分の中で「伝えるための語彙」が圧倒的に不足している。
    かゆいところに手が届く言葉が出てこないもどかしさ。

    マイブームが到来している

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    (※)ステージリハーサルの様子

    過去にこんなにダブルダッチを考えたことは無かったと思う。
    コンテストやチャレンジにも出場したけど、当時とは何かが違う。

    そう、あの頃は「何となく」で楽しさを求めてた。
    トップに食い込むのは無理だってのは百も承知だったから、
    自分たちが楽しい、そして少しだけ観客も湧けばいいかな?って想いでやってた。

    でもいまはショーとしてのクオリティを維持する必要がある。
    自己満足してる部分もあるけど、それだけじゃ許されない。

    ディレクターの目、コーチの目、そしてメンバーの目。

    各方面からの目を意識しながらチームでステージに向かっていく。
    ときにシンドいこともあるけど、責任があるだけ充実感があるよね。

    縄跳びをはじめて12年。
    空前のダブルダッチブームが到来中。

  • 海外では「名前を呼ぶ」が想像以上に重要なコミュニケーション

    海外では「名前を呼ぶ」が想像以上に重要なコミュニケーション

    日本から帰国して早1週間。
    時差ボケの劇的な眠気からも開放されて、ようやく身体が戻ってきた感じだぁ。
    毎回のことだけど何とかならないものかなぁ…。

    さて、あなたは最近いつ「名前」を呼ばれただろうか?
    日本から帰ってきて改めて気付いたんだけど、ここでは何度と無く名前を呼ばれる。
    しかも別に用事があるわけじゃなくて挨拶程度の会話の中でもだ。

    意識しながら聞いてると、言葉の違いって面白い。

    まず1日の始まり、ここから名前は連呼される。
    シアターで合う人殆どに「Shoichi~~」と声をかけられ「How are you?」みたいに繋がる。
    アーティストだけじゃなくて裏方さんやら上司やらみーーん名前を呼んで挨拶をするのだ。

    もちろんこれは自分だけじゃない。
    みんなお互いの名前を呼び合って挨拶をし、会話を始める。
    挨拶じゃなくても、頻繁に誰かが名前を呼んでるのを耳にする。

    これ、日本じゃあんまり見なかった。

    日本語って主語を入れなくても会話が成り立つ。
    だから目を見て「あのさー。」って投げかければ、名前を呼ばなくても会話は開始できる。
    もちろん遠くにいたり、大勢の中で特別に声をかけるシチュエーションになれば名前を呼ぶかもしれない。
    それでもアメリカ生活の中より圧倒的に少ないと思う。

    名前への特別な思い

    これは個人的な感想だけど、
    世界の人達は日本人が感じている以上に「名前を呼ばれること」を喜ぶと思う。
    その証拠に些細な日常会話であろうが、事務的な伝言であろうが、ちょいちょい名前を挟んでくるのだ。
    この流れで名前呼ぶ必要ある?みたいな場面でも、しきりに名前を呼ぶ。

    日本人はどうだろうか。
    正直、会話の中で相手の名前を呼ぶ機会って少ない。
    不思議なことに漢字を違えられると気に触るのに、会話で呼ばれなくても気にしてない人が多い。

    ちなみに自分達は未だによく名前を間違えられる。
    シアターに日本人が2人しかいないし、同じメイクで歩いてる。
    そりゃどっちかを瞬間的に判断するのって難しいよね(笑)

    最初のうちは訂正してたけど、最近は面倒くさいからスルー。
    でも相手が気づくと、今度は物凄い勢いで謝ってくるから面白い。
    あまり英語では「sorry」という表現を使わない方がいいって聞くけど、この場合にはsorryを連発してくる。
    そのぐらい、彼らには名前を間違えたことに対する申し訳ない気持ちがあるのかな。

    名前を呼ぶ実験をしてみた

    面白そうなので、意識的に相手の名前を呼ぶ実験をしてみることにした。
    4年もいればシアターにいる人は殆ど名前がわかる。
    向こうも毎日Shoichi~~って声をかけてくるんだし、同じタイミングで相手の名前を呼び返す。

    あとはアクトに関することや、伝えたいことがある場合も同じ。
    ダブルダッチのチームメンバーにも意識的に名前を付けて発言をするようにしてみた。

    これまで:

    「少しスピードが遅いから早くしてほしい」

    実験:

    「○○〜〜。少しスピードが遅いから早くしてほしい」

    まぁこんな感じにね。

    ★★

    実験の結果は想像を超えるものだった。
    端的に言えば会話を多くするようになった。
    これまでは挨拶を交わす程度の友達だった人も、名前を呼ぶようになってからはガンガン喋ってくる。
    週末にこんなことをしたとか、日本語の○○ってどういう意味?とか、
    些細な日常会話だけど明らかに言葉を多く交わしている。

