なわとびコラム

パフォーマンスの「表現力」を高めるたった1つの方法

人前で演技をするには「表現力」が大切だ。

多くの採点競技には「表現力」が採点基準にあり、しばしば日本人は表現力が乏しいと揶揄される。パフォーマンスでもただ技を見せるだけの演技は「表現力がない」と揶揄される。

だが表現力を磨くためにはどうしたらしいのか?
体育の表現運動のように「りんご」を演じる練習をすれば良いのだろうか?
ということで、今回は表現力を身につける方法について考えてみた。

そもそも「表現」とは何なのか?

表現力とは「表現」する「力」のこと。
ではそもそも「表現」とは何なのか?辞書を調べてみると、

ひょう げん へう- [3] 【表現】
( 名 ) スル
①内面的・精神的・主体的な思想や感情などを,外面的・客観的な形あるものとして表すこと。また,その表れた形である表情・身振り・記号・言語など。特に,芸術的形象たる文学作品(詩・小説など)・音楽・絵画・造形など。 「適切な言葉で-する」 「 -力」 「 -方法」

②外にあらわれること。外にあらわすこと。 〔英語 representation や expression の訳語。ロプシャイト「英華字典」(1866~69年)に display の訳語としてある。また,「哲学字彙」(1881年)に presentation の訳語として「表現力」と載る〕

(出典) 表現とは – Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ) Weblio辞書

明治時代、英語のExpressionに当てて造られた造語なのか…。
内側にあるものを外側に出す、みたいなイメージだ。

表現力とは、伝える技術

内側にあるものを外側に出すのが表現らしい。では外に出せばなんでも良いかといえばそうではない。ただポーンと出しただけじゃ相手に伝わらない。ないしは意図したように伝わってくれない。

たとえば「すべらない話」がそのいい例だ。
ここでは如何にエピソードを面白く相手に伝えるかという表現活動が行われている。元のネタが面白くても、話の組み立て方や話の間合いによってはつまらなくなる。反対に些細な日常でも上手な人は爆笑をさらう。

これが「表現力」の正体だ。

何かを伝えるとき、如何にして意図したように伝えるか。さらに言えばこちらの意図した反応をもらうかが、表現力のある・なしに繋がる。

表現は相手が居て、初めて成立する

当たり前の話だが伝える相手がいなければ表現は成り立たない。すべらない話でも相手に伝え初めて成立する。表現者が伝えたい内容を表現し、相手(=夜会のメンバーだったり視聴者だったり)に伝われば笑いとして反応が起きる。表現している本人ははじめ、伝えることしかできない。伝えた後、もしくは伝えながら相手の様子を察知して「すべったな…」と認識することしかできないのだ。

これはパフォーマンスでも同じで、表現するには相手が必要。すべらない話と同様にまず表現者が発信し、それを観客が受け取り、反応する。表現者が意図したものが伝われば、そのように観客が反応する。

伝えたいモノが内側にあり、それを何とか伝わるように工夫して、相手に届ける。この流れで「何とか伝わるように工夫する」部分の力こそが表現力だ。

伝えたいモノ、あなたの中にある?

すべらない話には明確に表現し伝えたいものがココにある。相手にどんな反応をして欲しいかも明白、至ってシンプルだ。

しかしパフォーマーには何を表現したいのか曖昧なケースが多いと思う。ただ単に盛り上げたい・拍手や喝采を貰いたいというのも理解できなくはない。だがこれには伝えたいモノが欠落している。したがってそこに表現力は育たない。そもそも、表現したいものは何なのか?こんな単純な自問自答から表現力は生まれていく。

昔、とある舞台監督がこんなことを言っていた。

『楽しい』『嬉しい』といったポジティブな感情を表現するのは難しい。まず感情の力が弱い。10分なら続くけど、1年は続かない。

反対に『憎い』『寂しい』のようなネガティブな感情は強い。負の感情は長い間人を苦しめる分、溜め込まれるエネルギーが凄まじい。だから外に出てきやすくて、つまりは舞台の動きに落とし込みやすい。

まず、あなたの中に表現したいモノはあるだろうか?
それは身体や感情を突き動かすほどに強いモノだろうか?

「表現」だ「表現力」だと言う前に、まず自身の中に何があるのか?だと思う。

本人こそ気付かない「あなたの才能」を知れば、驚くほど成果を出せるようになる

2016年3月19日