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  • 『何を言うかではなく、何を言わないか』物事を教える時に考えたい相手との距離感

    『何を言うかではなく、何を言わないか』物事を教える時に考えたい相手との距離感

    connected.
    Photo By Heather

    縄跳びを教えると言えば二重跳びや交差とびといった技を教えること。小学校やなわとび教室で自分たちに求められたのは「効率的に技術を習得するためのノウハウ」でした。

    たしかに授業や趣味として縄跳びに取り組む場合には、こうした「表面的なエッセンスだけ」でいいでしょう。学習のモチベーションを維持する意味でもエッセンスは重要です。

    しかしこれは表面的なエッセンスでしかありません。なぜなら彼らに「考えるプロセス」を伝えられていないからです。

    教えることとは技術の継承・伝達ではない

    上記の場合だと与えられた道に乗っかっているだけで、誰かが道筋を与えてくれなければどこにも進むことが出来ません。

    加えて「誰も教えてくれないから何も出来ない」と言い出す。

    トップの中にもこうした選手をたまに見かけますが、この状態でトップに居るのは極めて脆弱であると言わざるを得ません。

    技術を伝承するということは、技術そのままを継承するのではなく、発展させることが大切なのだ。「技術を開拓するアプローチの『回路』をどれだけ多く創るか」「どのようなアイディアが閃くか」までも含まれるということがおわかりいただけるだろう。

    出典:超える力 室伏広治著

    考える力がなければ、自ら生み出せない

    特定の種目てトップに居るとしても、コーチの献身的な擁護のおかげなのと「自力」でトップまで上り詰めたのでは大きく意味が違います。

    自身の判断の元でコーチの指導を仰ぐのは自力です。ここに判断があるからです。一方で判断を含めた全てをコーチに委ねてしまっているのは他力本願です。

    あなたが前者だった場合、そのコーチの元を離れても競技力を維持できる自信はありますか?

    教える側の功罪

    これは何も選手側だけの問題だけでありません。教える側が「考える力」を育てられなかった責任でもあるのです。問題の背景には「教えすぎ」という指導者の陥り易いミスが横たわっています。

    ある一定のレベルまできたら、手取り足取り教えるだけでは、飼い犬を育てるのと同じで主人の言いなりのままでしかなく、指導者の技術以上のものは身につかないと思う。

    出典:超える力 室伏広治著

    初心者のうちは「型」や「基礎」が重要になるので手取り足取りでも仕方ありません。しかしいつまでもお世話しすぎるのは、いかがなものでしょうか?

    選手の将来を一番考えているのはコーチである、と断言するのは良いですが、それって不健全な状況だと思いませんか?

    だって選手自身の将来を一番考えるべきは、他の誰の人生でもない選手自身のハズです。にも関わらずコーチが人生を背負ったかのように思考停止に追いやり、選手が考える機会を奪ってしまうのは不健全ではないでしょうか。

    「何を言うかではなく、何を言わないか」という言葉の真意は、コーチが何を言うかではなくて、ハンマー投をしている本人が自分で気づくまでは身につくものも身につかない、ということなのだろう。

    出典:超える力 室伏広治著

    教えるとは、自分以上の器にすること

    熱心な指導者ほど多くの助言を与えます。最初の内に競技力を効率よく伸ばすには必要なことでしょう。「守破離」で言うところの「守」の部分にあたります。

    しかし選手生命は長く、人生はそれ以上に長い。コーチの一存にばかり沿ってきた選手は自ら選択する力を失い、無意識の内に考えることすら放棄してしまうのです。

    父はよく、指導をする際に「何を言うかではなく、何を言わないか」が重要だという言い方をする。一定の距離感を持って、静観し、待つ。そして選手から聞かれたら、すべての疑問に答えられるように準備をしておく。

    出典:超える力 室伏広治著

    指導者の役割は、自分の器以上のものに高めること。野生の動物を育てるように、型にはめずにどうしたら伸びるか、技術向上のヒントを教えるのが重要だ」と父は言う。

    出典:超える力 室伏広治著

    教える・教わるの関係には上下が生まれやすい。とかく先輩やコーチの言葉は、金言のように教わる側に届いてしまう可能性が高い。

    右に進ませたい時に「右に進め」と言うのは簡単です。しかし指導者に求められるのは、選手自身が「右に進んだほうが良いんだ!」と気付き得らるように持っていく力だと思います。

  • オーランドの韓国料理なら『Bee Won』がオススメ。美味しい石焼ビビンバも!!

    オーランドの韓国料理なら『Bee Won』がオススメ。美味しい石焼ビビンバも!!

    日本食も美味しいですが、たまには他のアジア料理も食べたくなることありませんか?

    オーランドにはアジア料理店がいくつかありますが、今回紹介するのは韓国料理のお店「Bee Won」。このお店は現地の韓国人や日本人も多く通うお店で、つい最近リニューアルオープンしたばかり。

    日本料理は自分で作ることも出来ますが、韓国料理はやっぱり本場の人が作るやつが美味しいんですよね。石焼ビビンバ好きの自分的に、ぜひオススメしたいお店です。

    数少ないビビンバが食べられる店

    お店の名前は「Bee Won」。場所はDr phillipsとConroyの交差点、ちょうどFresh Marketのあるところ。交差点から入って少し奥に進むとお店があります。

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    お目当ての石焼ビビンバはこんな感じ。しっかりと石の器に入った熱々が出てきます。

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    いや別にビビンバってそこまで手の込んだ料理じゃないかもしれません。でも乘ってる具材や器で随分と味が変わると思うんです。ここの具材のチョイスは自分的に抜群。中央の目玉焼きとか、もはやセンスすら感じさせます。

    あと器が中途半端な熱さだとお焦げが出来ません。格別お焦げ大好きではないんですが、まったく出来ないのはなにか者寂しい。ほんのり茶色がかったお米が出てきた時は、人知れず小躍りしたくなります。

    しっかり韓国料理

    オーランドにも現地人が適当にやってるアジア料理店って多いんですよ。韓国料理と見て入ったのに、まったくの別物が登場した時の脱力感と言ったら・・・。その点このBee Wonはちゃんとしてます。こんな感じで小皿がブワーって出てくるあたり韓国っぽくないですか?

