カテゴリー: シルクドソレイユ

  • シルクドソレイユ創始者ギー・ラリベルテ:所有権の売却に向け動き出す

    シルクドソレイユ創始者ギー・ラリベルテ:所有権の売却に向け動き出す

    2014年の年末にこんなニュースが駆け巡りました。

    Cirque du Soleil’s Next Act: Rebalancing the Business – WSJ

    シルクドソレイユの創始者であるギー・ラリベルテ。彼は会社所有権の90%を保有していると言われています。今回の記事では、彼の保有する所有権の20-30%を売却する方向で投資家を募集していると報じています。

    相次ぐショーの閉幕と不幸な事故

    シルクドソレイユは1984年から2006年までの間、20のショーを開幕しました。そして2007年から2012年の僅か6年で14のショーを開幕。しかし残念ながらこの中で5つのショーが早期閉幕に追いやられてしまいました。

    また2014年には30年の歴史始まって以来、初の死亡事故が発生。また別のラスベガスショーでも落下事故が発生し、ショーの安全性や危機管理の問題点など、社内だけでなく世間にも大きな波紋を呼びました。

    収益の減少、リストラ、予算削減・・・

    2012年、シルクドソレイユは初めての財政赤字になりました。

    この事態を受け、モントリオール本部を初め多くのショーで解雇や解任が続発します。なかにはアーティスト55名も含まれており、ラヌーバからも2名が解雇を言い渡されました。

    その後も財政不振を立て直すために様々な手段が講じられました。ツアーショーに同行する公的学校制度の廃止、保険制度の見直し、勤続記念ジャケット配布の見送り。

    些細なカットから大規模な削減まで、各所でのリストラや予算削減が未だに敢行されています。つい先日もラスベガスショーの責任者が兼任になることが発表され、何名かの役員がリストラの憂き目にあっています。

    ブルー・オーシャンからレッド・オーシャンへの転換

    シルクドソレイユは頻繁に「ブルー・オーシャン」の例として挙げられます。競争相手が多く、血で血を洗う「レッドオーシャン」に対し、競争相手の少ない新たに開拓された市場は「ブルー・オーシャン」と呼ばれます。

    ブルー・オーシャン戦略 – Wikipedia

    ところがここ数年、シルクドソレイユに追随するカンパニーが急増しています。記憶に新しい「empire」や「シルク・エロワーズ」、またシルクと名の付かずともコンセプトの近いマカオ「The House of Dancing Water」「Les 7 doigts de la main」のような競合カンパニーが台頭してきました。

    出演者にはシルクドソレイユ出身者も多く、ノウハウを学んだ新世代とも言えるでしょう。

    EMPIRE
    the house of dancing water
    Cirque Éloize
    Homepage | Les 7 doigts de la main

    こうした背景を創始者のギー・ラリベルテは次のような言葉で表現しています。

    ‘we are a rarity—but the rarity was gone’
    (我々は希少な存在である。だがその希少性はもう過ぎ去ってしまった)

    所有権の売却と新規市場開拓で抜本改革を

    世界経済、サーカス業界の動向、そして不運な事故・・・こうした要因が重なり2013年の収益は約8.5億ドルまで低下。前年2012年の10億ドルから15%の減収になりました。この収益も過去のショー閉幕をはじめとしたコストの相殺に費やされ、2014年も財政不振が暗い影を落としています。

    創始者のギー・ラリベルテは2014年12月、こうした状況を打破すべくシルクドソレイユ所有権の20-30%を売却することを発表しました。経営責任者のダニエラ・ラマーは所有権売却による投資収入の総額は15億ドル〜20億ドルを目指すと述べています。

    また今回の投資では「戦略的投資」という言葉を強調し、これまでシルクドソレイユが苦戦を強いられてきたアジア圏、特に中国・インドでの新規市場開拓を目指すと言います。

    さらに新たな市場開拓としての、子ども向けテレビ番組、テーマパーク、小規模ホテルのキャバレーショーを発表。またスペシャルイベントと呼ばれる短期ショーの売上が1500万ドルから3700万ドルに上昇していることから、今後も新規市場開拓に力を入れていく意気込みを持っているとのことです。

    ◆メキシコで開演したキャバレーショー
    JOYA: New Show. Riviera Maya, Mexico | Cirque du Soleil

    ◆シルクドソレイユが計画中のテーマパーク
    GRUPO VIDANTA AND CIRQUE DU SOLEIL EXPAND PARTNERSHIP TO CREATE WORLD’S FIRST ENTERTAINMENT PARK ANIMATED BY CIRQUE DU SOLEIL

    今後の動向に注目

    シルクドソレイユは今、大きな転換期にあります。日本の常設ショーZEDが閉幕してからというものの、なし崩し的に暗いニュースが跳び込むようになりました。

    出演する側から見た、ZED閉幕のショック – 縄のまっちゃん公式ブログ【旧ブログ】

    いまのシルクドソレイユを見て、モントリオール国際サーカス学校の元ディレクターは厳しい言葉をかけます。

    “Are they just a machine to print money?”
    (アーティストは単なるお金を生み出すマシーンなのか?)

    “If you’re not capable to maintain and refresh desire, why are you there?”
    (彼らを守り求めるモノを回復させられないなら、もはやあなた達は不要である)

    By Jan Rok Achard

    ひとりのシルクドソレイユ出演者として、今回の投資が上手く機能してくれることを願って止みません。

    シルク・ドゥ・ソレイユ サーカスを変えた創造力

    シルク・ドゥ・ソレイユ サーカスを変えた創造力

    白い扉の向こう側 ようこそシルク・ドゥ・ソレイユへ

    白い扉の向こう側 ようこそシルク・ドゥ・ソレイユへ

    • 作者: リン・ヒュワード,ジョン・U・ベーコン,有賀裕子
    • 出版社/メーカー: ランダムハウス講談社
    • 発売日: 2007/02/06
    • メディア: 単行本
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  • プロになる君へ。5年前の自身に宛てたメッセージ

    プロになる君へ。5年前の自身に宛てたメッセージ

    Cast your bokeh to the wind

    Photo By jamesjordan

    プロとしてステージに立ち始めたのは2010年。あれから約2000回のショーへ出演し、大きな怪我も3回経験しました。

    プロであることの大変さと同時に、勘違いや思い込みに苦しんだ5年間でもありました。今回はこれからプロになる当時の自分に対して、今だからこそ言えるメッセージを紹介したいと思います。

    1.肩の力を抜け

    君はプロであることに力みすぎている。「ショーに出るからには」とか「お金を払ってお客様が」とか、考え過ぎだ。もちろんお金をもらって縄跳びをしている以上はプロであろう。でもそれは毎日肩肘を張って仕事をするのとは意味が違う。

