シルクドソレイユが教えてくれた大切なコト

「一芸を極める人」と「一芸で甘んずる」人の決定的な違い

こんにちはー。
縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

あなたは、なにか一つのコトに奥深く極めていますか?
もしくはこれから極めいようとしていますか?

昔の人は「多芸は無芸」といって、多くの芸や学問に通じている人は奥深く極められないと言っています。

多芸は無芸
【意味】多芸は無芸とは、多くの芸や学問に通じている人は、一つのことを奥深くきわめることをしないから中途半端で、結局は無芸にも等しいということ。

出典:多芸は無芸 – 故事ことわざ辞典

でも、一つのコトを極めている人ほど沢山の事に手を出してる印象があります。それこそ「多芸」なんじゃないかと。

今回はそんな「多芸」に見える人の特徴と、一芸を極めたと思い込んでいる人が陥りやすい問題点を紹介します。

認められた「一芸」は言い訳になりやすい

「一芸」というと伝統芸能を思い浮かべやすいですが、他にもいろんな一芸があります。勉強や運動、芸術以外の分野であっても「一つに秀でる」のが「一芸に秀でること」なのです。

ただこうした「一芸」を手にしたと実感した時ほど注意が必要です。なぜなら、認められた分だけ安心しやすいんです。

有名コンクールで優勝するとか、有名な雑誌に取り上げられるとか、世界大会で優勝するとか…「一芸」を手にしたと実感した瞬間から、この安心は生まれます。安心した瞬間、人は守りに入ります。これまでの一芸(=実績)を利用して、なんとかしていこう。この思考に入ると危険です。

実績はいずれ過去になります。いつまでも過去の実績にすがって生きていく事はできません。

実績は目印でしかない

自分は「一芸」には終わりがないと考えています。柔道や剣道のように、「道」として長い期間をかけて見出していくものだと思うのです。

ところが上記に挙げた「実績」はあくまで結果にすぎません。実績を手にしたからといって、一芸を極めたとは言えないのです。

というより、これらは捉える軸が違う。「一芸に秀でる」という過程の中に、目印やターニングポイントとして現れるのが「実績」です。この意味で一芸を極めるコトには終わりが無いのです。

一芸に秀でた人が多芸に見えるワケ

しかし中には、一芸に秀でた上で別分野に挑戦するケースもありますよね。たとえばシルクドソレイユのアーティストにも、ダンサー出身でエアリアルアクトの練習を重ねてデビューする人が大勢います。

では彼らは「多芸」なのでしょうか。もしそうなら、世界の舞台に立つことは叶わなかったでしょう。彼らは「多芸」とは違う身体感覚や運動経験というベースがある。だから、別分野に挑戦してもしっかりと身に付けることが出来るのです。

ベースがなくても「そこそこ」までは上達できるでしょう。しかしステージに立つのは難しい。

一芸に秀でた人はベースの背景に「普遍的なノウハウ」を持っているんです。だから他の分野に挑戦しても、無意識のうちに「ノウハウ」を活用して上達していく。

ゆえに傍から見て多芸に見えても、きちんと成果を出せているのです。

拡げるたくなるか、すがるか

また逆説的ですが、一芸を極めようという人は「一芸」にさほどこだわりません。次々に新しい可能性を見つけたがっている。ゆえに、どこか一度習得した技術には興味がないように見えるのです。

ただし、あくまでベースの「一芸」からはブレません。

その上で他分野の要素を取り入れるなど興味を広げていく。たとえば伝統的な津軽三味線と洋楽を融合させた「上妻宏光」さん。彼は圧倒的な津軽三味線の技術をベースに、他分野の音楽との融合で成功しました。

上妻宏光
幼少の頃より数々の津軽三味線大会で優勝を重ね、純邦楽界で高い評価を受ける。
ジャズやロック等ジャンルを超えたセッションで注目を集め、2001 年にEMI ミュージックジャパンより『AGATSUMA』にてメジャーデビュー。

上妻宏光 三味線プレイヤー Hiromitsu Agatsuma Official Website

上妻さんは、すでに純邦楽界で高い評価を受けています。それでもあえて、新しい可能性を求めジャンルを超える挑戦をした。同じことが、四代目市川猿之助さんがスーパー歌舞伎Ⅱでチャレンジする「ワンピース歌舞伎」にも言えます。

一芸をベースにし意欲的に挑戦し続けるか。はたまた一芸を極めたと思い込んで「すがる」か。ここに一芸を極めるか、甘んずるかの違いがあると思います。

おわりに

http://www.flickr.com/photos/7941044@N06/11570015894
photo by jenny downing

以前にシルクドソレイユのオーディションを取り上げたテレビ番組を観ました。ここでのキャスティングの言葉が印象に残っています。

「私達が見ているのは1に技術、2に技術、3に技術よ」
「好奇心、個性、キャラクター…これらはその次で十分なの」

体操競技やトランポリンの基礎技術があれば、そのあとはいくらでも練習できる。しかしこの「ベース」がなければ何も発展がない。

一芸を極める人とは、もはや一芸に拘る必要すらない人、なのかもしれません。