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    他にもカルビはとこんな感じのプレートに乗った状態で出てきます。

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    ビビンバ好きなので他の料理はあまり頼んだことがありませんが、クッパやサムゲタン、焼き肉なんかもできるようです。詳しくはこちらのメニューから探してみてください。

    やや高め、忙しい時間は少し待つ

    まぁでも、これだけちゃんとした韓国料理を出してくれるので、値段はそれなりに高くなります。ランチで1人15〜20ドル、ディナーだと50ドルは覚悟しましょう。マッコリのような韓国のお酒もありますが、調子に乗ると値段が一層かさむかも。

    それでもマッコリ・・・美味しいですよねぇ・・・。

    そうそう、いい時間に行くと混んでることが多いです。特にディナーは10-20分の待ち時間は覚悟したほうがいいでしょう。個人的にはランチのお客が引いた13;30頃に行くのがオススメ。日によっては混んでいますが、過去2回は並ばずに席に座れました。

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    (※)営業時間

    まとめ

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    今でも月に数回ほどBee Wonにランチをしに行きます。オーランドでも数少ない美味しいビビンバを食べられるお店ですからね。少々値がはっても美味しい韓国料理を食べたい。そんな人にはオススメのお店です。

    あ、でもマッコリやお酒の頼み過ぎには注意ですよ!

  • 「三重跳び」をする小学3年生:子供のヤル気をマネジメントする「ジャンプ台」の戦略

    「三重跳び」をする小学3年生:子供のヤル気をマネジメントする「ジャンプ台」の戦略

    う -縄と日-

    あなたは「三重跳び」できますか?

    過去に全国の小学校を訪問してきましたが、高学年であっても三重跳びを跳べる人は数えるほどでした。

    先生を始め、大人ですら跳ぶのが難しい三重跳び。しかし都内某所に3年生の女の子が軽々と三重跳びを跳んでいる学校がありました。しかもその子が特別なわけではなく、クラスの半分ぐらいの子たちが三重跳びを習得している。この子は三重の中に交差を混ぜるのはどうすればいいのか?という、前代未聞のハイレベルな質問を投げてきました。

    この小学校の取り組み方には、子供が自ら率先して上達していくシステムが垣間見えました。

    二種類のカードを使用

    初めにこの小学校でどのような取り組みをしていたかを紹介します。

    まずは他の小学校でも広く取り入れられている「縄跳びカード」を使っていました。前とびから始まり、交差とびや二重跳びといった技が羅列されている、ごく有り触れたなわとびカードです。

    ただこのカードは二種類あって、1つが「地面用」もう1つが「ジャンプ台用」と記されています。

    記載されている技は「ジャンプ台用」の方が圧倒的にハイレベル。何しろ二重跳びが一番最初に来ているのです。イの一番で二重跳びが課題になっているなわとびカードは、この小学校以外で見たことがありません。

    そして最高レベルにあるのは四重跳び。1回のジャンプで4回も縄を回す技です。こんなのできる小学生が居るの?と疑問でしたが、高学年になれば半分ぐらいの子が達成するようです。

    ジャンプ台とは何か?

    ではジャンプ台とは一体なんなのでしょうか?ひとことで言えば跳ねる床です。べニア板の両端に枕木を添え、その中央でジャンプをすることで板の「しなり」を貰い通常より高いジャンプができます。

    アシックスから公式ジャンプ台なるものが販売されてます。


    ★足首の捻挫防止と予防♪縄跳びが楽しくなる!!★アシックス JNF公認 高弾性トビナワジャンピン…

    ただジャンプ台となると大きいモノなので、家庭でしたらミニトランポリンでも代用できます。


    PURE RISE(ピュアライズ) トランポリン 折りたたみ式 子ども 大人 エクササイズ 102cm ブルー

    3年生で三重跳びを跳ぶ、その異常なハイレベルさ

    「地面用」のカードもハイレベル。最初こそ前とびから始まりますが、最後には三重跳びのハヤブサが登場します。小学生でここまでやらせる学校は見たことがありません。

    国際大会レベルの選手でも三重跳びのハヤブサを流暢に出来る選手はごくわずか。日本の選手以外ではほとんど見かけません。世界的に見ても異常なまでハイレベルなんですよ。

    それでも子供たちはあっという間に課題をクリアしていく。先ほど紹介したように3年生で三重跳びのハヤブサにチャレンジしてしまう子まで登場します。

    繰り返しますが地面ですよ?ジャンプ台の上ではありません。

    ジャンプ台で出来れば、どこでも出来るようになる!

    なぜここまでジャンプ台は縄跳びの上達に良いのでしょうか?それは縄跳びが感覚のスポーツだからです。世間では「どれだけ高く跳ぶか?」や「どれだけ早く回すか?」といった個別の技能に注目が集まりますが、実はどちらが出来ても縄跳びは上手になりません。

    これ以外にもロープを的確に回す操作力、リズム感、ジャンプ時の姿勢維持のためのバランス力、足の前でロープを引っ掛けないための集中力・・・個別に列挙し始めたらこれだけの技能が必要になります。

    大切なのはこれらバラバラの技能を1つに繋ぐ能力です。ジャンプ台はこれらの統合能力を高めるのに最も適した環境なのです。

    1.ジャンプ力が擬似的に高まり、姿勢維持のためのバランス能力が向上する
    2.滞空時間が飛躍的に伸びるためロープの速度が遅くても二重跳びができる
    3.一旦できた技は反復が可能になり、ジャンプとロープ回転のリズム能力が向上する
    4.ジャンプが低くなる地面でも二重跳びができるようになる

    こうして、ジャンプ台で身につけた技は地面でも出来るようになります。

    ジャンプ台はモチベーション向上装置

    子どもにとってジャンプ台が有意義な理由はもう1つあります。それは成功体験ができることです。

    正攻法で行けば、二重跳びの習得には地道な練習が必要です。一方ジャンプ台を使うことで、擬似的ではありますが二重跳びが成功した!!という経験ができます。これは素晴らしいモチベーションなんです。

    分かりやすく運動の楽しさを感じれるのが「成功体験」です。ジャンプ台のような補助を用いてでも、まずは成功体験をさせる。そこでモチベーションを高め、習熟度を高める練習へ移行させていく。反対に土台のモチベーションが低いと、習熟度を高める反復練習が十分に行えない可能性が高いです。

    先の小学校では「地面用」と「ジャンプ台用」の2つのなわとびカードを作成していました。高難度の技はまずジャンプ台から練習し、次に地面での練習するようにと意図的に子供を誘導しています。

    この小学校が成功した本質は、上手に子供のモチベーションをマネジメント出来たことだったと思います。

  • 『なわとび1本で何でもできるのだ』はじめて訪問者数データを公開してみる

    『なわとび1本で何でもできるのだ』はじめて訪問者数データを公開してみる

    このブログは2013年の4月から「はてなブログ」で更新してきました。

    これまでブログ運営を公開してきませんでしたが、徐々に訪問者数も増えブログとしても成長を実感するようになりました。そこでブログ開設2年目を間近控えたこのタイミングで、これまでの運営記録を公開したいと思います。