    とかく君はプロセスを大切にしたがる。何をするにも然るべき練習や手順をふもうとする。努力を重ねようとする。でも土曜日のショーの後に夜中の1時過ぎまで練習をし続けるなんて、正気の沙汰ではない。

    プロとは結果を出すのが仕事。プロセスにこだわり過ぎると身体や周囲を痛め付ける結果になる。ある日このツケが回ってくるのを忘れないで欲しい。

    2.怪我をナメるな

    縄跳び競技を8年間も続けた君にとって、三重跳びや四重跳びは朝飯前だろう。この程度なら大丈夫、という油断に足元をすくわれる。

    技術的に簡単なのはわかった。四重跳びをショーでやるのにポリシーを持つのもいい。だが小学校で年間100回程度のパフォーマンスをやるのと、年間480回のショーをするのはワケが違う。身体へのダメージは以前より確実に積み重なっていくことを忘れてはいけない。

    にも関わらず、君は練習を減らさない。そればかりは今まで通りのケア方法で何とかなると思っている。だからある日突然、故障で前回しすら出来なくなる。歩くことすら困難になる。長期の離脱を余儀なくされる。

    縄跳びだからといって侮ってはいけない。
    それを一番理解しているのは君ではなかったか?

    3.失敗するけど、挑戦しろ

    君はこれから5年間で多くの失敗をする。アクト中のミスは常に起こる。チームワークの問題にも巻き込まれることだろう。

    アクトに限ったことだけじゃない。

    キャラクターを目指して宙返りやクラウニングを練習するが、どちらも実らずに5年間が過ぎてしまう。ライバル達が階段を登っていくのを悔しい気持ちで眺める日が続く。

    だが安心して欲しい。これらの失敗の全てが5年後に活きている。たとえば宙返りで学んだ知識からジャンプについて別視点の気づきを得る。それが5年後の縄跳びアクトに活かされている。

    またクラウニングの練習を経て、君は数えきれないほどの知恵を授かるだろう。結果として5年間でキャラクターには辿りつけなかった。しかし縄跳びアーティストとしての新たな境地はシッカリと見えている。

    面倒臭がってはいけない。英語に億劫しているヒマはない。毎日顔を合わせるうちは気付かないが、師匠のBaltoやThomasと過ごせる時間は少ないのだ。

    まとめ

    ステージに立つこと、そしてプロであること。

    「プロとはかくあるべき」という思い込みが先行し必要以上の重圧を生み出してしまいました。時には自らプレッシャーを掛けることも必要でしょう。しかし人生の一部としてショーに出演するにはやり過ぎでした。

    肩に力の入った状態でショーに望んだ結果、相対的に「周囲が手を抜いているのでは?」という疑念にも駆られました。もちろん、そんなことはありません。1人で勝手にハイパーな重圧を生み出し背負っていただけなのです。いま思い返せば、さぞかし面倒くさい同僚だったことでしょう。

    過ぎたるは及ばざるが如し。練習でも自負でも行き過ぎた行為には反動がくる。

    プロになった5年前の自身に掛けたいメッセージが、ここに集約されています。

  • 【ジャンル別】シルクドソレイユのアーティスト(パフォーマー)に求められる素質とは?

    【ジャンル別】シルクドソレイユのアーティスト(パフォーマー)に求められる素質とは?

    http://www.flickr.com/photos/30201239@N00/5279431366
    photo by joiseyshowaa

    シルクドソレイユは、ステージで演技をする人をアーティストと呼びます。

    アーティストとは「極めた人」という意味。ステージに立つことを極めた人という敬意を表し、パフォーマーではなくアーティストと呼ぶのです。

    しかし一括りにアーティストと言ってもその専門性はバラバラ。1つのジャンルでは必須でも他のジャンルでは無くても問題ない素質もしばしば。

    今回はステージに立つ立場から見た「シルクドソレイユのアーティスト」に求められる素質をまとめてみました。

    アーティストの種類は大きく5つ

    明確に線引が出来ない部分もありますが、大まかにアーティストは以下の5つに分類されます。

    ・House Tromp
    ・ソリスト
    ・キャラクター
    ・ダンサー
    ・クラウン

    これらのアーティストに求められる素質を「専門技術」「表現力」「その他」の観点から紐解いてみようと思います。

    THE ジェネラリスト/House Tromp

    まずはHouse Tromp。彼らは集団演技をするアーティストの総称です。4名以上で行い体操系種目の出身者が多く居ます。
    (例)OVOのトランポウォール

    House Trompに求められるのは何より「基礎力」。日本の新卒採用のように、才能のある若人をシルクドソレイユが育ててアーティストにしよう!という目的のもとに集められ、ステージに上り詰めた人々です。

    ここで言う基礎力とは殆どの場合で「体操の基礎」や「ダンスの基礎」と言い換えることが出来ます。例えば体操出身のアーティストの場合、シッカリとしたアクロバット技術が 身に付いているか否かが重要になります。同じことがダンサーのHouse Trompにも言えます。

    本部で行うジェネラルトレーニングを経て契約を交わす、大半のアーティストがHouse Trompです。

    No.1よりオンリーワン!/ソリスト

    ソリストとは特殊な技術・技能を使ってパフォーマンスをするアーティストのこと。縄跳びもこれに入ります。
    (例)縄跳び、ジャグリング、バトントワリング

    ここでは他者より上手か?より「あなた特有の何か」が重視される傾向にあります。競技でトップに立つことよりも、出演の段階であなたにしか出来ない演技を持っていることが重要になります。

    たとえばHouse Trompにはオリンピック選手や世界チャンピオンが大勢いますが、ソリストには競技成績は殆ど関係ありません。縄跳びでシルクドソレイユに出演するソリストは現在4名いますが、この中で本格的に競技に取り組んだのは自分だけ。

    「素地」が重視されるHouse Trompよりも、ある程度完成された「個性」が求められるのです。

    個性のデパート/キャラクター

    これ、自分がなりたいやつです。ww
    キャラクターとはショーの中心的な役割を演じるアーティストの総称です。
    (例)Koozaのトリックスター、Corteoのホワイトクラウン

    キャラクターで重視されるのは「圧倒的な存在感」です。構成上アクロバットをすることもありますが、キャラクターの主な役割や表現を通じてショーの世界観を客席に届けることにあるのです。

    そのため一口にキャラクターと言っても、演技内容は千差万別。Koozaのイノセントは役者、トリックスターはアクロバッターとしてキャラクターを演じています。

    あなたの専門技術はもちろん、ショーの世界観と合う「+αの何か」が求められるアーティストです。

    技術だけではない迫力/ダンサー

    このジャンルは悩みました。書いて字のごとくダンスでステージに立つアーティストです。ショーによってはキャラクター、House Tromp、ソリストとして出演している所もあります。
    (例)La Noubaのバレエダンサー:キャラクター、Michael Jackson:House Tromp