    またアーティストは、以前にも増して積極的に意見を言ってくれるようになった。
    これまでは縄跳びの技術的なことを一方的に伝えることが多かったけど、
    彼らからも「○○が遅かった」「あの場面で引っかかりそうになった」みたいに、
    不具合や調整してほしいことに対する率直な意見を貰えるようになったのだ。

    縄跳びアクトに意見を言ってもらえる=アクトに関心を持ってもらえていること。
    アクトはみんなで創りあげる以上、意見は喉から手が出るほどほしいのだ。
    自分としては願ったり叶ったりの状況。

    お陰でこれまで以上にアクトの調節や軌道修正がやりやすくなって全体の雰囲気もいい。

    たかが名前と侮れない

    Jaguar, DZP

    コミュニケーションはアクトやショーを維持する上で重要だ。
    ここにいる人間、一人一人の協力でショーは成り立っている。
    今回の実験で特にアーティスト同士のコミュニケーションが円滑になったのは間違いない。
    ただ会話で名前を呼ぶことを加えただけだが、実に興味深い結果になった。

    たしかに言われてみると、自分の名前を呼ばれるって気恥ずかしいけど悪い気はしない。
    日本語では強いて呼ぶ必要ないかもしれないけど、
    あえて「名前」を加えてみることで、コミュニケーションが少しだけ円滑になるかもしれない。

  • 『慣れ』という病は、無意識かつ着実に進行するから恐ろしい

    気づかない「慣れ」ほど怖いものはない。
    何千回ステージに立とうと、常に恐れている。

    シルクドソレイユのショーは公演回数が非常に多い。
    ツアーショーであっても平均して年間350回、
    常設に至っては450回を超える。
    ※ちなみにラヌーバは478回

    細かく変更は行われるとはいえ、ショーの内容は基本的に同じ。
    アーティスト側もローテーションでいくつかの役割を回しているが、
    それでもなお回数が多い。

    もしかするとこれは自分だけかもしれないが、
    恐ろしいことに、ヒトは1600人の前で演技をすることにすら慣れていく。
    演技内容は同じだし、動きも振り付けも常に同じ。
    すると「これだけやってきたんだから大丈夫だ!」という自信につながり、
    満席のシアターの中央で縄跳びをすることにすら慣れてしまう。

    たしかに緊張のし過ぎでステージに立つのは考えもの。
    適度にリラックスしないと身体が強張って思った演技はできない。
    この意味では良い慣れもある。
    しかし一方で良からぬ慣れが存在するのも確かだ。

    ★★

    自分が一番恐れているのは「見慣れる」ことである。

    演技で入れている技はどれも、80%程度の力で通すことが出来る。
    なぜかってのは技術の伸ばし方についての記事を参考にしていただくとして、
    80%のだと少し力を抜いても通すことが出来る。
    その抜いた力が観客に向かえば文句はない。
    だがヒトは楽をしたがるもの、単純な手抜きになることだってある。

    www.shoichikasuo.com

    さらにタチが悪いのは無自覚の場合。

    繰り返される演技の中で最適化され、知らずのうちに力を抑えてしまう。
    そして演技は更に繰り返され、強固にルーティンとして組み込まれる。

    こうなると見つけるには客観的に映像で確認する必要がある。
    この理由で、自分は週に1回は必ず演技を映像で確認している。
    動きに抜けはないか、不十分な部分はないかとチェックする。

    しかしだ・・・

    これすらも慣れていく。そう、

    手抜きしている状態を見慣れてしまう。

    映像で確認するとはいえ、日々少しずつ変化していくと見落としがちで、
    なんか違和感があるけどこんなだったよね?と変な納得をする。

    これは動きを見る「目」にまでサビつきが及んでしまったことを意味する。

    ★★

    ヒトは回数を繰り返えすと、なんとなく良いんじゃね?と解釈し無意識に受け入れる方向に進む。
    繰り返しの中に改善点を見るけるというのは、ある意味で斜に構えた状態で、目の前の事象を否定的な意識で観察することだ。
    これが結構シンドイ。

    一種の自己防衛的なもので、
    見慣れてるし、良いんじゃね??と、
    感覚や目の前の事実を歪曲してでも、自己暗示的に納得してしまう。

    もはや一種の病と呼んでもいいだろう。
    「慣れ」の病はどんどん楽な方向へと自分を転がしていく。
    しかも気付かないほどゆっくりで、それでいて確実に進むから恐ろしい。