    このブログを訪問してくれた人の数

    まずはざっくりと、ブログの訪問者数がこんな感じです。下の写真の中でユーザーというのが訪問者数になります。

    2013年の写真ドン!
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    2014年の写真ドン!
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    ※補足説明
    ページビュー(PV):実際に訪問されたページの数。
    ユーザー(UU)  :特定時間内に訪れた人数。

    (例)今朝、粕尾くんが「二重跳び」と「前とび」と「鉄棒」の記事を読みました。
    →PVは「3」、UUは「1」になる。

    ということで、2013年は39,808人、2014年は987,842人に人がこのブログを訪れたことになります。いつも見に来てくれる皆様、ありがとうございます。
    ちなみに年間じゃなく月間だとこんな感じになります。

    2014年12月の月間写真ドン!!
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    訪問者はSNSと検索が7割

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    データを見ると、このブログへの流入者数の上位はSNSと検索。キーワードに「縄跳び」とか「二重跳び」みたいな練習方法を求めている人が多い傾向があります。他にも「半月板損傷」や「ジャンパーズニー」、「あきらめたらそこで試合終了だよ」などなど(笑)

    ちなみに小学校の縄跳びシーズンが冬ということもあって、10月〜2月ぐらいまではぐーっと検索は伸びるんです。これは他の縄跳び関係者のブログでも同じかな??

    流入数1位はSNSなんですが、、、実はこのデータは裏があるんです。
    というのも「はじめて逆上がりが出来た女の子:成功後の一言が指導者を撃ち抜く」の記事が炎上したことで、FaceBookやTwitterの流入が激増。この数字に引っ張られたためにSNSが極端に多くなったんですよ。

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    具体的な数字を言うと、約76万人がこの記事を読んでくれました。2年間の合計で100万人ちょっとなので、訪問者の7割強はこの記事。それもFaceBookやTwitterで拡散されてアクセスが集中したので、そりゃSNSの割合が高くなるよね?ってことです。

    この特殊事例を差し引けばSNSと検索流入は同じぐらいで、ちょっと検索のほうが多いかな?ぐらいですね。

    なわとび1本で何でもできるのだ、が目指す場所

    このブログを本気で頑張ろうと思ったのは2013年の5月でした。そう、二重跳びの記事を執筆した前です。ちょうど半月板損傷で手術を控え、自分という存在に何が出来るかを考えた時期でもあります。

    本音を言えば「現場」「日本」に行けないからこそ考えた苦肉の策です。そりゃ人に直接教える方が何倍も効果が高いのは知ってます。でも今はそれが出来ないし、その時期じゃない。

    けど、ネットだからこそできる事もあると思うんです。

    それは大勢に向かって情報を発信できること。さらに言えば、現場に出向くより多くの人に向けて、自分の視点や意見、情報を伝えることが出来るのがネットの強さだと思っています。

    2年が経過した現在、月間平均100,000PV。やっと初心者を抜けた?ぐらいのレベルになることができました。

    今後も、
    1人でも多くの縄跳びで困っている人に情報や知識を届けられるように、
    そしてブログを通して縄跳び界をもっと世間に認知してもらえるように、

    粛々と縄跳び人「粕尾将一」として情報を発信していきます。

  • 過去の栄光には間違いなく「強み」が隠れてるので、丁寧に掘り起こそう。

    過去の栄光には間違いなく「強み」が隠れてるので、丁寧に掘り起こそう。

    http://www.flickr.com/photos/38782010@N00/1280082321
    photo by takomabibelot

    仕事でも私生活でも、ときに自慢したい成果を上げることがあります。

    大変なプロジェクトを仕切った、仕事で大きな利益をもたらした、大会やコンテストで優勝した…。しかし同時に、こうした過去の業績を語ることを何処か憚るような風潮があるのも事実。人はこうした実績のことを「過去の栄光」と呼ぶのです。

    過去の栄光は過去のこと。
    ひっそり心の中にしまって無言実行を果たすのがカッコイイ。

    ちょっと待ってください。過去の栄光はそんなに悪者じゃないと思うんです。

    「過去の栄光」は強みがもたらしてモノ

    どんな分野であろうと、認めてもらうレベルの事を成し遂げるのは大変。それは人に容易に真似できないという意味で、才能といえると思うのです。驚異的な集中力もエネルギーの瞬発力も、あなただからこそ発揮できたのではないでしょうか?

    これって、あなただけのアイデンティティー(=強み)と言えるんです。

    なぜ過去の栄光を成し遂げられた?

    過去の栄光と呼ぶからには、他の人ができない仕事や実績を指しますよね。名門の大学に入ったとか、何かの大会で優勝したとか。これらはあなたの強みがあったからこそ成し遂げられてるんです。

    あなた自身も必死に努力したことでしょう。では同じ努力をした他の人も、同じだけの結果が伴いましたか?決してそうではないですよね。

    身も蓋もないですが才能は存在します。才能は個人の強みであり、アイデンティティと深く結びついています。この強みがなければ、あなたということができないんですよ!!

    アイデンティティとして活用しよう

    アイデンティティは利用できます。先の例にも挙げた「帰属意識」も、アイデンティティを活用できた例です。同じように過去の栄光も利用できるんですよ。

    たとえば「元全日本大会チャンピオン!!」という実績があるとします。そしてこれはアイデンティティです。このタイトルからは「スゴイ人」「(該当種目において)人より優れている」みたいな印象が生まれます。更に、これがそのまま本人の評価に繋がる。

    ここから「○○の日本一なら、こんな仕事ができるかも?」「この人と◯◯を一緒にやってみたい!」と言った話に繋がるチャンスが増えます。

    また肩書・経歴だけじゃなくどんな強みがあったから成し遂げられたか?を知っておくことで、他の仕事に活かせるようになります。

    皆が辛いと思った練習も難なくこなしたとか、勉強が楽しくなったコツがあるとか、何かしら他の人には簡単にまねできない「才能」が隠れているハズなんです。

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    「利用する」と「思い出に浸る」の違い

    たとえば「23歳以上、教員免許保有者募集」と言う仕事があったとしましょう。もちろん17歳だと募集できない。教員免許を持たない人も応募資格がない。

    これと過去の栄光は似ています。

    世界チャンピオンが当時の話をするのと、誰とも知らないイチ経験者が話をするのでは意味が違いますよね。50歳の会社員経験者の経営者と、何の経験も無い23歳の若人が同じことを言っても、説得力に大きな違いがあります。

    つまり「あなたという人が「言う」「やる」ことに意味がある」という状況において、過去の栄光は大きな利用価値があるのです。

    ★★

    一方、過去の栄光を永遠と語る人って居ますよね?この人は残念ながら過去の栄光を利用できていません。彼は単に思い出に浸り、すがっているだけです。

    大抵の場合「過去の栄光」は苦労の末に成し遂げたこと。当時の苦悩や思いを誰かに発射することで、当時の達成感や躍動感、目標に向かって突っ走っていた自身を再投影して満足しているに過ぎません。

    活用とは未来に向けて利用すること。思い出にひたるのは「あの頃は良かった」「当時の自分は素晴らしかった」と、過去を追体験して自己満足しているだけです。

    使い惜しみするのは勿体ない!!