    あるサーカス関係者の言葉に、

    「一流のアスリートが一流のアーティストになれるとは限らない」
    「でも、一流のダンサーは間違いなく一流のアーティストになれる」

    参考:白い扉の向こう側 ようこそシルク・ドゥ・ソレイユへ

    というのがあります。

    自分が思うのは、選ばれているダンサーには迫力があります。大きなステージで1人踊っていても、ぐ~~っとこちらに訴えかけてくる何かがある。これを一般的に「表現力」と言うのかもしれません。

    また彼らは強烈な印象を残します。先日見たAmalunaのダンサーは、肩甲骨と腕が気持ち悪く特徴的に動いていました。あのインパクトは一度見たら忘れられません。

    表現力、技術力、存在感、、、ダンサーはあらゆる素地を持ち合わせています。先に上げた言葉の通り、間違いなく一流のアーティストになれるという言葉にも納得できます。

    表現力の王様/クラウン

    ご存じの方も多い、アクト間にコメディを演じるアーティストです。たいていは2人1組で「オーグスト(ボケ)」と「ホワイトフェイス(ツッコミ)」が居ます。

    表現力、間のとり方、臨機応変さ、など他のジャンルとは一線を画する特殊な技術が必要とされます。そのため殆どのクラウンはサーカス学校出身。もしくはコメディアン出身の人ばかり。

    師匠のBalto「クラウンは細い糸の上をゆっくり歩くようなもの」と表現しました。適当にバカなことをやっているように見えて、緻密な計算と敏感な空気の察知力が要求されます。お笑い芸人さん達も使う「テンドン」や「笑い待ち」と言ったテクニックもあり、個人的には最も難易度の高いアーティストだと思います。

    まとめ

    いかがでしたか?
    一言にアーティストと言っても求められる素質はマチマチ。あなたの目指すジャンルではどんな素質が必要でしょうか。

    最後に、2つだけ全てのアーティストに共通していることがあります。それは「高所の適性」と「好奇心」。サーカスである以上は高所恐怖症では仕事が務まりません。自分たちも約20mからバンジーをしています。

    そして未知の事にも臆せずチャレンジできる勇気、好奇心。シルクドソレイユでは常に新しい事を求めています。やったことがないからやりたくない、では永久にチャンスは巡って来ません。

    この記事を読んだ人と、将来シルクドソレイユのステージで共演できる日が来たら嬉しいです。

  • あなたは大丈夫?何年やっても「基礎・基本」が身に付かない理由

    あなたは大丈夫?何年やっても「基礎・基本」が身に付かない理由

    仕事でもスポーツでも「基本・基礎」は大切です。
    中にはすっ飛ばしても成功する天才もいますが、多くの人にとって基礎基本を学ぶことが一人前になるための近道。

    しかし、何年たっても同じミスを繰り返し、仕事の効率が上がらない人っていますよね?スポーツで言えば何回も同じ技や動きで判断ミスや失敗を重ねてしまう人。

    一方であっという間に基礎基本を習得し、みるみる頭角を現す新人が居るのも事実。

    彼らには元から才能の違いがあったのでしょうか?いいえ、問題は「基礎基本を学ぶ姿勢」にあるのです。

    自分はオリジナリティがあると過信する

    若い時には全能感があるもの。根拠もなく仕事ができる、独創的で世界初の発見とかをしちゃう!と心から信じている人も少なくありません。

    根拠の無い自信の全てが悪いことじゃありません。物事を始めるモチベーションにもなることでしょう。ただ、全能感を持っている人が「古い知識なんて必要ない!」「自分は全く新しい概念を生み出すのだ!」という考えに進んでいくと危険信号。

    自分の力を信じることは素晴らしいです。でも自分の力を客観的に判断する冷静さも必要です。何も知らないゆえの全能感、という現実をいつかは受け止めましょう。

    頭で考え過ぎる

    自分の頭で考えろ!!人の意見に流されるな!!という意見が多く聞こえてきます。たしかに現代は情報に溢れ、自分の頭で考える力が求められていると思います。しかし土台がないまま考えるのは、あまりに幼稚です。

    行動の前に理由を考える弊害についてイケダハヤトさんも指摘していました。自分も大筋でこの意見に同意です。新人や素人が考える程度の理由より、熟練者やプロの理由のほうが説得力ありますよね?

    基礎基本とは「型」のようなもの。素人経験や憶測で語れるほど浅いものじゃありません。なぜこんな事するの?と立ち止まる前に、とにかくやってみる。自分の考えをこねくり回している時間があれば、少しでも回数を重ねたほうが良いです。

    つべこべ言わずにやる!!ができない

    基礎基本は、ときに退屈だったり地道な繰り返しが必要。2-3日で身に付くようなものを基礎基本とは呼びません。

    ここで「こんな事をやる必要があるの!?」と途中で投げ出してしまう人は、何年たっても基礎基本が身に付きません。上記の「頭で考えすぎる」にも通じます。

    基礎基本を習得するとは、無意識でも同じ判断・行動・動作が出来る状態を指します。
    参考:「基礎が大事」という本当の意味を理解しているか? – 旧・teruyastarはかく語りき

    あれこれと理由をつけて反復を怠っているようでは、何年たっても習得できるわけがありません。無意識に落とし込むのは、そんなに甘いモノじゃない。精神論ですが、つべこべ言わず、四の五の言わずにやれ!!も時には大切です。

    何も考えず、作業として繰り返しているだけ

    「考える前にやれ!」と上で書きました。でもやっている間はちゃんと頭を働かせてください。何も考えずに作業として基礎基本を繰り返しても何も身に付きません。

    この動きで大切な要素は何か?
    この作業でポイントになるのは何か?
    なぜ非効率に見えるこの方法を取り入れているのか?

    表向きの動きや技術を学ぶだけが基礎基本ではありません。ここに内包される「考え方」や「判断基準」も非常に大切なのです。

    素振りを繰り返すのはなぜでしょうか?筋力トレーニングのためだけじゃないですよね。プロのバレリーナもバーレッスンを欠かさずやりますが、単なる準備運動ならあれほど長い時間を掛ける必要はどこにあるのでしょうか?

    「なぜ?」を持ち続けることで、これら基礎基本の本質が浮かび上がってきます。

    すぐに結果を求める

    人は怠けたい生き物。いかに楽をして成果を上げるかというのは、誰しも考えることです。では、基礎基本をすっ飛ばし目立つ結果を求めて行動したらどうなるでしょうか?