    放置しておけば、技の喪失のような致命的な崩れに繋がる。

    ★★

    この現象は至るところで起こる。
    むしろ縄跳びを跳んでる場面でなく、歩く、走る、などの単純な動きこそ危険性が高い。

    何とかして、この恐ろしい「慣れる」をから逃れるため、
    過去の映像を見たり、トレーニング中の映像を見直したりしている。
    それでもなお、回数を重ねれば重ねるほど、病は進行していく。

    この病から逃れるために、自分たちは日々、
    フォームを確認し、身体に意識を入れ、音に合わせ、呼吸を整える。

    馴染んだ基礎であっても疑って、
    なぜこれが良いのか?と自問自答を繰り返す。
    必要があれば培ってきた基礎を全て捨てる覚悟で。

    最大の敵は自分と言われる所以が、
    もしかするとこの辺りにあるのかもしれない。

  • 緊張の糸を切ったら終わるという不安は、出口が見えない危険がある

    久しぶりに怪我でアウトしてしまった。

    先月から新しく縄跳びアクトに入ったダブルダッチ。
    演技も安定してきて、さて次のステップに進もうかと思った矢先だった。

    演技終わりでステージから降りようとした時、嫌な予感がした。
    這い出るようにステージから降りた1stショー。
    本来だったらスグにでもフィジオに駆け込むべきだったのだけど、ひとまず痛みを取るために冷やして保留。

    強引に2ndショーの演技を終えた後、あまりの痛みフィジオに駆け込んだ。

    この段階で既に歩くことはままならない。
    足首と膝に痛みがあって、膝を床に着ける動きや走る動きは不可。
    痛みが出るため大半のキューをカットしてもらい、挙句にカーテンコールも出ずにショーを終える…。

    ショーの後のフィジオ判断は当然のごとく一発でアウト決定。
    少しごねてみたけど、
    歩くのも困難な状態でステージに上るなんて到底許可できないと叱られた。

    どのタイミングでアウトする?

    舞台人の宿命で親の死に目に会えない、なんてよく言われる。

    http://www.h7.dion.ne.jp/~kanon.co/piano_selection/03/opinion/opinion_003.html
    風邪をひいて今にも倒れそうであろうが、何があっても舞台人はお客様に楽しんで頂く為、自分の姿を見て頂く為、「頑張らなくては」いけないんです。

    この考え方は極端かもしれないが、
    この仕事を始めてからずーっと命題になってることがある。

    どのタイミングでアウト(ショーを休む)か??

    ケアを入念にしていても、時にどうしても怪我をしてしまったり慢性的な痛みが出てしまう。
    とくに自分のスタイルは高いジャンプをするので、衝撃がモロに関節に出る。
    膝の痛みなんてしょっちゅうだし、アキレス腱やら足首が痛いのなんて日常茶飯事。

    これまでは多少の痛みがあってもショーに出てきた。
    そりゃフィジオが絶対にダメ!っていう場合は別だけど、
    湿布貼ってでも痛み止め飲んででも、ステージに立つことを選んできた。

    ここまでするのはショーを休みたくないから。
    ショーを休むということは、まず第一に他の人に負担を強いることになる。
    縄跳びは2名のアクトということもあり、仮に自分がアウトすればnasaにソロを任せることになる。
    その負担は想像以上にデカイ。

    たしかにソロだと少し尺が短くなる。
    それでも1人で3分間、ステージで跳び回るってのは本当に大変なことだ。

    でもね、
    今回の怪我で休むかどうかスレスレの判断を待っていた時。
    心の片隅に別の理由・感情を感じずにはいられなかった。

    休まないことで張っている糸

    身体に痛みがあるとはいえ、縄跳びのアクトは気合でなんとかなる。
    膝が痛くても、ステージに上ってしまえばアドレナリンで痛みは殆ど感じない。
    もちろんステージを降りた後に激痛というオプションはついてくるけどね。

    自分を構成する価値観の中に、
    ステージで演技ができる以上は休まないっていうポリシーがある。

    たとえ痛みがあろうと、風邪をひこうと、
    そこに一生に一度かもしれないお客様が居るのだから、
    何よりもステージに立つことを優先したい。

    この思いで4年間ステージに立ち続けてきた。

    だが一方で、これは自分をキープための意地でもある。

    常にステージに立っている自分をどこか遠目に見て、
    「まだイケる」「もっと頑張れる」と、気持ちの糸を張り続けているのだ。

    ★★

    この糸はきっと縄跳びを始めた頃から張ってきたものだと思う。
    手前味噌だけど、出張指導に欠席したことは前十字靱帯断裂の怪我の時以外は無い。
    縄跳び教室も、怪我や病気での欠席をしたことはない。

    というよりは、

    気持ちの糸を張り続けて強引に押し切ってきた、とも言える。

    とあるイベントに出演する前日に38度の高熱を出したことがある。
    冷静に考えれば休むべきだった。
    しかしエナジードリンクと気持ちで押し切って、強引にイベントへ出演。
    数カ月前から準備をしてくださったクライアントに迷惑を掛けたくない思いと、
    せっかくイベントに見に来てくれるお客様をガッカリさせたくない思いで跳びきった。

