パフォーマンスの哲学

師匠やメンターに「似てしまう」というデメリット。そのままだと、あなたはダサくなる。

こんにちはー。 縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

みなさんは「師匠」と呼べる人が何人居ますか?

これまで自分は「四人の師匠」に出会ってきました。縄跳びチームNAWA-NAWAの「SADAさん・NORIさん」、サーカスアーティストの「Thomas」、クラウンの「Balto」。

いずれも勝手に師匠と自分の中で決めて、学ばせてもらっている人達です。

自分は「人」を見て学んでいます。なので師匠の考え方や価値観なんかも吸収したくなる。もう師匠への興味がもの凄いんですよ。

人は「人」を見て学ぶ。有名先生より「尊敬できる身近な師匠」を見つけるのが上達の近道。

この学び方は上達が早いです。その一方で、師匠に「似てしまう」というデメリットがあるんです。

師匠からの学びは「モノマネ」から始まる

何かを学ぶのは、師匠の技をモノマネから始まります。

センスとは「モノマネ力」である

どんな動きなのか、呼吸はどうか、身体をどう使っているか、こうした一挙手一投足を目で見て盗み、モノマネをしていくのです。

自分もよく、なわとびの跳び方が師匠のSADAさんにソックリと言われるんです。これは師匠のSADAさんの演技を穴が空くほど見倒したから。ロープの振り方とか、身体の動かし方とか、いまだに自分でも「似てるなぁ…」と感じます。

同じように、他の師匠たちの事もガッツリとモノマネさせてもらっています。Thomasの立ち居振る舞い、Baltoのリアクション、これらは真似しようとして真似しているんです。

いずれぶつかる「師匠モノマネ」の限界

ところが、いつまでモノマネという訳にはいかない。モノマネを芸にするなら別ですが、師匠のモノマネを続けている限りは師匠を超えられないんです。

これは誰に言われるワケじゃなく、本人の頭に常にこびり付いていること。

続けている期間が長くなれば「自分は師匠のコピーにすぎない…」という葛藤と苦悩が生まれます。このタイミングで師匠のモノマネという殻を破り、「あなた自身」というオリジナルを生み出さざる得なくなるのです。

ダサいを生む「不自然さ」

師匠のモノマネを続ければ右肩上がりで上達するでしょう。しかし成長が緩やかになった時、急激にダサくなります。

これは不自然だからなんです。厳しいようですが、師匠と同じ人間は誰もいません。どれだけあなたが師匠を尊敬しようと、その人になることはできない。ゆえに徐々に「ダサさ」が見えてくるのです。

このダサさは曲者で、本人はいい感じのつもりでも周囲には伝わってしまう。「ダサい」が伝わってしまうのはある程度上手になってからですからね。ここに個性やオリジナリティーの壁があります。

師匠に学ばせてもらう。でも一定まで上達したら師匠を乗り越えないと「不自然」が顔を出して「ダサい」を撒き散らすコトになります。

師匠ではなく、自身を見つめる時期へ

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不自然から醸し出す「ダサさ」を察したら、意図的に師匠を見るのを辞めましょう。見ればまた似ていってしまいます。意識して師匠と距離を取り、あなた自信を見つめる時間を増やすのです。

自分自身を見つめるのはシンドいですよ。もはやモノマネではなく、発掘をする時期に変わっていますから。

師匠を見つけるのは上達のコツです。うまくモノマネをさせてもらば、急速に上達することでしょう。しかし察したその時こそ、師匠ではなく自分を見つめる方向へ転換しましょう。

大丈夫です。師匠を越えることは、師匠への最大の恩返しですから。