    いきなり結果を出す場合もありますが、殆どの場合継続的に結果は出せません。今回は良かったけど、次はどうかわからない。これでは仕事になりませんよね。

    実はこの考え方自体が的外れ。つまり、いきなり結果を求めるのは遠回りで、実は基礎基本を習得するほうが近道なんです。

    一発屋芸人と呼ばれる人達は瞬間的に持ち上げられて、急激に消えていきます。彼らには「一発」を当てる爆発力はありますが、それを継続させる力がなかったのです。

    まとめ

    縄跳び競技の試合で、大半のミスが「前とび」です。3重とびや4重とびを繰り出す世界レベルの大会でも同じこと。では、彼らに前とびの練習が足りていなかったのでしょうか?

    そうじゃありません。彼らに不足していたのは、過酷な環境で乱されても常に同じ動きをするための基礎基本です。

    本番の試合では緊張・不安・観客・審判など、普段の練習とは全く違う環境で演技をする必要があります。しかも失敗が許されない。こうした極限の状態でもミスしない土台こそが、基礎基本そのものなのです。

    下らない、つまらない、面倒くさい、
    そう言っている間にもライバルとの差はどんどん大きくなります。急がば回れ、基礎基本をシッカリ無意識に落としこむことができれば、自然と結果は付いてくるものだと思います。

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  • 純粋な面白さを提供できるか?人は「価値あるモノ」だけを求めるワケじゃない

    純粋な面白さを提供できるか?人は「価値あるモノ」だけを求めるワケじゃない

    Aidan
    Photo by John Morgan

    誰しも「何かを作る」という仕事はありますよね。

    自分の場合は縄跳びの演技を作ること。色んな技を組み合わせて演技を作りますが、実は自分これがすごい苦手なんです。苦手な理由は「いつ作っても陳腐に見える」から。全力で作っているのに、動画を確認すると、どこかありきたり。

    先日「プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術 」を読んで、長年のこの疑問が少し晴れたような気がしました。

    全部乗せはツマラナイという矛盾

    出来る技が増えると、その分色んなことを詰め込みたくなります。誰しも出来る技を披露したいですからね。その上で達成したことを認めてもらいたい。技の詰め込みは上級者になる程に加速する傾向にあります。

    加えて縄跳び演技のルールは「制限時間内にどれだけ難しい技を詰め込めるか」です。つまりは技を詰め込むだけ詰め込む。ただでさえ詰め込みがちな演技が、ルールによって一層ギッシリのコッテコテ演技に進化していきます。

    コテコテに盛り込むのはいちばん簡単。しかし、盛り込めば盛り込むほど焦点がぼけて品もなくなり、魅力は失われていくものです。

    出典:プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術

    悲しいことに、技の数が多くなればなるほど「どこを見れば良いのか?」がボヤケます。

    「10個の大技」より「9個の小技と1個の大技」の方が良い。なぜなら「どこがスゴイか」「どこがスゴクナイか」が観ている方にも伝わるからです。全部が大技だとメリハリがなくどこがスゴイのか分からない。感情を揺さぶるには「落差」が必要なのです。

    俺の演技を見ろ!!は通じない

    同じく陥りがちな「難しい技は盛り上がる」という誤解。残念ながら技の難易度と観客の見たい演技は乖離しやすいもの。難しい技はそれだけ見る人を選び、一般の観客にはその難しさを伝わりません。

    いくら難しい技をやっても見る人に伝わらなければ、演じる側の想いの一方通行で終わってしまいます。

    クリエイティブワークである以上、アーティスティックな感性は必要不可欠だけれども、決してそちらに寄りすぎてはいけない。いわばビジネスと表現の境界線上で、ギリギリのバランスを保つ必要があるのです

    出典:プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術

    ここで言うアーティスティックとは、人の評価を二の次に置き、自己表現に力を注ぐことを指します。難しい技ができる人ほど、この「アーティスティック」な方向に走りやすい傾向にあります。

    こんなに難しい技ができる ⇒ この技には価値がある ⇒ この技ができること、そのものが自己表現だ

    ざっくりとこんな流れでしょうか。こうして演技と観客の溝は一層深まっていくことになります。

    専門家の声だけじゃ、決して溝は埋まらない

    狂言の話なんですけど、あれって、昔は今みたいな文化ではなくて、一般の人たちがお弁当を持って観に来て、あはははって笑って楽しむただの娯楽だったんです。それが、「私たちは狂言をたくさん観てきているからなんでも理解してて、ここはこういうポイントなんです、よく知ってるでしょ?」っていう感じの観客ばっかりになってきちゃったら、もう一般の人は離れていっちゃうんですよ。

    出典:マンガで食えない人の壁 -プロがプロたる所以編-

    狂言は一般大衆の娯楽だったにも関わらず、今は専門家が楽しむものになってしまいました。それは専門家の声が大きく、そこに向けて進歩をしてきことで、一般大衆は置き去りにされ楽しさを見いだせなくなってしまったからです。

    専門的すぎたり難易度の高すぎる技は、往々にして観客を置いてけぼりにします。加えて試合会場は選手や関係者ばかり集まる玄人集団。ここは明らかに一般社会とはズレた場所であり、試合会場で盛り上がり評価されることがよそでも評価されるとは限りません。

    テクニックだとかオシャレだとかいうのを見せても、一般的なお客さんは、面白いって思わないですよ。純粋な面白さがないと、「マンガってもう面白くないな」って見限られちゃう。

    出典:マンガで食えない人の壁 -プロがプロたる所以編-

    演技の純粋な面白さとはなんなのか・・・ありきたりですが、専門だからこそ耳が痛い。

    「自分の演技がツマラナイ!!」と感じてしまったのは、こうし専門家としての自分の声を大きくし過ぎたのが原因だったようです。そりゃ夢中で10年もやっていれば習慣や癖もこびり付きますよ。

    少しずつ、自分という専門家の声ではなく、ステージから受け取る観客の声に耳を傾けて行きたいものです。

  • 「底力くん」に会いに行くなら、覚悟して付き合った方がいい

    「底力くん」に会いに行くなら、覚悟して付き合った方がいい

    吉本天然素材やAKB48を世に送り出した「夏まゆみ」さんをご存知でしょうか?