    過去の栄光は「思い出にひたる」「自慢」といったイメージが先行しています。すると立派な実績であっても口に出すのを憚る風潮になっていく。でもそんな圧力に負けていては勿体ない!!

    過去の栄光は実績です。アイデンティティです。あなたの才能(=強み)です。

    せっかく苦労して築き上げたアイデンティティ。これらを過去の栄光だからとマイナスに捉えず、今の仕事や生活に活用してみてはどうでしょうか?

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  • 【ジャンル別】シルクドソレイユのアーティスト(パフォーマー)に求められる素質とは?

    【ジャンル別】シルクドソレイユのアーティスト(パフォーマー)に求められる素質とは?

    http://www.flickr.com/photos/30201239@N00/5279431366
    photo by joiseyshowaa

    シルクドソレイユは、ステージで演技をする人をアーティストと呼びます。

    アーティストとは「極めた人」という意味。ステージに立つことを極めた人という敬意を表し、パフォーマーではなくアーティストと呼ぶのです。

    しかし一括りにアーティストと言ってもその専門性はバラバラ。1つのジャンルでは必須でも他のジャンルでは無くても問題ない素質もしばしば。

    今回はステージに立つ立場から見た「シルクドソレイユのアーティスト」に求められる素質をまとめてみました。

    アーティストの種類は大きく5つ

    明確に線引が出来ない部分もありますが、大まかにアーティストは以下の5つに分類されます。

    ・House Tromp
    ・ソリスト
    ・キャラクター
    ・ダンサー
    ・クラウン

    これらのアーティストに求められる素質を「専門技術」「表現力」「その他」の観点から紐解いてみようと思います。

    THE ジェネラリスト/House Tromp

    まずはHouse Tromp。彼らは集団演技をするアーティストの総称です。4名以上で行い体操系種目の出身者が多く居ます。
    (例)OVOのトランポウォール

    House Trompに求められるのは何より「基礎力」。日本の新卒採用のように、才能のある若人をシルクドソレイユが育ててアーティストにしよう!という目的のもとに集められ、ステージに上り詰めた人々です。

    ここで言う基礎力とは殆どの場合で「体操の基礎」や「ダンスの基礎」と言い換えることが出来ます。例えば体操出身のアーティストの場合、シッカリとしたアクロバット技術が 身に付いているか否かが重要になります。同じことがダンサーのHouse Trompにも言えます。

    本部で行うジェネラルトレーニングを経て契約を交わす、大半のアーティストがHouse Trompです。

    No.1よりオンリーワン!/ソリスト

    ソリストとは特殊な技術・技能を使ってパフォーマンスをするアーティストのこと。縄跳びもこれに入ります。
    (例)縄跳び、ジャグリング、バトントワリング

    ここでは他者より上手か?より「あなた特有の何か」が重視される傾向にあります。競技でトップに立つことよりも、出演の段階であなたにしか出来ない演技を持っていることが重要になります。

    たとえばHouse Trompにはオリンピック選手や世界チャンピオンが大勢いますが、ソリストには競技成績は殆ど関係ありません。縄跳びでシルクドソレイユに出演するソリストは現在4名いますが、この中で本格的に競技に取り組んだのは自分だけ。

    「素地」が重視されるHouse Trompよりも、ある程度完成された「個性」が求められるのです。

    個性のデパート/キャラクター

    これ、自分がなりたいやつです。ww
    キャラクターとはショーの中心的な役割を演じるアーティストの総称です。
    (例)Koozaのトリックスター、Corteoのホワイトクラウン

    キャラクターで重視されるのは「圧倒的な存在感」です。構成上アクロバットをすることもありますが、キャラクターの主な役割や表現を通じてショーの世界観を客席に届けることにあるのです。

    そのため一口にキャラクターと言っても、演技内容は千差万別。Koozaのイノセントは役者、トリックスターはアクロバッターとしてキャラクターを演じています。

    あなたの専門技術はもちろん、ショーの世界観と合う「+αの何か」が求められるアーティストです。

    技術だけではない迫力/ダンサー

    このジャンルは悩みました。書いて字のごとくダンスでステージに立つアーティストです。ショーによってはキャラクター、House Tromp、ソリストとして出演している所もあります。
    (例)La Noubaのバレエダンサー:キャラクター、Michael Jackson:House Tromp

    あるサーカス関係者の言葉に、

    「一流のアスリートが一流のアーティストになれるとは限らない」
    「でも、一流のダンサーは間違いなく一流のアーティストになれる」

    参考:白い扉の向こう側 ようこそシルク・ドゥ・ソレイユへ

    というのがあります。

    自分が思うのは、選ばれているダンサーには迫力があります。大きなステージで1人踊っていても、ぐ~~っとこちらに訴えかけてくる何かがある。これを一般的に「表現力」と言うのかもしれません。

    また彼らは強烈な印象を残します。先日見たAmalunaのダンサーは、肩甲骨と腕が気持ち悪く特徴的に動いていました。あのインパクトは一度見たら忘れられません。

    表現力、技術力、存在感、、、ダンサーはあらゆる素地を持ち合わせています。先に上げた言葉の通り、間違いなく一流のアーティストになれるという言葉にも納得できます。

    表現力の王様/クラウン

    ご存じの方も多い、アクト間にコメディを演じるアーティストです。たいていは2人1組で「オーグスト(ボケ)」と「ホワイトフェイス(ツッコミ)」が居ます。

    表現力、間のとり方、臨機応変さ、など他のジャンルとは一線を画する特殊な技術が必要とされます。そのため殆どのクラウンはサーカス学校出身。もしくはコメディアン出身の人ばかり。

