なわとびパフォーマーの仕事論

阿吽の呼吸もいいけど、信頼と期待のバランスに気を付けよう。

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photo by Collin Key

こんにちは。縄跳びのパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

日々のショーにはミスも起こります。とくに縄跳びは他のアーティストも参加しているのでミスが起こりやすい。以前は積極的なコミュニケーションを取って技術的な事を指摘していました。会話を通じてミスを減らそうと考えたのです。

しかしフト気付いたら、演技についてのコミュニケーションをする機会がめっきり減っていました。

他愛もない会話はします。でもなぜ仕事に関するコミュニケーションだけが減ったのか。少し考えてみたら、ひょっとしてこれは大きな分岐点なのかと思うようになりました。

信頼しているから?

自分の出演しているラヌーバは、縄跳びのアーティストが2名しかいません。しかし振付の関係上、他アクトのアーティストに協力してもらって演技を作り上げています。

この状況を考慮し、自分は「マネージャー」としての立ち位置を取ってきました。

■関連記事:ラヌーバ「なわとびアクト変革計画」 第三弾  ~マネージャーとしてのソリスト~

全体を仕切るのはあくまでディレクターやコーチ。しかし知識のある技術面をサポートし、縄跳びアクトを支えようと考えていました。

ところが少しずつ状況は変わってきました。実は、もうラヌーバに縄跳びアクトが入ってから5年も経過しているのです。つまりそれだけ経験を積んだアーティストが増えてきたということです。

自分が得意なのは単縄*1です。それ以外の縄跳びも知識はありますが、ガッツリ練習を積んだわけではありません。この時、自分と5年間の経験を積んだアーティストのどちらのアドバイスが有効でしょうか。

経験は知識を凌駕します。たとえ理論や理屈を理解していても、本番ショーで使えるかは別問題。ショー経験を通じ、仲間のアーティスト達はノウハウを習得しています。しかもそれは極めて実践に即した「生きた知恵」です。

だからなのか、自然と問題が解決していく場合が多い。無理にしゃしゃり出る必要が殆ど無くなったのです。

それは期待か?信頼か?

ではミスが起きてもとやかく言わず、経験あるアーティストを信頼するのはいい事でしょうか。自分は、この選択次第で今後の関係性が変化する分岐になるのでは?と感じています。

信頼するのは良いでしょう。でもここで期待に移行してしまうのがマズイ。相手の能力や経験を踏まえて信頼し、その上で「これはやってくれるだろう」と考えてしまう。これが「期待」です。

期待が強まってしまうと、コミュニケーションの手間が省く方向に流れていきます。「言わなくても分かってくれる」や「言わなくてもきっとできる」は、本当に信頼なのでしょうか。

さらに進行すれば馴れ合いに甘んじ、「何となく」で問題をウヤムヤにしてしまう雰囲気が構築されてしまいます。こうなると元に戻るのは一苦労です。

★★

信頼している人とはどんな人でしょうか。自分は「受け止めてくれる人」だと考えています。

たまには的外れな発言で衝突したり、譲れない価値観で口論することもあるでしょう。ですが、どんなに衝突しても最後は元に戻ってこれる関係性。ここにあるのが信頼だと思うのです。

期待の場合、裏切られれば崩れ去ります。相手への嫌悪感や憎悪にすら変化します。期待をかける相手とは「自分の思い通り、都合の良い方向に動いて欲しい相手」と言い換えることが出来るのではないでしょか?

まとめ

自分はいま、同僚のアーティストに期待を持っています。このまま流れれば、馴れ合いに辿り着き心地よく過ごせるでしょう。もしかすると、既に心地よさすら感じていたのかもしれません。

ショーではリラックスが必要です。でも同じぐらい緊張感が必要です。

居心地の良さに流されて仲間のアーティストに期待ばかりをかけないよう、積極的なコミュニケーションと対話を取り戻そうと思います。

*1:一人で跳ぶ縄跳びのこと