    彼女は人を育てる振付師として有名な方です。そんな夏さんが世に送り出したエース達が出会っている「底力くん」について著書の中で触れています。

    自分に底力があることを知らなければ、「どうせやってもムダだろう」とチャレンジする前からあきらめてしまったり、「いまでも十分頑張っている」と限界より前のレベルで満足してしまったりしがちです。つまり、自分に自信が持てずに足踏みしてしまうのです。それではエースとして輝くことはもちろん、自分の力を十分に発揮することはできません。

    だから、まずは自分の「底力くん」を知ること!
    そうすればあなたは現在よりもっともっと「本気の力」を出せる人になるのです。

    出典:エースと呼ばれる人は何をしているのか

    限界まで努力をした人にしか会えない底力の存在。底力くんにあったことのある人は、ここまで出来るんだ!と自信を持つことが出来るといいます。

    底力くんの存在は大切です。しかし安易にお目に掛かると実は危険です。

    羽生結弦の転倒事故

    先日、フィギュアスケートの羽生結弦選手が練習中に不慮の怪我を負いました。衝突直後こそその場にうずくまったものの、スグに立ち上がり本番の演技もやり遂げたというやつです。

    トップアスリート達はほぼ間違いなく底力くんに会ったことがあります。そして底力くんは時に生命の危険すら顧みないほどに、自身を突き動かしてしまします。

    この舞台にたつためにどれだけ頑張ったか、多くの人の期待に応えたい、ファンの人を悲しませたくない・・・アスリートの底力くんは並大抵のものじゃない。たとえ本番前に脳震盪を起こそうが関係ありません。

    ときに、底力くんは暴走する

    アスリートに限ったことじゃありません。以前テレビ番組の「痛快!生きざま大辞典」という番組で落語家の「桂枝雀」さんの特集をしていました。彼はストイックの典型例のような人で、自身の身体を顧みずに笑いに人生を捧げたといいます。

    「ストイックに自分を追い込んでいかないと、本当の名人の域にはいけないんだな、と感じる。僕は、自分が無理だと思うときは、どこかで冷静。本当に無理なら無理だという自分はいない」と語った。

    出典:笑わせて笑わせて桂枝雀

    [林先生の「痛快!生きざま大辞典」 (2014年9月2日放送回) ]の番組概要ページ – gooテレビ番組(関東版)

    命がけは何も物理的に危険なだけじゃありません。精神を追い込むストイックさも十分に命を危険に晒す行為なのです。

    底力くんは取り扱い注意

    1つのことに限界までチャレンジしなければ、底力くんに会うことはないでしょう。しかしごく一部に「底力くんを暴走させてしまう人」がいるのも事実です。

    それはアスリートに限らず、物事に夢中になる人、そして責任感を持つ人。彼らは底力くんの暴走させやすい。そんな人が安易に底力くんを呼び起こし利用するのは命を削る危険があります。

    かく言う自分も底力くんを暴走させてしまった一人。今回の膝の怪我も、本来ならもっと早く休むべきでした。しかしステージに立つ事、その責任や周囲への迷惑を考え、底力くんを暴走させてしまったのです。

    冷静に考えると、普通に歩くこともままならない状態まで追い込んだなんて、正気の沙汰ではありません。

    まとめ

    Exhausted

    底力くんを目覚めさればとんでもない力を発揮できます。本人も驚く成果を出すことしょう。しかしそれはあくまで「ちょっと無理をした状態」だと忘れてはいけません。無理が常態化すれば遠くない未来、必ずどこかにガタが出まず。

    「死ぬ程頑張って死んだ人は居ない」とは言いますが、本当に死ぬほどやってしまう人だって居るんです。

    経験として底力くんと一度会ってみるのはいいでしょう。
    しかし底力くんは諸刃の剣。出会ってからも付き合い方に注意しましょう。

  • 努力を無駄にしないために:敗れた夢を将来に活かす5つのコツ

    努力を無駄にしないために:敗れた夢を将来に活かす5つのコツ

    http://www.flickr.com/photos/66576488@N00/449574090
    photo by Or Hiltch

    現実社会では、努力が結果や夢に結びつかない事が山ほどあります。

    では夢に費やした時間までもが無駄になるのでしょうか?そんなことありません。費やした時間は活かすことが出来ます。今回は、今まさに努力を重ねている人、夢に敗れた人が過去の努力を無駄にしないための方法を紹介したいと思います。

    興味のアンテナを張る

    漫画家の手塚治虫さんは、こんな言葉を残したそうです。

    夢は二つ以上持ってください
    僕も漫画家と医者という
    二つの夢を持っていました
    夢が一つしかないと
    その夢が破れた時挫折してしまう
    でも二つ以上夢があれば
    そうはならないでしょ

    by 手塚 治虫 (漫画家)

    ちなみに彼自身、医者と漫画家の2つの夢を持ってました。

    ただ保険を掛けているだけでしょうか?いいえ、これは興味のアンテナを広げているから出来ることだと思います。自分の興味の範囲を限定しないで、面白いそう!と思えるモノを常に収集する。こうすれば、たとえ1つの夢に敗れてもすーっと次の夢に挑戦を始めることが出来ます。

    今はこの夢を追いかけてるけど、いつかこっちもやりたい!!ぐらい、貪欲に夢を探しても良いのではないでしょうか?

    経過を記録しておく

    夢中になっている時は「俺って最強じゃね?」と思えるほど、何でも出来るような気がします。この全能感も大切なのですが、どこかで鼻っ柱をへし折られる時が来ます。その時に自分を見つめるヒントになるのが「過去の記録」です。

    参考記事:考える力でシルクドソレイユにすら行き着く:夢をつかむ『メモ帳』の習慣

    ここでポイントなのは「活動」の記録ではなく「思考」の記録を残すこと。行動は思考から生まれます。つまり思考の経過を振り返ることで、行動の修正ができるようになるのです。

    またメモ帳に記録を残すときは「○○年◯月◯日」といった日付も一緒に書きましょう。残酷ですが、こんな長い期間努力したけどダメだったんだ…と、諦めるかどうを判断する材料にもなります。

    叶わないと思ったら潔く諦める

    シンドイですが、諦めることから逃れてはいけません。無理だ!と思ったら潔く諦める。○○までに出来なかったら諦める、という制限期間を設けてもいいでしょう。

    自分もラ・ヌーバでキャラクター*1になる夢を諦めました。キャラクターになるために7ヶ月間のアクロバット練習に取り組んだり、Balto*2に指導を頼み込んでキャラクターオーディションを受けたり。でも結局ラ・ヌーバのキャラクターにはなれず、5年間の夢を諦めました。

    ▶関連記事:
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    『あきらめたら、そこで試合終了ですよ?』の落とし穴
    シルクドソレイユの中で5年間追い続けた『夢』を諦めることにした

    過去記事でも触れていますがアクロバット技術の無さ、ソリストという条件の悪さを考えたら仕方なかった。これ以上努力を続けても夢に近付くことは出来ないんだと悟り、潔く諦めることにしました。

    悔しさをきちんと爆発させておく

    諦めるのは簡単じゃありません。

    人は弱いもので、どこかでまだ可能性があるのでは?と思いたくなるのが人情。あと少しで成功できるかも?もう1年だけ頑張れば芽が出るかも?という気持ちも十分にわかります。しかしココで引きずってしまうと、ズルズルと惰性で努力を続けることになります。