    師匠のBalto「クラウンは細い糸の上をゆっくり歩くようなもの」と表現しました。適当にバカなことをやっているように見えて、緻密な計算と敏感な空気の察知力が要求されます。お笑い芸人さん達も使う「テンドン」や「笑い待ち」と言ったテクニックもあり、個人的には最も難易度の高いアーティストだと思います。

    まとめ

    いかがでしたか?
    一言にアーティストと言っても求められる素質はマチマチ。あなたの目指すジャンルではどんな素質が必要でしょうか。

    最後に、2つだけ全てのアーティストに共通していることがあります。それは「高所の適性」と「好奇心」。サーカスである以上は高所恐怖症では仕事が務まりません。自分たちも約20mからバンジーをしています。

    そして未知の事にも臆せずチャレンジできる勇気、好奇心。シルクドソレイユでは常に新しい事を求めています。やったことがないからやりたくない、では永久にチャンスは巡って来ません。

    この記事を読んだ人と、将来シルクドソレイユのステージで共演できる日が来たら嬉しいです。

  • あなたは大丈夫?何年やっても「基礎・基本」が身に付かない理由

    あなたは大丈夫?何年やっても「基礎・基本」が身に付かない理由

    仕事でもスポーツでも「基本・基礎」は大切です。
    中にはすっ飛ばしても成功する天才もいますが、多くの人にとって基礎基本を学ぶことが一人前になるための近道。

    しかし、何年たっても同じミスを繰り返し、仕事の効率が上がらない人っていますよね?スポーツで言えば何回も同じ技や動きで判断ミスや失敗を重ねてしまう人。

    一方であっという間に基礎基本を習得し、みるみる頭角を現す新人が居るのも事実。

    彼らには元から才能の違いがあったのでしょうか?いいえ、問題は「基礎基本を学ぶ姿勢」にあるのです。

    自分はオリジナリティがあると過信する

    若い時には全能感があるもの。根拠もなく仕事ができる、独創的で世界初の発見とかをしちゃう!と心から信じている人も少なくありません。

    根拠の無い自信の全てが悪いことじゃありません。物事を始めるモチベーションにもなることでしょう。ただ、全能感を持っている人が「古い知識なんて必要ない!」「自分は全く新しい概念を生み出すのだ!」という考えに進んでいくと危険信号。

    自分の力を信じることは素晴らしいです。でも自分の力を客観的に判断する冷静さも必要です。何も知らないゆえの全能感、という現実をいつかは受け止めましょう。

    頭で考え過ぎる

    自分の頭で考えろ!!人の意見に流されるな!!という意見が多く聞こえてきます。たしかに現代は情報に溢れ、自分の頭で考える力が求められていると思います。しかし土台がないまま考えるのは、あまりに幼稚です。

    行動の前に理由を考える弊害についてイケダハヤトさんも指摘していました。自分も大筋でこの意見に同意です。新人や素人が考える程度の理由より、熟練者やプロの理由のほうが説得力ありますよね?

    基礎基本とは「型」のようなもの。素人経験や憶測で語れるほど浅いものじゃありません。なぜこんな事するの?と立ち止まる前に、とにかくやってみる。自分の考えをこねくり回している時間があれば、少しでも回数を重ねたほうが良いです。

    つべこべ言わずにやる!!ができない

    基礎基本は、ときに退屈だったり地道な繰り返しが必要。2-3日で身に付くようなものを基礎基本とは呼びません。

    ここで「こんな事をやる必要があるの!?」と途中で投げ出してしまう人は、何年たっても基礎基本が身に付きません。上記の「頭で考えすぎる」にも通じます。

    基礎基本を習得するとは、無意識でも同じ判断・行動・動作が出来る状態を指します。
    参考:「基礎が大事」という本当の意味を理解しているか? – 旧・teruyastarはかく語りき

    あれこれと理由をつけて反復を怠っているようでは、何年たっても習得できるわけがありません。無意識に落とし込むのは、そんなに甘いモノじゃない。精神論ですが、つべこべ言わず、四の五の言わずにやれ!!も時には大切です。

    何も考えず、作業として繰り返しているだけ

    「考える前にやれ!」と上で書きました。でもやっている間はちゃんと頭を働かせてください。何も考えずに作業として基礎基本を繰り返しても何も身に付きません。

    この動きで大切な要素は何か?
    この作業でポイントになるのは何か?
    なぜ非効率に見えるこの方法を取り入れているのか?

    表向きの動きや技術を学ぶだけが基礎基本ではありません。ここに内包される「考え方」や「判断基準」も非常に大切なのです。

    素振りを繰り返すのはなぜでしょうか?筋力トレーニングのためだけじゃないですよね。プロのバレリーナもバーレッスンを欠かさずやりますが、単なる準備運動ならあれほど長い時間を掛ける必要はどこにあるのでしょうか?

    「なぜ?」を持ち続けることで、これら基礎基本の本質が浮かび上がってきます。

    すぐに結果を求める

    人は怠けたい生き物。いかに楽をして成果を上げるかというのは、誰しも考えることです。では、基礎基本をすっ飛ばし目立つ結果を求めて行動したらどうなるでしょうか?

    いきなり結果を出す場合もありますが、殆どの場合継続的に結果は出せません。今回は良かったけど、次はどうかわからない。これでは仕事になりませんよね。

    実はこの考え方自体が的外れ。つまり、いきなり結果を求めるのは遠回りで、実は基礎基本を習得するほうが近道なんです。

    一発屋芸人と呼ばれる人達は瞬間的に持ち上げられて、急激に消えていきます。彼らには「一発」を当てる爆発力はありますが、それを継続させる力がなかったのです。

    まとめ

    縄跳び競技の試合で、大半のミスが「前とび」です。3重とびや4重とびを繰り出す世界レベルの大会でも同じこと。では、彼らに前とびの練習が足りていなかったのでしょうか?

    そうじゃありません。彼らに不足していたのは、過酷な環境で乱されても常に同じ動きをするための基礎基本です。

    本番の試合では緊張・不安・観客・審判など、普段の練習とは全く違う環境で演技をする必要があります。しかも失敗が許されない。こうした極限の状態でもミスしない土台こそが、基礎基本そのものなのです。

    下らない、つまらない、面倒くさい、
    そう言っている間にもライバルとの差はどんどん大きくなります。急がば回れ、基礎基本をシッカリ無意識に落としこむことができれば、自然と結果は付いてくるものだと思います。

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  • アスリートは『試合本番』でしか本当の意味で成長できない

    アスリートは『試合本番』でしか本当の意味で成長できない

    2015年現在、縄跳び競技には殆ど大会がありません。

    今あるのは「全日本」「アジア選手権」「世界選手権」の3つのみ。世界選手権は2つの違う協会が主催する別の大会がありますが、それでも他の競技に比べれば圧倒的に試合数が少ないのが現実です。

    数こそ少ないですが、多くの選手は2年の一度の世界選手権を目指して日々練習を重ねます。

    世界選手権が最も大きな規模の大会であることは間違いありません。では、トップ選手が世界選手権以外の大会に出場する意義とはなんでしょうか?

