シルクドソレイユアーティストの日常

判断力ある人が、かえってチームの足を引っ張る

アクト全般に関わり始めて2週間。
少しずつみんなが意見を言ってくれるようになってきた。
中には愚痴や文句もあるけど、それでも嬉しい事。

とはいえ、こっちからも働きかける必要がある場合も多い。
そのやり取りの中、ここ数日の間にあるフレーズを3回も耳にした。

「だって誰も教えてくれなかったから」
「Because nobody told me」

本音を言えば、反射的にグーパンチしたかった。
けどそっと気持ちを抑え、呼吸を整えて説明を繰り返す。

もちろん言ってる方は悪びれる様子はなく、でもこれと言って反抗的なわけでもなく素直に指摘を聞いてくれる。

連日のようにこのフレーズを耳にしてたらある時、ふとこんな疑問が浮かんだ。
なぜ彼らはこのフレーズを使ったのだろうか?

★★

最近はアクト改変計画やショー全体の改変に伴い、役割変更や配置換えなど、多くの人が新しいことをやらざるを得ない状況だ。元は別の人がやっていた動きを新人がやったり、古株であっても初めての振り付けをすることがある。

自分の感覚では新しい事をするなら自ら確認しにいくのが普通だと考えていた。
それでもなお不十分だった時、初めて知ってる人から教えてもらう。

しかしこれは、どうやら共通の認識ではないらしい。

言われる前に動くか、言われることを遂行するか

まず先のフレーズを発した3人に共通してたのが、言われたことはシッカリ出来ている点だ。
おそらく新しい役割を任せられた時、こちらが先回りして仕事をイチから丁寧に説明していれば問題なく遂行できたと思う。実際、指摘を加えてからは問題なく動けている。つまり、ちゃんと指示さえ出せば応えてくれる。

この姿勢は一見すると受け身に思える。
だが一方で自発的に動かれ過ぎるのも、実は頭がイタイ

★★

ある時、新たに別の役割を任せられたアーティストが居た。
彼女は自ら動きを確認してショーに備えるタイプで、何も言わなくても動きを把握し本番に臨んでくれる。
正直、言わずに動いてくれるのは楽だなぁって思っていた。

そして本番のステージ上。
期待通りバッチリ動いてくれる・・・はずだった。

いざフタを開けてみるといくつも想定外の動きをしてくる。
あれだけ確認していたのになぜ?と不思議に思い、本人に話を聞いてみると、

「あの場面は私のやり方の方が綺麗でしょ?」
「ここは私のやり方の方が失敗が少なくなると思うの。いい感じでしょ?」
「あそこはもっと○○にしたいから、▲▲のように動いてくれない?」

イヤイヤイヤイヤ・・・・。
しばらく開いた口が塞がらなかった。
そう、彼女は自分なりに解釈して動きをアレンジしてきたのだ。

何て言ったらイイのやら…。

彼女は真剣に仕事に取り組んでいる。積極的に仕事に関わってアイディアを出して…。

でも違うんだ!!!(汗)

ステージ上の動きは単純なものであっても簡単に変更しちゃダメ。全体の世界観とか雰囲気とか表現してるものとかバランスとか、いろいろと考えて振付家やら演出家が組み上げてるんだよ。ただ歩くだけでもディレクターが全体を見て判断しなきゃ、一体感とか統一感が失われてしまうんだよ・・・。
しかもその動き、縄跳び的にはむしろやり難いから・・・。

と、心のなかで叫びながらも、キラキラした眼差しで嬉しそうに語ってくると…
もう何にも言い返せない。

まとめ

誤解を恐れずに言えば、先に上げた3人のような「教えてもらったことだけ」を正確にこなす人材は使いやすい。
こちらがきちんと指示を出せば、的確に仕事をしてくれる。余程のことがなければ機嫌も損ねない。もちろんこっちが何も言わなければ何も起こらないけど、こっちの意図で動かしやすい。

反対に後者の女性アーティストのような場合、なまじっか自信もあって積極的で、たとえズレた方向に進んでいたとしても正面から否定はし難い。言い方に気を付けないと反感を買ったり、モチベーションを削いでしまったり、はたまたへそを曲げられたり。
んなもん気にしてるからダメなんだ!!ってお叱りが聞こえてきそうだけど、どうしても自分は強く言うことができない。

「オリジナリティ」や「個人の意見」の意見は大切だ。クリエイティビティは演技を面白くする。
だが有り余る意気込みも、方向性を確認しないで突き進んでしまえば、単に煙たがられる原因になりかねない。

あなたは「だって誰も教えてくれなかったから」と聞いたら、どうしますか?