    ここはあえて、全力で悔しがりましょう。泣き崩れても、のた打ち回っても良いです。ともかく「夢に敗れた!!」という感情を爆発させておく。諦める決断をしたからには、相応の理由があるはず。先の見えない可能性を追い掛けるよりも、全力で悔しがって吹っ切るほうが建設的です。

    頑張った自分を認める

    昔、島田紳助さんがテレビで「努力をする筋力」という表現をされていました。筋トレと同じく集中して努力するのにもトレーニングが必要という意味です。

    自分もこの考え方には賛成で「続ける」というのは精神的な筋力が必要。何をしても続かない人は努力をする筋力が弱いのです。また苦労せずに成功した人は、つまずくと再起が難しい。これも努力の筋力がない状態で登ってしまったゆえの不幸だと言えるでしょう。

    仮にあなたが1つの夢に敗れたとしても、努力の筋力は確実に向上しているはず。その事実に自信を持ちましょう。

    まとめ

    夢が叶えばそれに越したことはありません。しかし現実には夢に敗れる事の方が多いのではないでしょうか。だからといって「もう良いよ」と自暴自棄になるのは勿体無い。それこそ今までの努力を無駄にしてしまいます。

    過去の努力を活かし次の夢に繋げていきましょう。
    1つぐらい夢を諦めても、あなたの人生を諦めてはいけません。

    *1:ショーの中心的な役割をするアーティスト。表現の要素が強くクラウンに近い存在

    *2:元ラ・ヌーバのクラウン。自分にクラウニングの基礎を教えてくれた師匠

  • 努力すれば夢は叶う!!とは言いたくない理由

    努力すれば夢は叶う!!とは言いたくない理由

    夢を叶えるのに努力は必要だと言われています。

    きっと成功した人々は努力をしてその地位を確立したことでしょう。努力をしなければ、おそらく夢は叶わないと思います。でも一方で、努力をすれば夢が叶うとはどうしても言いたくありません。

    随分前に友人とこの動画の話をしました。

    努力をしなかった?

    話をしていた友人はあるジャンルでトップまで上り詰めた人です。何千人、何万人のライバルと凌ぎを削りながら今の地位を確立した人です。

    自分も競技時代は死ぬほど練習しました。世界中のライバルに勝つために日々練習を重ね、実績も残しシルクドソレイユのステージにも立つことが出来ました。

    自分達はCMに出ていた「最後の1人」だった、のかもしれません。だからこそ努力だけでは夢は叶わないのが痛い程わかるのです。

    ★★

    世界で戦うために激しい練習をしました。でもその練習をしたのは自分だけじゃありません。一緒に練習した仲間も同じように苦楽を共にしました。彼らだって死ぬほど努力をしていた。それをいつも一番間近で見ていたのです。

    それでも勝負の世界は順位が決まる。自分が1位なら相手は2位。ここに努力の差がどのぐらいあったのか?そんなもの殆ど無かったように思います。

    仕事のポジションにしても同じこと。いまこうしてシルクドソレイユのステージに立っていますが、これは他のライバル達よりも努力をしたからじゃありません。周りのだって、メチャクチャ練習して、びっくりするほど努力していたのです。

    なのに結果は変わってしまう。
    ある人は大会で優勝し、ある人は仕事でポジションを獲得する。

    人間の能力っていうのは、ある程度まではみんな同じところまで伸ばせるんです。そこから、薄皮一枚分だけ突き抜けた人が、天才と呼ばれる。これが、スポーツ競技などの競争の激しい分野での天才の定義。

    参照:ニコニコ哲学-川上量生の胸のうち

    ライバル達だって必死で努力していました。努力で夢が叶った、と安直に言ってしまうと共に凌ぎを削ったライバル達の頑張りを否定してしたように思えるのです。

    変えられる事、変えられない事

    Dream #2
    Photo byArio Reale

    同じ努力を重ねても全員が一番にはなれません。競技ルールに泣かされることもあるでしょう。あなたの意見の届かない所で理不尽な意思決定をされることもあるでしょう。

    自分ではどうにもできないことに対して、ジタバタしてもしょうがない。だけど、自分の努力で変えられることがあるなら、どんどん行動していけばいいんだ

    参照:がんばらなくていいんだよ

    たった数センチの身長差、たった2点の点数差、、、どうしても「運」や「タイミング」といった理屈では説明できない要素が含まれてしまうのが現実世界。

    こうした理不尽にジタバタせず、自分の努力で変えられる事に挑戦し続けるのが夢を叶える方法だと思います。

  • シルクドソレイユのアーティストに学ぶ「いつか失う」を受け入れた生き方

    シルクドソレイユのアーティストに学ぶ「いつか失う」を受け入れた生き方

    ある時、1人のアーティストが涙を流していました。

    不安な顔で「平衡感覚が悪くてまっすぐ歩けない」とフィジオ*1に伝えています。彼女はアクロバット専門。40歳を過ぎても現役を続けてきたベテランです。

    この仕事は年を重ねるごとに『いつまで?』という恐怖との戦いが顕著になります。

    自明のことですが運動系のパフォーマンスには年齢的な限界があります。何歳まで出来るかは誰にもわかりません。しかしアーティストはどこかで、自分は永久に仕事ができるのでは?と勘違いしたい生き物なのです。

    http://www.flickr.com/photos/23791504@N08/3047794519
    photo by alpha du centaure

    技を失う事はアイデンティティ喪失に近い

    アーティストの技能は一朝一夕で身に付くものではありません。長い年月をかけてトレーニングを重ねた結果、人間離れした技を身に付けます。中には3歳、4歳から競技を始めた人も多く、子供から青春時代まで練習に費やしてきたからこそ世界レベルに到達できたとも言えるでしょう。

    しかしいくら世界レベルとは言え身体的な限界は存在します。競技から引退した段階で既に20歳〜25歳。ステージに立つ頃にはアスリートとしてはピークは過ぎている人も少なくありません。

    そしてここから恐ろしい衰えが始まります。

    最初の身体ターニングポイントは25歳と言われています。長年のトレーニングの代償を払う時がやってくるのです。

    ただ体力があるうちはエクササイズやケアで身体を維持できます。問題は次のターニングポイント35歳。ついに「技」の喪失が始まります。

    ある日突然、技が出来なくなるのです。身体の衰え、感覚の喪失が主な原因だと言われています。たとえば大技の三回宙返りが出来ないアーティストが30歳前後で増え始め、これをキッカケに喪失の岐路に立たされます。

    これが本当に怖い。

    気持ちは同じで身体と感覚だけが鈍っていく。あれだけ簡単に出来た技が出来なくなる虚しさは計り知れません。しかも技を失えば、また1つステージからの引退へと歩みを進めることになる。いま出来るこの技も、いつ出来なくなるのか・・・そしてその次は・・・・こうした恐怖と戦い続ける日々が始まるのです。

    ★★

    人生において1つのことに専心してきたアーティストにとっては、これは死刑宣告にも近い残酷な現実です。引退しても運良くコーチとして仕事を得られる人も居ますが、そう働き口が多くない。では何をしたらいいのか、、、そう思う間にも容赦なく時間は過ぎていき、気付けばまた1つ技を失う。。。

    先ほど上げたアーティストは平衡感覚が悪くなっただけで涙を流しました。大袈裟にも聞こえますが、こうした恐怖と不安ゆえの涙だったのだと思います。

    アーティストはこうした悩みを抱え、来るべき日が永久に来ないこと心で願いながら、今日も笑顔でステージに立つのです。

    まとめ

    あなたにも長い年月を費やして身に付けた専門性はありますか?お金も時間も労力も費やして身につけた技術や知識。その『能力』は果たしていつまで使えるでしょうか?