    ハンマー投げオリンピック金メダリストの室伏浩二選手は、自伝『超える力』の中で「温室育ちアスリート」の弱さについて触れています。ここには競技力向上だけでなく、人間としてのアスリートの成長の重要性が指摘されていました。

    アスリートは競技だけやっていればいいのか?

    競技だけをやっていては、鳥かごの中の鳥と同じ。アスリートとしての成長は、何でもありの状況下で起きるハプニングや困難をどう切り抜けるかによって問われると私は考える。

    出典:超える力

    若いうちは多少コンディショニングがうまくいかなくても出る。それを繰り返すことで、試合勘が磨かれる。勝ったり、負けたりを経験する中で、海外での試合が特別なものではなくなり、遠征や会場の空気を楽しむことができるようになる。そうすることで、いかなる状況でも自分の力を発揮できる精神力が培われるのである。

    出典:超える力

    競技でトップに昇るにつれ、周囲の反応は変わっていきます。本人の意思に関係なく「スター」として扱われるようになります。すると中には「競技で好成績を残していればそれでいい」という勘違いをする選手が表れてくる。

    国際大会に出場するのは素晴らしいことです。しかし、本当に自力だけで出場することの大変さを知っているでしょうか。想像できないハプニング、言葉の違いなど、乗り越えなければいけない壁は沢山あります。

    競技だけに集中しているアスリートは、こうしたトラブルに対処する能力が育ちません。整った環境でしか力の発揮できないアスリートに、世界の頂点を極めることが出来るでしょうか?

    試合の「カン」は試合でしか磨くことができない

    縄跳び競技会場には、独特の緊迫した空気が流れています。ミスをしやすい競技にもかかわらず、一発勝負で勝敗が決まるプレッシャー。どの選手も口にこそしないけど、押し潰されそうな緊張を心に秘めて競技エリアに立っています。

    この雰囲気は試合会場でしか味わうことができません。皆が真剣勝負に臨んでくる場にしか生まれないものなのだと思います。

    私が大舞台でも平常心を保って大会に臨めるのも、若い頃に数多く海外を転戦してきたからなのだ。だからこそ今の若い日本人アスリートには武者修行しながら海外を転戦し、厳しい環境に身を置くことを勧めたい。厳しいアドバイスになるが、「温室育ち」のままでは、世界のトップアスリートと伍して戦うことは難しいだろう。

    出典:超える力

    大抵の選手は初出場だと空気に飲まれ、本来の力を発揮できずに終わります。

    でも、これは仕方ない。

    競技会場の独特の空気は経験しなければ分からない恐ろしさがあるのです。しかも一度経験したところで慣れるものでもない。経験を重ねていくうちに、ようやくその雰囲気に飲まれることなく本来の力を発揮できるようになるのです。

    まとめ

    日本人選手は圧倒的に試合経験が少ない。他国のライバル達は試合本番という最高の練習機会を数多く積み、世界の頂点を狙ってきます。

    どれだけ練習を繰り返しても、本番の練習は本番でしか出来ません。

    現役選手には数少ないチャンスを無駄せず、積極的に試合経験を積んで欲しいと強く思います。

    超える力

    超える力

  • プロが「ノウハウ」を公開しても仕事が無くならない理由

    プロが「ノウハウ」を公開しても仕事が無くならない理由

    Teaching

    Photo by Nathan Russell

    人にモノを教えるときに何が一番大切だと思いますか?

    知識や情報はもちろん大切です。効率良く学ぶには手続きを知ることが重要です。しかしこれらより断然大切なことがあります。

    それは言葉力。夏まゆみさんの表現を借りれば「魔防の言葉」を操れる能力です。

    この言葉力は、教えるプロがプロたる所以。それも、将来あなたが教えるプロとして仕事ができるか否かを決定付けるぐらい大切な要素です。

    知識は熱量で伝える

    たとえば子どもに前とびを教えるとします。「縄を肩でかかえるように持って・・・」「前に進みながら回して・・・」といった知識は上達の手助けになります。しかし大切なのはこれらの知識を如何に子どもに届けるかなんです。

    文言を丸暗記して喋ったと所で、子どもには伝わりません。大声で子どもに読み上げさせてもダメです。伝える側の熱量が子どもに届いた時、初めて知識は有効に活用されるのです。

    人の注目を集めたいときはどう言えばいいか、振付師として稽古場の空気をコントロールするにはどんな言葉が有効か、吉本印天然素材の現場で試行錯誤を重ねながら「言葉力」に磨きをかけていったのです。  これが指導者としての私の原点と言えます。

    ダンススキルなどでは決してなく、どんな相手からでもやる気を引き出し、前向きにダンスに取り組ませるための「言葉」を持っているからです。

    出典:エースと呼ばれる人は何をしているのか

    うまく子どもをノセられる人

    極端に言えば、熱量を子どもに届けられる人に運動知識はさほど重要ではありません。いくら知識が豊富にあっても、子どもに伝えられなければ無意味。立派な研究論文を執筆できても、目の前の子どもに届けられなければ意味がないと思うのです。

    このように子どもに熱量を届けられる人は、上手に言葉を操る人とも言えます。

    それも単なる「音」としての言葉ではなく、相手の空気を敏感に察知しながらコミュニケーションが取れる事。ひとことで言えば「うまく子どもをノセられる人」です。

    人の集中力は長く続きません。それが子どもならなおのこと。「あ、もう集中が切れそうだな・・・」という空気を敏感に察知できる、更にその場面に最適な言葉を選び出せる能力。この能力は実践からのみ得ることのできる経験知です。

    塩についてどれだけ勉強しても、実際に舐めてみないと「しょっぱい」という感覚はわかりませんよね。

    プロは知識を公開しても全く問題ない

    ネットで知識や情報が氾濫しているし、教えるプロの仕事は無くなっていくんじゃないか?という意見があります。たしかにこのブログでも「縄跳び指導法」を頻繁に公開しています。インターネット上で探せば他にも沢山の専門知識を見つけることが出来るでしょう。