    不思議と演技中は体調不調のことは忘れて、
    部屋に帰った瞬間、倒れるように布団に入った。

    週に10回のショーを公演しているとはいえ、ラヌーバも自分の感覚は同じだ。
    毎回ショーを見に来るお客様は違し、
    お客様によっては一生に一度のチャンスかもしれない。

    こちらの事情がどうあれ、応えたい。
    こう常に思っている。

    いまだに答えは出ない

    シルクドソレイユのアーティストには「病欠」と「有給休暇」が存在する。
    わりとみんな有給休暇はちゃんと使う。
    身体が痛いと言えば、シッカリ時間を取って休む。

    では自分はどうしようか?

    たぶんだけど、フィジオに一発アウトを言い渡されない限り、
    意地でステージに立つんじゃないかな。。。

    アーティスト生命を考えれば賢い判断ではないだろうし、
    常に万全の状態で身体を維持するのがプロだろ?!なんてお叱りも聞こえてきそうだ。

    きっとここに、

    プロとは何か、
    アーティストとは何なのか、

    といった、簡単には割り切れない価値観が存在する。

    結局、答えは出ていない。

  • 現役40年、クラウンの道を示してくれた師匠がステージから引退した

    現役40年、クラウンの道を示してくれた師匠がステージから引退した

    この世界に入ってから大きな影響を受けたアーティストが2人いる。

    一人は短期で縄跳びアクトに入ってくれた「Thomas」
    もう一人は自分をクラウンの道へと誘ってくれた「Balto」

    この二人を勝手に師匠として尊敬して、
    彼らから数えきれないほどたくさんの事を学ばせてもらっている。

    そんな師匠の一人、
    ラヌーバで15年間クラウンを演じた、Baltoが先週の土曜日を持って引退した。

    f:id:shoichikasuo:20140419225149j:plain

    忘れもしない2年前のワークショップのあと。
    あの時のBaltoの言葉が、今の自分を支えている。

    「16時間(4日x4時間)のワークショップを観てきたが、WinnerはShoichiだったぞ!」

    https://www.shoichikasuo.com/entry/20110306/1299391594

    師匠として、クラウンとして尊敬しているだけじゃなくて、Balto、もといMichelleという人間が大好きだ。
    いつも気にかけてくれる優しさは忘れない。

    中でも一番濃密だったのが去年の5月から9月にかけて。
    誰が見ても無謀だったオーディションへ挑戦を提案したところ、
    Baltoは快く協力してくれて、毎週プライベートの時間を割いてくれた。

    シルクドソレイユオーディションへの道のり【0章】 決めた!9月にオーディションを受ける – なわとび1本で何でもできるのだ

    Baltoの言葉があったからCabaretにも挑戦したし、
    無謀なオーディションにだって立ち向かおうって思えた。

    幸か不幸か、師匠の最後のステージは怪我でアウト。
    最後の晴れ舞台を客席から見届けることができたのは幸せだったが、
    一緒の舞台に立つ機会がもう無いのかと思うと、悔しくて切ない。

    ★★

    先週の土曜日はお別れパーティがシアターで開かれた。
    みんなはBaltoを囲んで泣いたり写真撮ったりしてるけど、なぜかうまくBaltoと会話できない。
    何というかBaltoがもう居なくなってしまうって実感が湧かなかったのだ。
    色々話ししたかったけど、言葉が出てこない。

    日々のショーの前、
    準備運動をしているとアニメーションのために客席に行くBaltoと毎回すれ違った。
    お互いにここで下らない話や真剣な話、クラウンについてのことなど、お喋りをするのが日課だ。

    時計を見てていつもの時間になるとドアが気になる。
    いつもみたいにBaltoがあのドアからShoichi〜〜って叫んで入ってくるんじゃないかって。

    でも誰も来ない。
    この瞬間、ようやく実感が湧いた。

    あー、もうBaltoもSelgeyもここには居ないんだって。

    ★★

    f:id:shoichikasuo:20140418225213j:plain

    先週まではシアターに行けば会えた。
    いつもの場所、いつもの時間に必ず会えた。

    今度からは少し遠くなってしまった。
    でもしばらくはモントリオールに居るらしいので、飛行機に乗ればスグに会いにいける。
    寂しさと消失感を埋めるにはしばらく時間がかかるかもしれない。

    でもBaltoが教えてくれた「笑い」で、乗り越えていこう。
    そして近い将来、成長したShoichiのクラウンを見せられるよう、
    今から頑張らなきゃ。

    ありがとうBalto。