    時代とともに求められる仕事は変化していますし、今年使えた能力が10年後に使えるかは不明です。また別の能力を身につける必要があるかもしれません。もちろんアーティストの能力と違い「確実に」使えなくなるとは限りませんが。

    ちなみにアーティストはどこかで割り切ってます。心では永久の技術を望みながら、来るべき時の事を理解しているのです。

    ある人は大学院の芸術専攻を修了しました。ある人は「ピラティス」の資格を取得し、個人で教室を開催しています。またある人は別の才能を開花させるべく、演劇のスタジオに通っています。

    むしろ「失う日が必ず来る」と受け入れているからこそ、別の事にチャレンジする動機になるのかもしれません。

    「出来るor出来ない」のようなわかりやすい時限付きではないかもしれません。しかし『いつまでも能力が使える』という発想はアーティストならずとも危ない考え方かもしれません。

    *1:シルクドソレイユ専属のアスレティックトレーナー。リハビリやケアをしてくれる人々

  • プロが練習をしすぎてはいけない。勝負は練習じゃなく本番で決まる。

    プロが練習をしすぎてはいけない。勝負は練習じゃなく本番で決まる。

    School Gym Jump Ropes

    photo by Steve Snodgrass

    今ココに、「できるだけ練習をしないこと」を誓いたいと思います。

    自分の練習とは縄跳びを跳ぶこと。これまで技術を維持・向上させるために練習をしてきました。プロとして練習を減らすのは怠けであるとすら思っていました。

    しかし今回怪我をして気づきました。
    盲目的に練習をするのはプロとして失格なのかも知れません。

    成長は上達するほどに緩やかになる

    もちろん全ての練習が大切じゃないわけじゃありません。特に初心者のうちは四の五の言わずにやり込むのが大切な時期です。やればやっただけ上達し、量をこなすことで得られる技術があるのも事実。

    技術・時間は以下の図のような関係にあります。

    <技術>
    f:id:shoichikasuo:20141219051552p:image:w400<時間>

    (※)タテが技術、ヨコが時間

    最初のうちはやっただけグイグイ伸びていきますが、一定まで成長すると曲線が緩やかになる。次第に成長があまり分からないレベルなのに膨大な時間が必要な状態に落ち着きます。

    練習自体が楽しい!は赤信号

    上記の図にあるように、初心者は量をこなす事が必要でしょう。やっただけ成長が見込めます。しかしプロが盲目的に練習に取り組むのは「時間と身体の浪費」に繋がる恐れがあります。

    練習をするというのは体を動かすこと。これは多少なり身体にダメージを与えます。もちろんマッサージやストレッチでダメージを軽減することはできるでしょう。しかし僅かであってもダメージは確実に蓄積します。つまり練習は身体へのダメージと時間を引き換えに行う活動とも言えます。

    こう考えていくと、無意味な練習は得策でないことがわかってきます。

    ところが運動そのものが好きというのが、また厄介。なぜなら練習自体を目的にしてしまう恐れがあるからです。練習をする目的は練習をするため。こうなると練習成果や本来の目的を失い、ただ楽しさを得るために練習をしていることになります。

    何かを達成するために行う活動を「手段」と言います。一方で、行為それ自体を行うのが目的になることを「遊び」と言います。遊びは楽しいものです。しかし「楽しい」だけで貴重な身体と時間と浪費するのはプロとして好ましくありません。

    「●◯しているだけで楽しい。」は大切なようで最も気をつけるべき落とし穴です。

    まとめ

    練習は今でも楽しいです。なぜなら縄跳び自体が目的になっていたから。

    仮に自分が縄跳びを「遊び」としてやるのであれば問題無いでしょう。しかしプロは結果が求められます。しかも求められるのは技術的な上手さだけではありません。どう技術を活かすかなのです。

    アーティストはステージに立ち観客に良い演技を届けることが求められます。怪我をすれば責任は果たせず、監督に求められた演技ができなければ仕事を失うことになります。

    練習を続ければ青天井に上達するように感じます。これもまた1つの取り組み方でしょう。しかしプロである以上はステージに立つのが仕事の本質。本質を忘れてまで練習に打ち込み過ぎるのは本末転倒です。

    と、改めて反省しています。

  • 考える力でシルクドソレイユにすら行き着く:夢をつかむ『メモ帳』の習慣

    考える力でシルクドソレイユにすら行き着く:夢をつかむ『メモ帳』の習慣

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    高校生のとき、メモ帳を持ち歩くようになりました。

    キッカケは師匠に「メモ帳を持ち歩くと良い」と言われたこと。何でも良いから忘れないうちにメモしておけ、と教えられて何となく持ち始めたのが始まりでした。

    メモ帳の名前は「Rope Skipping」。縄跳びを始めて以来ずーっと書き続け、つい先日通算20冊を超えました。

    Rope Skippingは単なる練習ノートや日記ではありません。ここには、これまでの思考の痕跡が記されています。今回は自分が12年間続けてきた「文字を書く思考方法」について紹介したいと思います。

    文字で確認しながら思考を進める

    自分はどうも頭だけで物事を考えるのが苦手でした。なぜなら途中で思考していることを忘れちゃうから。いや正確には思考中にもフト別のことを思いついて思考がどっかに遊びに行っちゃうかから。文字という形で具現化していかないと、思考はあっちこちに広がっていくばかりで何にも結論が出ないまま終わってしまうんです。

    いま良い感じのことを思いついたんだけど、、、でもこっちも閃いて。。。あれ、さっき何考えてたっけ?