    ご安心ください。教えるプロは知識が豊富なだけじゃないんです。現場で子どもと対峙した時に知識を上手に伝える「魔法の言葉」が使えるかどうかが腕の見せどころなんです。

    逆に言えば知識をひけらかすだけのプロは淘汰されていく。むしろこれは良い事だと思います。

    まとめ

    情報を伝えるだけを、教えるとは言いません。言葉で相手の内面に知識を響かせ、いかに成長を促すか。単に情報を提供するだけならウィキペディアで十分です。

    教えるプロがプロたる所以とは、豊富な知識だけでなく言葉の力で相手に届かせるスペシャリストだから、です。

  • 純粋な面白さを提供できるか?人は「価値あるモノ」だけを求めるワケじゃない

    純粋な面白さを提供できるか?人は「価値あるモノ」だけを求めるワケじゃない

    Aidan
    Photo by John Morgan

    誰しも「何かを作る」という仕事はありますよね。

    自分の場合は縄跳びの演技を作ること。色んな技を組み合わせて演技を作りますが、実は自分これがすごい苦手なんです。苦手な理由は「いつ作っても陳腐に見える」から。全力で作っているのに、動画を確認すると、どこかありきたり。

    先日「プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術 」を読んで、長年のこの疑問が少し晴れたような気がしました。

    全部乗せはツマラナイという矛盾

    出来る技が増えると、その分色んなことを詰め込みたくなります。誰しも出来る技を披露したいですからね。その上で達成したことを認めてもらいたい。技の詰め込みは上級者になる程に加速する傾向にあります。

    加えて縄跳び演技のルールは「制限時間内にどれだけ難しい技を詰め込めるか」です。つまりは技を詰め込むだけ詰め込む。ただでさえ詰め込みがちな演技が、ルールによって一層ギッシリのコッテコテ演技に進化していきます。

    コテコテに盛り込むのはいちばん簡単。しかし、盛り込めば盛り込むほど焦点がぼけて品もなくなり、魅力は失われていくものです。

    出典:プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術

    悲しいことに、技の数が多くなればなるほど「どこを見れば良いのか?」がボヤケます。

    「10個の大技」より「9個の小技と1個の大技」の方が良い。なぜなら「どこがスゴイか」「どこがスゴクナイか」が観ている方にも伝わるからです。全部が大技だとメリハリがなくどこがスゴイのか分からない。感情を揺さぶるには「落差」が必要なのです。

    俺の演技を見ろ!!は通じない

    同じく陥りがちな「難しい技は盛り上がる」という誤解。残念ながら技の難易度と観客の見たい演技は乖離しやすいもの。難しい技はそれだけ見る人を選び、一般の観客にはその難しさを伝わりません。

    いくら難しい技をやっても見る人に伝わらなければ、演じる側の想いの一方通行で終わってしまいます。

    クリエイティブワークである以上、アーティスティックな感性は必要不可欠だけれども、決してそちらに寄りすぎてはいけない。いわばビジネスと表現の境界線上で、ギリギリのバランスを保つ必要があるのです

    出典:プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術

    ここで言うアーティスティックとは、人の評価を二の次に置き、自己表現に力を注ぐことを指します。難しい技ができる人ほど、この「アーティスティック」な方向に走りやすい傾向にあります。

    こんなに難しい技ができる ⇒ この技には価値がある ⇒ この技ができること、そのものが自己表現だ

    ざっくりとこんな流れでしょうか。こうして演技と観客の溝は一層深まっていくことになります。

    専門家の声だけじゃ、決して溝は埋まらない

    狂言の話なんですけど、あれって、昔は今みたいな文化ではなくて、一般の人たちがお弁当を持って観に来て、あはははって笑って楽しむただの娯楽だったんです。それが、「私たちは狂言をたくさん観てきているからなんでも理解してて、ここはこういうポイントなんです、よく知ってるでしょ?」っていう感じの観客ばっかりになってきちゃったら、もう一般の人は離れていっちゃうんですよ。

    出典:マンガで食えない人の壁 -プロがプロたる所以編-

    狂言は一般大衆の娯楽だったにも関わらず、今は専門家が楽しむものになってしまいました。それは専門家の声が大きく、そこに向けて進歩をしてきことで、一般大衆は置き去りにされ楽しさを見いだせなくなってしまったからです。

    専門的すぎたり難易度の高すぎる技は、往々にして観客を置いてけぼりにします。加えて試合会場は選手や関係者ばかり集まる玄人集団。ここは明らかに一般社会とはズレた場所であり、試合会場で盛り上がり評価されることがよそでも評価されるとは限りません。

    テクニックだとかオシャレだとかいうのを見せても、一般的なお客さんは、面白いって思わないですよ。純粋な面白さがないと、「マンガってもう面白くないな」って見限られちゃう。

    出典:マンガで食えない人の壁 -プロがプロたる所以編-

    演技の純粋な面白さとはなんなのか・・・ありきたりですが、専門だからこそ耳が痛い。

    「自分の演技がツマラナイ!!」と感じてしまったのは、こうし専門家としての自分の声を大きくし過ぎたのが原因だったようです。そりゃ夢中で10年もやっていれば習慣や癖もこびり付きますよ。

    少しずつ、自分という専門家の声ではなく、ステージから受け取る観客の声に耳を傾けて行きたいものです。

  • 中国語で話しかけられたら、あなたはどうしますか?

    中国語で話しかけられたら、あなたはどうしますか?

    Serious Conversation!

    今の職場には世界中から同僚が集まって仕事をしています。

    共用語は英語が共通になっていますが、時には相手の言葉を使って挨拶を交わしたりします。自分にも「こんにちは!」と挨拶をしてくれる友人がいて、こちらも相手の母国語で挨拶を返します。これは多国籍チームゆえのコミュニケーションです。

    ただ、中には「ニイハオ」と挨拶をしてくる同僚もいるわけで…。もちろん自分が日本人だというのは知っているんですけどね。日本人である以上、やはり中国語で挨拶をされるとどこか不愉快。しかしこれは、わりと日常的に発生する現象なんです。

    アジアという地域にイメージが薄い

    まず初めに、同僚には何の悪意もありません。むしろこちらの言葉で挨拶をしようとしたぐらいなので、親しみを持っていると言っても良いでしょう。

    ではなぜ日本語ではなく中国語で挨拶をしてきたか?単純に間違いということもありますが、それ以上にアジアは日本人の思っている以上に浸透していません。

    日本と言っても具体的にイメージできる人はごくわずかで、よほどの親日家か日本旅行経験者に限られます。その他大多数の人は「日本?あー、HONDAとSONYね」程度の印象しかありません。加えて中国と日本の位置関係も正確に把握している人も少ない。両方アジアだから近所なんでしょ?ぐらいのイメージが殆どです。

    近隣国同士の言語が近い場所が一般的

    日本人には想像しにくいですが、諸外国は隣接する国同士で似た言語をしゃべる場所が多いんですよ。多少の単語の違いこそあっても殆どのニュアンスが通じる。文字で書き起こさなければ発音は同じ、なんてことも多数。たとえば旧ソビエト圏の国々も類似した言葉をしゃべる国が多くて、あの地域は多くの国でロシア語が通じます。

    南米やヨーロッパの一部も同様で、違う出身国同士が同じ言葉で会話する光景を頻繁に目にします。

    こういう感覚を持った人々からは、同じアジア人同士なら似た言語を使うんだろう?という想像が生まれるんです。するとアジア圏で知っている言葉の1つで挨拶すれば大体みんな通じるんだよね?という解釈になるわけです。

    自分たちも気付かずにやっている事がある

    実は、我々も似たようなケースで相手の感情を逆なですることがあります。

    たとえば我々は「外人さんはみんな英語をしゃべる!!」という根拠のない幻想に囚われています。しかし、世界には英語をしゃべれない人も、(あえて)英語をしゃべりたくない人だって居るんです。にもかかわらず、外国の人と見た途端にドヤ顔で「How are you??」と話しかけるのは、上記の「ニイハオ」と挨拶してくるのと同じ状態ですよね。

    他にも、たとえば事前情報でロシア語を話す人だと聞いたとしましょう。しかし正確には「ウクライナ語」だった。昨今のロシア・ウクライナ情勢を見れば、ロシア語で挨拶をした時に相手がどんな感情を抱くかは明らかです。

    相手の敬意には敬意で返したい

    未だにアメリカ生活で「ニイハオ」と挨拶される機会は多いです。

    やはり「ニイハオ」と言われると、とっさに「オイコラ、日本人だ!」と言いたくなる。でも実は「ニイハオ」と言ってきている段階で敬意や親しみを持っていると思うんです。だからまずは、相手のこうした想いを汲み取りたい。

    もちろん会話を進めながら「自分は日本人で挨拶は『こんにちは』だよ」って説明します。でもまずは、思いやりを持って「自分たちに合わせた挨拶」をしてくれた彼らに、感謝と敬意を返すのが人間同士の付き合い方だと思います。

  • 「底力くん」に会いに行くなら、覚悟して付き合った方がいい

    「底力くん」に会いに行くなら、覚悟して付き合った方がいい

    吉本天然素材やAKB48を世に送り出した「夏まゆみ」さんをご存知でしょうか?

    彼女は人を育てる振付師として有名な方です。そんな夏さんが世に送り出したエース達が出会っている「底力くん」について著書の中で触れています。

    自分に底力があることを知らなければ、「どうせやってもムダだろう」とチャレンジする前からあきらめてしまったり、「いまでも十分頑張っている」と限界より前のレベルで満足してしまったりしがちです。つまり、自分に自信が持てずに足踏みしてしまうのです。それではエースとして輝くことはもちろん、自分の力を十分に発揮することはできません。

    だから、まずは自分の「底力くん」を知ること!
    そうすればあなたは現在よりもっともっと「本気の力」を出せる人になるのです。

    出典:エースと呼ばれる人は何をしているのか

    限界まで努力をした人にしか会えない底力の存在。底力くんにあったことのある人は、ここまで出来るんだ!と自信を持つことが出来るといいます。

    底力くんの存在は大切です。しかし安易にお目に掛かると実は危険です。

    羽生結弦の転倒事故

    先日、フィギュアスケートの羽生結弦選手が練習中に不慮の怪我を負いました。衝突直後こそその場にうずくまったものの、スグに立ち上がり本番の演技もやり遂げたというやつです。

    トップアスリート達はほぼ間違いなく底力くんに会ったことがあります。そして底力くんは時に生命の危険すら顧みないほどに、自身を突き動かしてしまします。

    この舞台にたつためにどれだけ頑張ったか、多くの人の期待に応えたい、ファンの人を悲しませたくない・・・アスリートの底力くんは並大抵のものじゃない。たとえ本番前に脳震盪を起こそうが関係ありません。

    ときに、底力くんは暴走する

    アスリートに限ったことじゃありません。以前テレビ番組の「痛快!生きざま大辞典」という番組で落語家の「桂枝雀」さんの特集をしていました。彼はストイックの典型例のような人で、自身の身体を顧みずに笑いに人生を捧げたといいます。

    「ストイックに自分を追い込んでいかないと、本当の名人の域にはいけないんだな、と感じる。僕は、自分が無理だと思うときは、どこかで冷静。本当に無理なら無理だという自分はいない」と語った。

    出典:笑わせて笑わせて桂枝雀

    [林先生の「痛快!生きざま大辞典」 (2014年9月2日放送回) ]の番組概要ページ – gooテレビ番組(関東版)

    命がけは何も物理的に危険なだけじゃありません。精神を追い込むストイックさも十分に命を危険に晒す行為なのです。

    底力くんは取り扱い注意

    1つのことに限界までチャレンジしなければ、底力くんに会うことはないでしょう。しかしごく一部に「底力くんを暴走させてしまう人」がいるのも事実です。

    それはアスリートに限らず、物事に夢中になる人、そして責任感を持つ人。彼らは底力くんの暴走させやすい。そんな人が安易に底力くんを呼び起こし利用するのは命を削る危険があります。

    かく言う自分も底力くんを暴走させてしまった一人。今回の膝の怪我も、本来ならもっと早く休むべきでした。しかしステージに立つ事、その責任や周囲への迷惑を考え、底力くんを暴走させてしまったのです。

    冷静に考えると、普通に歩くこともままならない状態まで追い込んだなんて、正気の沙汰ではありません。

    まとめ

    Exhausted

    底力くんを目覚めさればとんでもない力を発揮できます。本人も驚く成果を出すことしょう。しかしそれはあくまで「ちょっと無理をした状態」だと忘れてはいけません。無理が常態化すれば遠くない未来、必ずどこかにガタが出まず。

    「死ぬ程頑張って死んだ人は居ない」とは言いますが、本当に死ぬほどやってしまう人だって居るんです。

    経験として底力くんと一度会ってみるのはいいでしょう。
    しかし底力くんは諸刃の剣。出会ってからも付き合い方に注意しましょう。