    何とか考えをまとめようとする頃には、既に別事を考えていたり最初の考えを忘れていたり。結局は上手くまとめられず、思考全体を放棄してしまうのがオチです。だからメモ帳に「文字」として書き連ねながら考えることにしました。

    何について考えるかを具体的にする

    考える題材も思考が散乱しないように注意しています。ところで何を考えてたんだっけ?では意味がありません。

    そのために「より狭くピンポイントで何を考えるか?」を意識して書き始めるようにしています。例えば「パフォーマンスについて」を考えるとしましょう。でも、パフォーマンスの何を考えるかがハッキリしないと、思考は何処にも向かえません。なので「自分がメインじゃない場面での首の向きについて」のようにより明確かつハッキリと題材を決めるように心掛けます。

    (※)需要があればどんな風にメモ帳に記しているか、いずれ紹介しようと思います。

    ちなみに、これまで書き連ねたメモ帳を見返すことは殆どありません。頻度にして年に一回、大掃除で棚を整理してる時ぐらいです。なぜならこのメモ帳は日記ではなく、日々の思考の痕跡だからです。いわば自分が思考行程を文字を使って整理してきた残骸のようなもの。ある程度思考がまとまったモノは、読み返さなくてもしっかりと記憶に定着しているものです。なので読み返す必要がなくなりました。

    考える力は訓練できる

    競技時代から今でも色んな考えてきました。もしかしたらメモ帳を使うことで「考えるクセ」が出来たのかもしれません。

    でもメモ帳を使って文字で考えるまでは「何かを考えているつもり」だったと思います。なぜなら何を考えたかを殆ど覚えていない。頭の中だけで完結した考える活動は、何も定着せずにどこかに飛び去っていきました。

    最初から頭だけで考えられる人はホンの一握り。しかしどんな人でも練習を積めば考える力は上達すると思うのです。メモ帳「RopeSkipping」を記し続けたことは、間違いなく今の自分に影響を与えました。

    f:id:shoichikasuo:20141216224533j:image:w250 f:id:shoichikasuo:20141216224356j:image:w250
    (※)2010年に渡米してからのRopeSkipping達。現在9冊目。

    メモ帳とペン、最強説

    スマホやタブレットでも文字を打つことはできますが、図表や線などの自由度ではメモ帳とペンには敵いません。充電の必要もないし重さは・・・メモ帳1冊で数十グラム。手書きで融通が効く、いつでもどこでも使えるからこそ、思考を連ねるの適しています。

    余談ですがメモ帳を1冊書き終えた達成感は心地よいものです。真新しい紙が徐々に使い古されていく感じ。そしていよいよページが残り僅かになった時、次のメモ帳を文房具屋さんに選びに行くのも楽しみの一つ。

    メモ帳思考法で自分もいくつかの夢を掴みました。今こうしてステージに立てているのも「考える力」を養えたからかもしれません。

    あなたも、メモ帳とペンを使って考えてみませんか?

  • 観客を惹きつける「ステージの重心」という考え方

    観客を惹きつける「ステージの重心」という考え方

    パフォーマンス中、観客の視線は常に移動します。

    こっちでダンスを、次はこっちでバク転を…
    こんな具合に1つの場所に視線が集中し続けることはなく、常にと言っていいほど動き回っています。

    では観客の視線が集まるのはどのような場所でしょうか?このステージ上で観客の視線が集中する場所を「ステージの重心」と表現します。このステージの重心は飽きない演技を創る上でとても重要な概念。人は僅か数分でも「飽きる生き物」だからです。

    そこで今回は、ステージの重心の動き方、意図的な操作テクニックの一部を紹介します。

    視線は目立つ所にいく

    まずは下の写真を見てください。

    f:id:shoichikasuo:20141205130706j:plain

    あなたはどこに視線が行きましたか?
    きっと右から二番目のカップに行ったと思いますが、何故ですか?

    そう、右から二番目のカップだけ見た目が違うのです。他の4つは折り目があるのに1つだけ無い。目立つのです。これと似たような現象がステージ上では頻繁に起こっています。

    ステージの重心は後ろに流れやすい

    しかし良い目立ち方だけではありません。
    たとえば次の写真だと、あなたはどこに視線が行きますか?

    f:id:shoichikasuo:20141205125600j:plain

    これはダブルダッチの演技を想定した4つのカップです。センターに居るのがターナー、ジャンパー、そしてもう1人は何もなく立っている。

    さてどこに視線が移動しましたか?
    最初は前の方に居た視線が、気づくと何もしていない人に動きませんか?

    これも最初の「目立つ」と同じ原理で、ターナーもジャンパーも真剣に跳んでいるのに、後ろの方で何もしていない人が居ると、すーーっと重心が動いてしまいます。

    しかも目立つ人が後ろに居るのが良くない。なぜならステージの重心は後ろへと移りやいのです。コメディの定石にも「前にいる人を後ろで茶化す」というのがあるぐらい、後ろが僅かでも目立つとあっという間に重心が移動してしまいます。

    ステージの重心を意図的に動かす

    では反対にステージの重心を意図的に操る方法を紹介します。
    次の写真を連続で見てください。

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    f:id:shoichikasuo:20141205130517j:plain

    いかがですか?あなたの視線も動きましたか?

    最初の写真では4人の視線がこちらを見ています。ステージの重心はこの4人にあります。そして後ろの1人も4人の方を向いています。

    次の瞬間、一斉に4人が後ろの1人に視線を飛ばす。同時に後ろの1人がこちらを見ている。この瞬間に視線が後ろの1人に一気に集中する、つまりステージの重心が移動したのです。

    人は集団が1つの対象を見つめているとその対象が気になります。すると視線が動くのです。このように集団が視線を集めることで、意図的にステージの重心を生み出すことが出来ます。

    このようにステージ上の視線を意識することで、重心を意図的に操ることが出来ます。

    ステージの重心が動かない=飽きる

    ステージの重心の移動は「飽きさせない」ために重要になります。人は1つの対象をずーっと観ていることが出来ません。飽きるからです。

    これはステージでも同じこと。

    ステージの重心が動かないパフォーマンスとは、1点を見つめ続けさせるのと同じなのです。いくら技を組み込んでも変化が感じづらい。すると観客の視線はあちこちに散っていき、本当に見せたいポイントや演技を見てもらえなくなります。

    演技中、無駄に照明や音響機材、パフォーマンスに関係ないものに目線がいくことはありませんか?

    まとめ

    f:id:shoichikasuo:20141205130744j:plain

    人は自分が見たいものを見ます。
    一方でそれはパフォーマー側から仕掛けることも出来るます。

    ステージの重心はそのテクニックの1つ。重心がどこにあるかを意識すると、観客があなたの演技のどこを観ているかを推し量ることができます。

    ところが、観客の視線を無視した演技は「後ろにあった照明器具」に負けてしまう。

    せっかくなら観客に楽しんでもらいたいのがパフォーマー。次にパフォーマンスを創る時は是非「ステージの重心」を意識してみてください。